![]() by ヨウタロウ研究員
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全体 ☆はじめに ★関根要太郎について ★関根要太郎・設計作品 ◆関根・山中作品〔函館〕 ◆関根・山中作品〔東京〕 ◆関根・山中作品〔埼玉〕 ◆関根要太郎作品〔戦後〕 ◆関根要太郎作品〔京都〕 ◆関根要太郎作品〔姫路〕 ◆関根要太郎作品〔下関〕 ◆関根要太郎・関連作品 ■関根要太郎関連資料 ■関根要太郎・著作論文 ------------------- ◇関根要太郎研究@函館 1‐関根要太郎と秩父 2‐三橋四郎事務所時代 3‐不動貯金銀行函館支店 4‐函館海産商同業組合 5‐函館市立病院 6-大正10年・函館大火 7‐亀井喜一郎邸 8‐爾見淳太郎邸 9-石塚商店 10-泉泰三邸 11-仁壽生命函館支店 12-百十三銀行本店 13-泉合名会社湯川住宅 ■関根要太郎研究@東京 ■山中節治研究@東京 関根要太郎の故郷・秩父 **************** ☆函館の建物案内 ☆函館銀座通コレクション ☆函館末広町コレクション ☆函館下見板コレクション ☆函館大町・弁天町探訪 ☆函館の復興小学校 ☆函館レプリカ建築探訪 ★函館・坂のある町の風景 ★函館・懐かしの建築 ------------------- ■木田保造について ■木田保造作品〔函館〕 ■木田保造作品〔東京〕 ■木田保造作品〔関東〕 **************** ◆明治モダン建築探訪 ◆大正モダン建築探訪 ◆昭和モダン建築探訪 ◎日本近代建築探訪 ◎海外建築探訪〔中国〕 ◎海外建築探訪〔台湾〕 ※私事、その他 検索
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当研究室ご来訪の皆様へ
◆当ブログのタイトル『関根要太郎研究室@はこだて』は、大正から昭和初期に函館をはじめ日本国内で活躍した建築家の故・関根要太郎氏を紹介したく付けさせていただきました。また、関根氏の作品の他にも、同氏の設計作品が多く残る函館の歴史的建造物や、同時代のモダン建築なども紹介しております。
◆このブログの写真は当サイト製作者の撮影によるものですが、それだけでは全てを紹介しきれないため、大正から昭和初期に発行された当時の書籍・建築関連の雑誌・新聞等の記事・図版を一部転載しております。またそれらの出典元になる書籍と発行日時、一部のものは所蔵元を明記させていただきました。著作権をお持ちの方には、個人的な学術研究・非営利な発表ということで、ご理解いただければ幸いと存じております。 なお、一部イラスト・写真等は、製作者・遺族の方より承諾を得て、紹介させて頂いております。 ◆当ブログ製作者は、建築業や建築学に携わっていない、素人研究家です。建築用語や構造説明に誤りがある可能性もございます。そのつど御指摘していただければ幸いです。 ◆本ブログ掲載の写真および図版、記事内容の無断転用はご遠慮ください。但し私が撮影した写真に関しては、建築保存活動や学術発表など非営利目的での使用でしたら転載は構いません(大した写真では御座いませんが・・・・)。もし使用したい写真がございましたら、その記事のコメント欄に、目的・公開先等などをご一報ください。 ◆また本ブログの記事内容と関連のないコメント、トラックバックは削除させていただく場合もございますので、予めご了承ください。 **************** ★excite以外のリンク --------------------- ❖『ギャラリー村岡』のjirojiro junction ❖分離派建築博物館 ❖収蔵庫・壱號館 ❖新・我愛西安、観光と生活情報 ❖なんだか函館 ❖建築ノスタルジア ❖トロンボーン吹きてっちゃんの独り言 ~函館応援プログ~ ❖虚数の森 Forest of im aginary number ❖ウイリアム・メレル・ヴォーリズ展 in近江八幡 ❖MEGU 「めぐ」を究めよう ❖建築日誌 ❖ありがとう 明石小学校舎☆幼稚園舎 ❖中央区立明石小学校の保存活動 ❖近代建築青空ミュージアム タグ
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1 ![]() ・・・・・・大正11年築、5年前に惜しくも解体されたモダンな事務所建築 大正6(1917)年ころ、鶴岡町(現在の大手町)に新築される不動貯金銀行支店の建設のため、はじめて函館を訪れた建築家の関根要太郎(1889~1959) 。関根は大正3(1914)年に東京高等工業学校を卒業後、不動貯金銀行の店舗営繕を手掛ける日本建築株式会社に入社し、20代半ばには設計主任として同銀行の店舗営繕を手掛けるようになっていた。 このころ不動貯金銀行は、第一世界大戦(1914~1919)中の、日本国内における好景気に乗って、日本各地に新店舗を出店していた。そういう事で関根も不動銀行の支店建設のため、北は札幌・小樽、南は鹿児島まで全国の各地を飛び回る慌日々を送るのである。 そして関根が訪れた町の一つが、海運・海産業で空前の好況に沸いていた函館だった。なおこのころ地元の海産商の間では、大正3(1914)年に結成された、海産商同業組合の新事務所建設についての話が盛り上がっており、建設用地や建設予算が決定するなど、話が具体的に進行していた時期であった。 そこで関根が手に入れたのが、 函館海産商同業組合事務所の設計の仕事である。この組合の新事務所は、大正7(1918)年11月に不動貯金銀行函館支店が竣工し、冬があけた翌年3月から工事が始まり、大正9(1920)年1月に木造モルタル塗り3階建ての、白亜のモダンな洋館が竣工した。 関根設計による函館海産商同業組合事務所は、海産商を始めとした政財界人にも好評だったようで、それより間もなくには区立函館病院外来診療棟の設計依頼を受け、大正10(1921)年2月にその工事が始まる。不動貯金銀行の店舗建設をはじめ多忙だった関根だったが、函館に長期滞在し、次なる函館でのビックプロジェクトに臨む事になった。 しかし起工間もなくの大正10(1921)年4月14日に、豊川町・末広町・元町などの市内商業・住宅地区の大半を焼く大火が発生 。この大火を機に関根は区立病院の診療棟建設と同時に、大火で焼けてしまった函館政財界人の邸宅や会社の事務所に代わる、復興建築の設計を手掛けていくのである。その頃の関根要太郎作品が、元町大三坂に現存する旧亀井喜一郎邸(大正10年築)であり、今回紹介する石塚・イチヤマ商店(大正11年築)だったのである。 この石塚(イチヤマ)商店は、神奈川県南足柄出身の石塚弥太郎(1855~1918)が創立した海産問屋で、大正期には農業や不動産業にも着手するなど、函館を代表する商人の一人であった。また後に関根が事務所設計を手掛けることになった、函館海産商同業組合の発起人で初代会長を務めている。しかし新事務所建設の話が纏まりつつあった、大正7(1918)年に病のため64歳で亡くなっている。 その後、初代と同じく神奈川生まれで、幼年の頃ころ石塚家の養子となった二代目石塚弥太郎が家督を相続する。そして大正10年4月の大火で焼失した以前の事務所に代わる、新たな事務所の設計を、関根要太郎と弟の山中節治(1895~1952)が大正9(1920)年4月に開設した、関根建築事務所に依頼したのである。 そして出来上がった石塚商店の新事務所は、このころ耐火建築として新たに注目を浴び始めていた鉄筋コンクリートで造られ、その外観はとても当時、関根・山中兄弟が得意としていた、ユーゲントシュティールというモダンデザインで彩られる事になった。大正10年の大火後、函館では数多くのコンクリート建築が建てられたが、このイチヤマ商店はその中でも屈指の、とても華やかな作品となったのである。なおその対面には関根要太郎設計の函館海産商同業組合事務所が建ち、関根作品が相対する状態になったのである。 そして関根・山中兄弟は、「建築世界」という大衆向けの建築雑誌に、竣工間もない同商店の外観写真と矩形図を発表している。二人にとっても相当な自信作だったのだろう。 そのような大正中期の函館の好況時に建てられたイチヤマ商店。その存在はあまり認知されていなかったが、若き青年建築家とクライアントである若き海産商が作りあげた、その時代を伝える華やかな建築作品であった。 とても美しいイチヤマ商店だったが、東日本大震災が起きた数か月後にあたる平成23(2011)年7月に、オーナー側の意向により残念ながら急遽解体されてしまった。今回は既に発表した写真だらけだが、この作品を後世に記憶すべく再紹介させて頂いた次第である・・・・・。 ![]() ◎設計:関根要太郎、山中節治(関根建築事務所) ◎施工:木田保造(木田組)? ◎竣工:大正11(1922)年 ◎解体:平成23(2011)年7月 ◎構造:鉄筋コンクリート造2階建て ◎旧所在地:函館市末広町16 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▼PCでご覧の方は下のMoreをクリックして頂くと、続きの写真をご覧になれます。 More ▲
by sy-f_ha-ys
| 2016-01-16 08:16
| ◆大正モダン建築探訪
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