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![]() ・・・・・大正10年函館大火後の復興事業について(その8) 当ブログでは今年の9月より大正10年函館大火後の復興事業についてと題し、この大火前後に函館に携わっていた関根要太郎(1889~1959)、木田保造(1885~1940)、中村鎮(1890~1933)の在京の3人の建築家の活動、そしてこの大火後の復興事業の目玉ともいえる函館銀座通りに建てられた耐火建築群を紹介してきた。 これまで解説してきたように、大正10(1921)年大火後に函館でおこなわれた復興事業は、地元政財界人や地主などが中心となり結成された〔火防設備実行委員会〕が中心となり、この委員会のアイディアにより計画が開始されたもの。また函館区は復興建築の建設に当たって、当時最新の技術であった鉄筋コンクリートや鉄筋コンクリートブロックなどの耐火素材での建築施工を奨励。そして大正10年の大火以降、函館の商業地域の建物は、木造建築からコンクリート製などの耐火素材による建築群が街を彩る事になったのである。 また大正10年という時期的にも考えても、関東大震災の2年前。この震災後に東京・横浜でおこなわれた都市改造に比較すれば規模的には小さいものだが、政府などの主導ではない函館の自主的な運営だったことを考えると、とても画期的な都市計画だったといえるだろう。 そして次回からは、大正10年函館大火後におこなわれた復興事業のもう一つとも言うべき、函館十字街電停~末広町近辺に大正10年から12年ころに建てられた耐火建築などを中心に紹介していくつもりだ。ただこの十字街から末広町界隈に当時建てられた建築群の大半は、昭和9(1934)年3月21日から22日に起きた大火で延焼・倒壊したり、その後の再開発により取り壊されたものも多く現存するものは数少ない。数は限られているものの、それらの建物を巡っていきたいと思う。 ------------------------------------------------------------------------- ★冒頭の写真:大正末の末広町を写した絵葉書 〔※a〕 十字街電停方面より。中央に見えるのは旧丸井今井百貨店(大正12年築)。 ![]() 現在の南部坂下より十字街電停を撮影したもの。これらの建物はコンクリート製やモルタル塗りの準防火建築だったと思われるが、昭和9年の大火ではこれらの多くがが延焼・倒壊し姿を消した。 ![]() 1999年4月撮影。まだ市役所新分庁舎(アクロス十字街)が建設される以前のもの。 写真奥に写る塔の付いた建物は、この当時は市役所分庁舎として使われていた旧丸井今井百貨店(大正12年竣工、昭和5年・9年増築)。 また手前の白い建物は、大正10年大火後に建設された旧松下毛皮店。こちらの建物はアクロス十字街ビルの建設に伴い、2001年に解体された。 ![]() 函館末広町のランドマーク的な存在であった5階建て時代の旧丸井今井百貨店。 大正12年、当時函館で活躍していた建築家・木田保造率いる〔木田組〕の設計・施工により3階建てで竣工。竣工から7年後にあたる昭和5年、業務の拡大に伴い木田組により5階建に増築され、昭和9年大火後延焼した店内の修繕とともに、建物裏手を増築。なお昭和40年代に百貨店が五稜郭に移転したのに伴い、建物は市役所分庁舎に転用され数年前まで使われていた。 また数年前、函館市は建物の耐震強度不足を主張し、一部を3階建てに縮小する工事を敢行。その工事後、同建物は〔函館市地域交流まちづくりセンター〕に転用されている。 ![]() 左手のヱビス商会は、大正10年大火後に建設された鉄筋コンクリート製の事務所。 また右手の下見板の木造洋館は、リューリ商会というロシア貿易商の事務所として建てられたもの。明治40年代の築と紹介される事が多いが、大正10年の大火でこの周辺が全焼したことを考えると、大正10年後に建てられた可能性も考えられる。 また大正10年大火後におこなわれた耐火建築施工の事業は、末広町方面ではこの大三坂あたりまでが範囲だった。 ![]() ****************************************************** ★図版・・・・・〔※a〕→当時の観光用絵葉書、筆者所蔵 ★撮影・・・・・1999年4月・8月、2004年1月 ▼なお絵葉書を拡大してご覧になりたい方は下のMoreをクリックしてください・・・・ ---------------------------------------------------------------------- ◆大正年間の末広町を写した絵葉書 ![]() こちらは彩色の絵葉書。私の使っているスキャナーの関係上、綺麗にスキャンできませんでした。なお画面部分をクリックしていただければ、画像は粗いものの大きな画像にてご覧になれます。 またこの絵葉書内では旧丸井今井百貨店のほか3軒の建物が現存しています。そちらもはこれから紹介していきたいと思います。 ![]() こちらはコロタイプという印刷方式で刷られたもの。コロタイプについては、先日NHKの〔美の壺〕でも紹介されていましたが、画面部分をクリックしていただき大きな画面にしていただければ、その画像が鮮明である事がお分かり頂けると思います。 なお、この街並みは昭和9年の大火では殆どが灰と化してしまいました。写真左手の足場が組まれた建物だけが現存しています。そちらも後日改めて紹介していきたいと思います。
by sy-f_ha-ys
| 2008-09-01 00:07
| 6-大正10年・函館大火
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Comments(7)
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エビス商会ビル私も8月に函館行ったとき目に止まって
写真撮りましたよ。
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水道局の新しい建物が現在の十時街のランドマークになっていますが、
ここから旧市街地に入って行くぞという所に相応しくない外観なのがとても残念です。
yoshiさま、ヱビス商会は派手さはないんですが、この隣に建つ木造の川越電化センターといいコンビのような感じがしてきます。
あと破風の装飾がユニークなんで、そちらは後日紹介してみようと思います。
ayrton_7さま、確かにあの建物が完成して十字街の雰囲気はすっかり変わってしまいました。
ayrtonさんがご指摘のように、旧市街地のイメージに直結しない建物だと思います。 しかし、壁のように立ち塞がる異様な大きさですね・・・・・。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
鍵コメント様、御来訪ありがとうございます。
そちらの建物の写真ですが、ぜひ拝見させて下さい。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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