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![]() ・・・・・戦前はカフェーとして使われていたお洒落な建物 先日から始めさせていただいた、函館銀座通りのレトロ建築紹介。 今や国際的な観光地となった函館で、忘れらた存在になっている銀座通りのレトロ建築群。少し朽ちてはいるものの、北洋漁業全盛だった華やかし頃の函館を面影を今に伝えてくれる貴重な街並みは、いつ見てもノスタルジーを感じさせてくれる。 また今迄の記事をご覧になって、既にお気付きになった方もいらっしゃるかも知れないが、前5回の記事で取り上げたのは、末広町8番地と豊川町2番地の僅か数十メートルの狭い範囲。銀座通り自体300メートル程の比較的短い距離なのだが、その魅力を伝えていこうとすると切りががなくなってしまう。そして今回からは銀座通りを津軽海峡方面へと進み、末広町8番地に現存する5軒の建物を3回に分けて紹介していきたいと思う。 そういう事で今回紹介するのは、江口眼科の隣に建つ2軒の建物。左側のグレーの建物は、近頃まで地元で人気のお蕎麦屋さん〔天満つ〕の店舗として使われていたもので、地元の方には馴染の建物だろう。また最近、前店舗の左隣に当時の銀座通りの建物をイメージした、とても素敵なお店が完成し、そちらに引っ越されている。冒頭の写真を撮影した時にいろいろとお話を伺いたかったのだが、あいにくこの時は満員で新店舗の中は拝見できなかった。観光客相手のお店に殆ど行かない私としては、地元の人の活気で満ちている店があるというのはとても嬉しい事である。 さてこのお蕎麦屋さんと、右隣に建つ白のビルディング、かっては〔カフェー〕として使われていたそうである。昭和8年の地図によると、左側の建物が〔スター〕、右側の建物が〔三の糸〕というカフェーの店名が記されている。但しこのカフェー、現在の我々が想像するカフェの形態とは違い、ウエートレスの女中さんが接客してくれるというタイプのものだったという。ジャズが流れる店内で、コヒーやお酒を飲みながらウエートレスさんと語らい時を過ごしたのだろう。 またこの隣接する2軒の建物、カフェー時代はライバル関係にあったのかも気になるところだが、そこまでの詳細な記録は残されていない・・・・・。 昭和9(1934)年の函館大火前はカフェーとして大いに繁盛していただろうこの建物、銀座通りに現存する多くの建物と同様、大正10(1921)年の函館大火後に、函館区(函館の市制施行は大正11年より)の助成により建てられた鉄筋コンクリート製のビルディングである。但し、大正10年から11年に撮影された写真を見ると、この地点には木造2階建の商店が写っており、他の銀座通りのコンクリート建築より少し遅れて施工されたものと考えられる。 あと興味深いのは、前回紹介していただいたハンバーガーショップなどが入居する末広町8番地の、何軒かの商店が入居する集合耐火建築とは違い、とても間口も狭く小規模なこと。恐らく耐火建築の建設を奨励していた函館区の関係者は、各施主を尊重し集合建築や個別建築などの認可をしていたと想像される。 こちらは小規模な建物が多かったが、現在の江口眼科からバス通りまでこの2軒と同様の高さの耐火建築が当時は軒を連ね、末広町8番地の集合建築とは違った火災発生時の防火建築帯が形成されていた訳だ。このように様々な規模の建築があった事が、そののち銀座通りが一大歓楽街と発展した要因だったとも考えられなくもない。 またこの2軒の建物、カフェーとして使われていた数少ない現存建築ということと、耐火建築のタイプ的に見てもとても貴重な遺産だといえるのではないだろうか。 ![]() ◎設計:不詳 ◎施工:不詳 ◎竣工:大正11(1922)年ころ ◎構造:鉄筋コンクリート3階建て ◎所在地:函館市末広町7 ![]() 段差の付いた破風は、こののちに流行するアールデコを思わせる、いかにも大正後期らしいモダンデザイン。 ![]() 右側の建物、現在は地味な印象だが、当時は華やかな装飾が施されていたと想像される。 また写真では分かりづらいが、この建物は道路に面して少し斜めに建てられている。昔の写真を見ると江口眼科に以前あった建物が若干道路前よりに建てられており、火災を類焼を防ぐ耐火建築帯という事で、両側の建物と壁面を合わせるために斜めに建てられたようだ。見事な繋ぎ役といったところか・・・・?。 ![]() 銀座通りで注目していただきたいのが、各ビルに施された浮き彫りの装飾。 こちらは葡萄に葉物の野菜に果物と、まるで八百屋や青果店のよう・・・・・。 ******************************************************* ★参考文献・・・・「月刊・はこだでい」平成3年創刊号〔特集 レトロ函館・銀座通り〕 ★撮影・・・・・2004年1月、2006年6月、2007年3月、2008年2月
by sy-f_ha-ys
| 2008-10-12 01:44
| ☆函館銀座通コレクション
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Comments(2)
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函館銀座通りで唯一分からなかった建物が、この記事により分かりました。ありがとうございます。 カフェーだったのですね。
それと装飾ですが、ブドウの両サイドは野菜ですか(笑) これも謎でした。
0
rara380さま、当時の地図を見るとカフェーだったようです。
実を言うと昭和9年大火後、グリーンベルトやバス通り、以前の市電通りが拡張されており、特定しにくい部分も多いんですよ。 あと中央上が果物、下がブドウとサラダ菜に私は見えてしょうがないんですが・・・・(笑)
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