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![]() ・・・・・かっての函館一の繁華街・函館銀座通りに現存する大正モダン建築 先日お知らせしたように今回から〔函館銀座通り・レトロ建築コレクション〕と題し、函館市末広町・豊川町・宝来町に位置する函館銀座通りに現存する、大正期から昭和初期に建てられた現存する建物の数々を紹介していきたい。 函館銀座通りはこれまで紹介してきたように、大正10(1921)年4月に起きた函館大火後、地元の有力者らにより立案・計画されたもの。当時の函館の有力者やこの街に携わっていた建築家・技術者たちは、鉄筋コンクリートなどの耐火建築を連続して並べることにより、街の両端を海に挟まれ強風が吹くたびに起きる大火災を未然に防ぐ〔防火帯〕の目的を備えた、当時としては画期的な都市計画だった。そして函館銀座通りに計画された耐火建築の殆んどは大正11年ころには竣工。その後は東京以北最大のカフェー街として、北洋漁業華やかし函館を象徴する名所となったのである。 この函館一の繁華街も戦後になり、北洋漁業の衰退や市繁華街が五稜郭など市東部に移動していったなどの理由により、この街も活気も徐々に失われ、現在では静まり返った通りになってしまった。だが当時の建物がまだ20軒ほど現存し、かってのこの通りの繁栄を伝える語りべのように静かに余生を過ごしている。 ガイドブック等では殆ど紹介される事はないが、函館の貴重な文化遺産の一つであり、是非とも一度訪れていただきたい場所である。今回からは十字街電停付近より順を追って、これらの建築物を紹介してこうと思う。少し時間がかかりそうだが、宜しければしばらく銀座通りのレトロ建築巡りにお付き合いいただきたい。 少し前置きが長くなってしまったが、第1回目として取り上げさせていただくのは、かって〔ホテル中央荘〕として使われていたこの建物。 地元の方も旅行で函館に訪れたことがある方も、函館山ロープーウェイ乗り場の最寄駅・十字街電停後方に建つこのクラシカルな建物を目にした方も多いかも知れない。数年前までホテルとして営業していたが、かっては小野商店という呉服問屋と草刈薬局の店舗として使われていたものである。残念ながらホテルの閉鎖後、この数年は空家の状態が続いている。 一見して無骨なビルと思われるかも知れないが、細部を観察すると3階軒周りの浮き彫りの装飾などが見事。少し寸胴なイメージも受けるが、見れば見るほど愛着の湧く建物である。 これは勝手な推測だが、地元の施工業者が当時函館で活躍していた建築家の関根要太郎(1889~1959)や木田保造(1885~1940)が設計したモダンな竣工作品を真似して作ったのではないかと、私はこの建物を見るたび思っている。3階軒中央のカーブを描いた破風は大正期に流行っていた〔セセッション〕ふうなのだが、細部の装飾はどことなく和風の印象を受けたり、西欧の流行と和の伝統の間で微妙に揺れ動く幕末以降の函館文化を象徴しているようにも思えてしまうのだ。この軒中央のデザイン、施主や施工を手掛けた請負師たちの「ちょっとしたお洒落」だったのだろう。 また昭和9年に起きた函館大火では、銀座通りの建物の大半が当日の猛火により内部を焼失したというが、この建物は奇跡的に火災の被害から免れた建物だという。 その防火対策というのが凄い。当時の家主が四樽ぶんの味噌を防火扉や窓の内側に目塗りした事により、内部延焼を防いだそうである〔※A〕。当時の人達の知恵には、つくづく感心させられてしまう・・・・・・。 この建物に関して個人的な唯一の心残りは、ホテル時代に一泊しておけば良かったということ。10年前この建物に出会ったときの、開けっ放しになった1階の窓から漏れ聞こえてくる扇風機の回転音や少し割れ気味のテレビ音、そして蚊取り線香の香りが、今も記憶に残っている。 ![]() ◎設計:不詳 ◎施工:不詳 ◎竣工:大正10(1921)年ころ ◎構造:鉄筋コンクリート造り3階建て ◎所在地:函館市豊川町2‐3 ![]() カーブを描いた軒の破風部分はいかにも大正期の建物らしい。 また中央の〔丸に小〕の文字、これはかっての家主・小野商店の屋号のようだ。その両脇にある植物模様の浮き彫りも美しい。また銀座通りに現存する大正期に建てられたビルディングの多くには、このような植物や果物をモチーフとした浮き彫りが施されている。当時の左官職人たちが作り上げた街の芸術品である。 そして鉄製の窓枠がこの建物の八十数年の歴史を物語るような気がしてしまう・・・・。 ![]() ホテルが閉鎖されて数年、建物からかっての活気は失われた。 ![]() ![]() ![]() 3階窓上部の装飾も凝ったものになっており、見飽きない建物だ。 ****************************************************** ★撮影・・・・・2002年6月、2003年11月、2006年2月、2008年2月、2009年3月 ★〔※A〕・・・・「建築雑誌」昭和9年6月号より、なおこのエピソードについては〔函館の建築探訪〕北海道新聞社・1997年刊にも紹介されいる。
by sy-f_ha-ys
| 2008-10-21 00:55
| ☆函館銀座通コレクション
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Comments(11)
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この建物も職場から近く、日ごろ目にしている建物の一つです。
正直いつ取り壊されてもおかしくない。 そんな気もします。
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この建物は、有効に再利用すべきものであると思います。
銀座通りの街の雰囲気を形成する貴重な存在です。
rara380さま、アイルトンさま、
近年の函館の歴史的建造物は、空家で長年放置され、結果取り壊されるという事例が数多くあります。 銀座通りの建物は、函館市指定の景観形成建造物にも指定されておらず、今後の動向が気になるところです。 ベイエリアの観光スポットから近い箏だし、この大正レトロな通りに少しでも注目が集まって欲しいと願っております。 ![]()
何度となく前を行き来して、そのたびに「いつか泊まってみたいな」「閉まっているのかな」などと一瞬思うものの、そのまま頭から印象が去ってそのままでしたが、そうでしたか、休業してそれほどになりますか。
思えば今年の夏は、すでに玄関の屋根はなくなっていましたね。 営業していたころ、夕方など、中からもれる明かりがなんともいえぬ雰囲気だったことが思い出されます。
吉ちゃん様、私も中央荘時代のこの建物が強く印象に残っています。
休業してからもう数年経ってしまったんですよ。空家のままにしておくのは勿体ない、素敵な建物です。 ホテルが営業していた頃の雰囲気、あれは素敵でしたね。 ![]()
昭和56年8月に北海道に住んでいたとき家族旅行で泊まりましたので懐かしく拝見させて頂きました 今思えば二年後に父が亡くなったのでこの中央荘が家族て゜泊まった最後の旅館です 当日はすごい雨になり函館駅観光案内所て゜紹介していただいたのが中央荘で女将さんが駅まで迎えにきていただきました 夕飯はいかの刺身がでて美味しかったこと覚えています 函館山夜景見にロープウェイで行きましたがお天気が悪くて見ることができませんでしたね 帰ってきてからテレビで水戸黄門見たので月曜日だったのでしょう?翌日もすごい雨で石狩平野に大きな被害をもたらした北海道八月豪雨の日でした中央荘は歴史のある建物だったんですね泊まれて貴重な体験できたのですね また機会があれば泊まってみたかったです
カンタさま、はじめまして。
家族旅行でこちらに富まれた話、当時の函館の様子を想像しながら拝読させていただきました。お父様との最後に行かれた家族旅行で泊まられたというと、やはり思い出に残りますよね。 こちらのホテルは数年前まで営業していましたが、現在は空家の状態でこの先も存続できるのか不安な建物です。 そういえば私が函館でこの建物をはじめて見つけたとき、フロントから水戸黄門らしき時代劇の音が漏れ聞こえていたのが印象に残っています。十数年前の今頃の季節だったと思います。 ![]()
函館出張していた2000年に、いつも同じホテルじゃつまらないということで、いろいろなホテルに泊まっていました
わざと古びたホテルにも泊まりましたが、中央荘へも3泊しました いきなり行って3連泊で申し込んだのですが、客は1組もいないようで「1泊いくらですか?」と聞くと、「いくらがいいですか?」と聞いてきました 朝夕飯付1泊4000円くらいで泊まったと思うのですが、案内されたのは1番いい部屋だったと思います しかし窓ガラスには穴が空いた状態で、とにかく部屋の匂いが耐えられなかったです 炭のような匂いで毎寝るのに苦労したのを覚えています ご飯もあまりおいしくなく、ほとんど残した時もありました 今思うと、閉鎖になる直前だったんですね
もう10年以上前の話です様、はじめまして。
この度はコメント有難うございます。仕事やプライベートで忙しく、1週間遅れの返信になってしまった事を深くお詫びいたします。 2000年に出張の際、こちらの中央荘にお泊りになったとのこと。この当時、私は市電通りのホテルニューハコダテをよく利用していましたが、あまりにも寂れた中央荘はなかなか泊まる勇気がありませんてした。滞在時にとんでもないホテルに当たると、さすがに辛いですよね。 気が付けば、この頃を境に銀座通りや十字街にあった古いお店はすべて無くなってしまいましたね。残念だと言えばそれまでですが、何か別の問題があるのではないかと私は思いました。このたびは貴重なお話を披露していただき有難うございました。 ![]()
机の引き出しからなぜか中央荘のマッチが出てきたので、当時を思い出したのですが、普段は函館駅周辺のホテルが多かったです
駅から函館山方面ではホテル函館山、函館倶楽部、JALシティ函館くらいしか泊まったことはなかったのですが、中央荘はさすがに勇気が必要でしたね 明らかに客がいないのが分かっていたんですが、でも「ビジネスホテルでは味わえない家族的な温かさ」みたいなコンセプトで思い切って泊まったのを覚えています 拝見させていただくと、この建物は以前は別のお店だったりした時代もあったんですね 草刈薬局は、函館駅の近くにある草刈薬局が昔はこの建物で営業していたんでしょうか 他に客みたいのがいたんですが、それはそこの息子が1部屋を借りて住んでいたようで、食事のときも一緒に食べた記憶があります 前回も書きましたが、とにかく匂いが強烈で2日目に芳香剤を買ってきました 上の方が書いているような、このホテルのご飯がおいしかった頃、駅の観光案内所で紹介されてた時代に是非もう1度泊まってみたかったです
もう10年以上前の話です様、中央荘には他のホテルにはない思い出が残ったようですね。
確かに以前コメントをいただいた方のような1980年代前半と、それから20年後は周辺環境の変化もあったでしょうから、サービスの低下も致し方ないことでしょう。昔はこのような個人経営の小規模な旅館が多勢を占めていたのですから、それぞれにサービスを競っていたのでしょう。 建築的には耐用年数を過ぎていますし、そろそろ見納めなのかもしれません。
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