by ヨウタロウ研究員
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・・・・・建築家・小南武一設計作品探訪(その2) 今回も現在校舎解体の危機に瀕している函館市立弥生小学校・校舎(昭和13年築)と同時期に建設された、鉄筋コンクリート製の校舎を紹介したい。 このブログで既に紹介してきたように、昭和9(1934)年3月21日に発生した函館大火(市内三分の二を焼失し、死者・行方不明者は2500名以上にのぼった)以降、函館市では防火目的の復興小学校が5校建設される事になった。そして今回取り上げる函館市立的場中学校もその中の一つで、昭和11(1936)年11月、建築家・小南武一(1897~1976)が課長をつとめる函館市建築課の設計により、函館市立的場尋常高等小学校の校舎として落成したもの。今年で築72年を迎える、歴史ある校舎である。 この時は前回紹介させていただいた函館市立青柳小学校(昭和10年築)を見学したあと、青柳町電停から市電に乗り、亀田川沿いの昭和橋電停で下車した。的場中まで向かうには少し遠回りなのだが、今回は的場中と同じく見てみたいものがあって、この電停で降りることにしたのである。 それは〔グリーン・ベルト〕と呼ばれる防火帯。地元の方以外には馴染みがないかも知れないが、昭和9年の函館大火後に火災が発生したとき類焼を食い止める為に造られた緑地帯で、昭和9年の大火で焼失した区域を中心にこの防火帯が設置されている。市内を移動している時には印象が薄いかも知れないが、今頃の季節に函館山に上って市内を見渡してみると、文字通りの緑の帯が函館の街中に張り巡らされているのをお分かり頂ける筈だ。これも貴重な函館の遺産の一つである。 今回、的場中を見学するためにグリーン・ベルトに立ち寄ったかというと、この校舎が興味深い場所にあったからだ。この的場中は、このとき私が歩いた〔堀川広路〕というグリーンベルトと、〔日の出広路〕という千代台から日乃出町の海岸沿いを結ぶグリーンベルトが交差する場所に建てられていたからである。 ぱっと見は、防御重視で無口なデザインにも思えるが、階段室の丸窓や細部のデザインなど、小南武一がこののち設計を手掛ける弥生小学校のようなデザインが用いられている。校舎内を見ていないので何とも言いがたいが、校舎内も配慮の行き届いた設計がされているのではないかと私は想像する。 下に掲載した竣工時の新聞記事の写真を見ると、竣工当初は函館市の郊外に突如として現われた場違いな巨大建築だったと思われる。しかし現在は、周辺のグリーンベルトの木々と調和し落ち着いた佇まいを感じさせ、町の生活の風景の一部になっていた。小南武一は、この校舎の何十年後の周辺環境を考えて、この校舎を設計をしたのではないかと思えてきてしまった。 ◎設計:小南武一(函館市建築課) ◎施工:森川組 ◎竣工:昭和11(1936)年11月 ◎構造:鉄筋コンクリート3階建て ◎所在地:函館市的場町12 -------------------------------------------------------------------------- 右側の丸窓の部分が階段室。この丸窓、昭和9年函館大火後に建設された復興小学校の校舎に必ず使われているデザイン。この裏側は確認できなかったが、弥生小など他の校舎から推測すると四角形の窓になっていると思われる。設計者の小南は、校舎内からの陽のあたり方を計算して、このような可愛らしい丸窓を設置したのではないかと私は考える。 また左側の出っ張った部分には、各階へストーブの燃料(石炭)を運ぶためのリフトが取り付けられていたようだ。 一見無機質な校舎だが、このような洒落た装飾も施されている。 的場中の校舎はグリーンベルト(防火帯)が交わる場所に置かれている。木々のあいだに見えるのが的場中の校舎。火災発生時の緊急避難場所ということが念頭に置かれた建物である。 ※この建物は公立学校の校舎ですので、見学に際してはマナーを守った行動をくれぐれもお願いします。 ******************************************************* ★既に取り壊された昭和9年函館大火後建設の復興小学校 この大森小学校は昭和12年6月、函館市建築課・小南武一の設計により竣工したもの。 現在の函館市大森町・大森浜沿いにあった。 ------------------------------------------------------------------------- ●大森小学校の落成を伝える当時の新聞記事 記事によると、『敷地の関係上変化に富んだ設計がされており、それが教育上効果をもたらす・・・・』という紹介がされている。『教育上効果をもたらす・・・』という事項は、設計者の小南武一にとっては、弥生小をはじめとする復興小学校設計にあたり念頭に置かれていた事だったのではないかと考える。 また大森小学校の竣工で、昭和9年の函館大火後に計画された青柳・高盛・東川・的場を含む鉄筋コンクリート製の復興小学校舎5棟全てが完成。そしてこの頃、弥生小学校の建築計画がちょうど練られていた時期でもあった。 ******************************************************** 〔出典:3〕・・・・『函館新聞』昭和11年11月14日記事より 〔出典:4〕・・・・『 〃 』昭和12年6月13日記事より ※撮影・・・・2009年6月(写真差し替え)
by sy-f_ha-ys
| 2008-07-27 01:07
| ☆函館の復興小学校
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Comments(39)
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rara380
at 2008-07-26 15:18
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僕が中学の頃、この的場中はマンモス高で有名でした。
また当時としてはグランドが2ケ所あるなど他校では考え られない設備をもっていた。 サッカーと野球が同時に練習できるなど、わが母校では考えられない。 ちなみにわが母校ではサッカー、野球。陸上と、ごじゃまぜでした。
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sy-f_ha-ys at 2008-07-26 22:43
rara380さま、この周辺は宅地も多いですし、マンモス校だったというのも頷ける話ですね。
2つのグランドも見てきましたが、グリーンベルトの緑と連なっていて、羨ましい学校環境でした。 ところでrara380さんは、海沿いの学校に通われていたんですか?、あの辺りは風が強い日などは大変そうですよね~
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gy1117 at 2008-07-26 22:57
火災の教訓から
いまだに現役で使えるくらいのしっかりとしたコンクリート作りの校舎やグリーンベルトなど 当時の人々の知恵が組み込まれた街は 素晴らしい環境となり、素晴らしい街並を作り 色んな所に歴史の重みを感じられますね。 是非とも かつての多くの人々の生活の営みの足跡を大切にして欲しいですね。
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sy-f_ha-ys at 2008-07-26 23:10
gy1117さま、こんばんは。
gy1117さまの仰るとおり、函館の街は先人の人たちの知恵と努力で現在のような素敵な街並みを形成しているのだと思います。 別にアピールしなくても、街の品格は自然と訪れる人たちの心に染み込んでいるんじゃないかと思います。 そういうものを簡単に失くすというのは勿体無いことですね!
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rara380
at 2008-07-27 13:52
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校の字が変換ミスで高になってましたね。お詫びして訂正致します。
さて、僕が通っていた中学は海沿いではありませんが、確かに風が強く 大変であったようです。 函館の場合、他の地域に比べて鉄筋コンクリート校舎が早くに建設されましたが、それはやはり数多くの大火があったことと関係があるのでしょうね。
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sy-f_ha-ys at 2008-07-27 21:20
rara380さま、何かの本で読んだのですが、法律が制定され正式に鉄筋コンクリート製校舎の建設が推奨されたのは戦後になってからだったそうです。
ちなみに埼玉県は昭和30年代初頭、鉄筋コンクリート製の公立小中学校・校舎は十数棟しかなかったそうです。やはり函館は大火という問題を解決するため、コンクリート製の校舎建設が急務だったのでしょう。
写真を整理していたら、防火帯の写ってるものがありました。
sy-f_ha-ys さんのこちらの記事を参考にして、私のブログで取り上げさせて頂きました。(上記リンク先です) 名古屋にも100メートル道路と言う、幅の広い道路を兼ねた防火帯があります。空襲で焼夷弾による火災が広がらないように・・・と作られたものだそうです。 先人達の知恵や工夫、歴史の重み・・・素晴らしいものを残してくれたことに感謝ですね。
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sy-f_ha-ys at 2009-08-16 20:58
てっちゃん様、お久しぶりです。
写真を拝見しましたが、防火帯の緑が文字通りグリーンベルトになっており、ちょっと感動していまいました。 今年6月に的場中を再訪しましたが、グリーンベルトの木々に改めて圧倒されました。当初の計画では人見町方面にも伸びる予定だったそうですよ。 名古屋の100メートル道路は何度か聞いたことがありますが、太平洋戦争時に設置されたとは知りませんでした。でも人工的なものより、自然が天災(人災)を守ってくれるというのも考えようによっては凄いことです。
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at 2009-09-17 03:56
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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sy-f_ha-ys at 2009-09-17 22:57
函館的場方面の鍵コメントさま、はじめまして。今回はコメント有難うございます。
的場中はグリーンベルトが交わるポイントで、函館にある他の公立学校とは違う情緒があり、こういう学校に通っていたら自分の心の中に絶対刻み込まれるだろうな・・・・、とこの写真をふと思ったものです。 廊下が弥生小などと同じくアーチの梁になっているとは聞いたことがありますが、体育館も素敵な装飾が付いているとははじめて聞きました。 私の母校は耐震工事のため、無残な姿になってしまいましたが、卒業から年数が経ってもきちんと校舎が残っているのは、やはり嬉しいですよね。
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思い出^^
at 2009-11-22 04:45
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実はこの学校の卒業生です。。
たまたまこの記事を見つけて、グリーンベルトの事気づきました。。在学中はぜんぜん、、知りませんでした。 環境は良いとこでした。なんだか懐かしい気持ちになりました。。 口の字の真ん中はテニスコートになってるんですよ^^
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sy-f_ha-ys at 2009-11-22 06:13
思い出^^さま、はじめまして。
今回ご覧頂いている写真は今年の夏に撮影したものですが、グリーンベルトの緑に囲まれて経つこの中学校は本当に素敵ですよね。 函館山からグリーンベルトを追っていけば、的場中がすぐ見つかりそうですよね。 本当に素敵な場所です(^v^)。
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生徒会長
at 2011-09-13 12:07
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懐かしくて見入ってしまいました。
的中の元生徒会長です。 中も素敵なんですよ。廊下は腰壁になっています。下部はいい色の木材。上部は真っ白の素焼きの様な壁です。 梁?の部分がアーチ状になっていて植物のレリーフがありました。 体育館のステージも袖もなく狭いものでしたが、周囲のレリーフはクラシック見事。生徒の自慢でした。 ちなみに、建設当時は和服の生徒も多かったとかで、階段の高さがとても低く、一段飛ばしで上がっていましたよ。丸窓のあの階段です。
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sy-f_ha-ys at 2011-09-13 20:10
生徒会長さま、はじめまして。この度は拙プログにコメントいただき誠に有難うございます。
戦前に函館に建てられた小学・中学校舎というと、私は今は無き弥生小の校舎しか内部を見学した事がありませんが、生徒会長さまの仰る校舎の素敵な箇所は、弥生小のデザインから何となく想像できます。機会があれば、是非一度中をゆっくりと見学してみたいものです。 あと戦前築の小学校舎は階段がとても緩やかな作りになっているのが、とても多いです。さりげない子供たちへの配慮というのが、とても良いですよね。
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元生徒会書記
at 2016-03-09 14:42
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元生徒会長というペンネームを見たので敢えて的場在籍時の生徒会やってた時の肩書にて。
卒業して早や三十余年・・ 教職員用玄関に施錠がされるようになってからも何度か中に入らせてもらいましたけど、 極端に何かが変わってる訳でもなく、床の補強とかくらいしか気にならなかった感じでしたけど、とうとう改築になってしまうんですね。 それにしても、凌雲・光成との併合で的場が存続校として残るというのも寂しい気がします。 ところで、資料室の中に保管されてる筈のロンドンタイムスで取り上げられた大昔のニュースの使用はまだ残ってるんでしょうかね?w 知ってる人の方が少ないかも知れませんが。
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sy-f_ha-ys at 2016-03-09 20:38
元生徒会書記さま、はじめまして。
本日は当ブログにコメント下さり、誠に有難うございます。 先ほど函館市教育委員会のホームページを見て、中学校の統廃合の件を知りました。 それ以上のことは書いてありませんでしたが、歴史ある的場中の校舎は解体という事になるのでしょうか?。
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at 2016-03-14 14:45
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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sy-f_ha-ys at 2016-03-14 22:21
兵庫の鍵コメントさま、お久しぶりです。
一昨年に年賀状を出した時に、新居から出させて頂いたのですが、前の住居とこちゃまぜになってしまったようですね。後日、改めてメールを送らせて頂きます。
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丸窓からの函館山
at 2016-06-08 19:00
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今年、的場中学校は光成中学校と凌雲中学校(旧中央中学校)と統合され建て替えることを聞いて少子化とは言え
寂しい思いがしています。今年3月にクラスメイトとともに的場中学校を訪問し、懐かしい校舎に47年前の思い出が 蘇り、体育館にある木彫りの「自主勉励」が自分の心に残っています。的場の名前が消えていきますが精神が忘れない 用にしていきたいと思っています。
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sy-f_ha-ys at 2016-06-10 15:41
丸窓からの函館山さま、はじめまして。
この度は私のブログにコメント頂き、誠にありがとうございます。 的場中学校ですが統合され、校名がなくなり、 更に校舎も近々解体されるとは、とても残念ですね。 5年前の東日本大震災を機に、戦前に建てられた古い校舎が、 存続し現役の学び舎として使われ続けるのは、かなり難しくなっています。 この校舎、昭和9年の大火を教訓にして建てられたものですが、 そのようなスタートの歴史をはじめ、卒業生・在校生の皆さんの思い出を、 何かしらの形に残せれば良いですよね。 なくなった弥生小の前校舎をはじめ、あの丸窓からの眺めは、 皆さんの心の中に生き続けると信じます。
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丸窓からの函館山
at 2016-06-12 13:09
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早速お返事頂きましてありがとうございます。近くクラス会を開く予定で撮った写真をみんなで見ることにしています。ところで3年間も通ってて誠にお恥ずかしい事ですが、正門の前の門柱にトロフィーのようなものが埋め込まれているのですが何か謂われなどご存じの方がいらっしゃいましたならご教示いただければ幸いです。
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sy-f_ha-ys at 2016-06-12 19:19
丸窓からの函館山さま、こんばんは。
クラス会のために写真をお撮りになったそうですが、通っていた函館山さんならではの素敵な写真がたくさんできたと、私は想像してしまいました。この校舎で学んでいた人同士だから分かり合えるのが、母校の素敵なところですよね。 さてご質問のエンブレムというのは、玄関上のテラコッタらしき装飾のことでしょうか?。どのような意味があるかは私も分かりませんが、弥生小、青柳小、高盛小など昭和9年大火後に建てられた校舎に、優しい気分になるようなさりげないワンポイントの装飾やデザインが幾つか見受けられます。鉄筋コンクリート造のため無個性になりそうな校舎に、アクセントを付けているのでしょうか。これらの校舎を設計した函館市の職員は、昭和9年の大火で甚大な被害を受け、意気消沈していた子供たちを励まそうとしていたのかなと、私は想像していました。
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元生徒会書記
at 2017-09-12 10:48
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ちょっと待て。
このリリースは何だ? 的場の名前すら消えるのか? この決定はないわ。 https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014031700301/ 平成30年4月に開校予定の凌雲中・光成中・的場中の統合校名が,平成28年第1回市議会定例会において 3月15日に議決されました。 統合校名は,「函館市立巴中学校」です。
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sy-f_ha-ys at 2017-09-12 19:09
元生徒会書記さま、コメント有難うございます。
私は函館の人間ではないので詳しくは知りませんが、的場中の名前が消えてしまうのですか。 他の学校を考慮しての事でしょうが、巴という名前はあまり工夫がないような気もします。 少子化の現在、どの地域でもこのような現象が続くと思います。
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元生徒会書記
at 2017-10-02 15:09
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元生徒会書記
at 2017-10-02 15:16
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sy-f_ha-ys様
コメントありがとうございます。 某元首相の地元の話ではないですけど、 議会の議決を覆させるほどの力のある議員もいない田舎町ですし、 更には議会よりも地主の方が発言力の高い田舎町なので仕方のない話でもありますが、 的場町にある的場中学なのに的場の名が消えるのは寂しいですね。 ついでに言えば、元生徒会長さんもご存知かとも思いますが、 ロンドンタイムスの記事で海外デビューした新川での他校との大喧嘩・・ 勿体無いと思いますよ。w
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sy-f_ha-ys at 2017-10-02 20:10
元生徒会書記さま、コメント有難うございます。
校名と言えば、地域や多くの卒業生の思い出が詰まっているわけで、 簡単には消すべきはないのは、書記さまの仰る通りだと思います。 それで「巴」になったのでしょう。お役所らしい選択ですね。
的場がなくなるって話に続いて、小学校も統廃合の嵐らしいですねぇ~
母校は存続校として残る事になりましたが(校舎新設から一番新しい校舎ですし・・)、千代台小学校がなくなるのは勿体ない。 原因が原因なだけに仕方ないけど・・ 確かに自分たちの代は公務員官舎(国鉄含む)だけで、小学生の徒歩30分圏内に小学校が3校もある密集地帯でしたが・・ URLは[第2グループ統廃合について]です。
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sy-f_ha-ys at 2017-12-30 19:49
元生徒会書記さま、平成も終わりに差し掛かった現在、
都市部のほんの一握りの地域を除いて、児童数減少は顕著ですよね。 私が暮らす東京郊外の町も、昨今のマンション建設ラッシュで、 小学校は定員いっぱいだそうです(しかも10年前に校舎を大増築しています)。 逆に私が育った東京北部の町は、昭和40年代に開発されたこともあってか、 子供世代が巣立ち、親世代たちが多く残ったため、小学校の定員割れが続いています。 函館の的場周辺と同様、徒歩30分圏内に小学校が3ありましたが、 辛うじて1学級2クラスを保っている状態です。 これが日本の現状のようですね。
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オガタのS
at 2020-08-08 20:09
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先日は尾形の件でお世話になりました。旧北海製罐函館工場がGLAYのPVで使われていると知り、もしかして…と思って見てみたら、やはり載っていました母校!定かではないのですが、アニメ『ダイヤのA』の「疾走れ!ミライ」の動画で使われている校舎は、的場中ではないかと思うのです。2階か3階の廊下や教室が、あまりにもそっくりです。自分は12年以上この学校にお世話になり、特別愛着がありました。壊れて行くのを毎日見ていましたが、確かに体育館は頑丈で解体にかなり苦労していました。昔はマンモス校だったので、懐かしくて色々検索し、ヨウタロウ研究員さんのブログに辿り着いた卒業生は数知れず…と思います。門柱のトロフィーのようなもの、私も気になりスマホに残してありますが、永遠の謎。因みに写真のグリーンベルトは目の前です。研究員さんが家の近くまで来られた、という事実にオドロキです!!
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sy-f_ha-ys at 2020-08-09 18:11
> オガタのSさま、
的場中の出身でしたか。昭和9年の大火後、函館では市内各地に鉄筋コンクリート造の校舎が建てられまして、的場中もその一環で建てられたものです。的場中の面白いところはグリーンベルトが交わるところに校舎が建てられまして、火災発生時に緑地帯沿いに避難していくと、この校舎に辿り着き火災から身を守ることができるような仕掛けになっています。 それとこの当時、函館で建てられた小学校(弥生・青柳・高盛・東川・大森・的場)はデザイン的に似ておりまして、もしかしたらいずれかの一つの校舎を参考したのかも知れませんね。私は弥生小の校内しか入ったことはありませんが、アーチ型の梁が付いた廊下は素敵でしたよ。 私の記憶が正しければ訪問は11年前の初夏で、函館国際かリソル(フィットネス330)のいずれかのホテルで自転車を借りて、巡ったと思います。あの頃は気合も体力も充実していましたね。次回の函館旅行も自転車借りて、いろいろと愛ってみようかなとも思いました。
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オガタのS
at 2020-08-09 21:38
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現在児童公園となっている写真の場所は、私が子どもの頃は苗圃でしたし、グリーンベルトの続きという意識は全くありませんでした。なるほど~!避難することがないのが一番ですが、ちょっと心強い!!校舎の中はやはりデザインが美しく、アーチが折り重なるように見える玄関の辺り、体育館ステージを取り囲んでいる白い枠のレリーフ模様、重厚な感じの手すり…全てがステキでした…と、大人になってから気づきました。中学生の頃は当たり前すぎて…もったいない!(閉校見学会の時、かろうじて写真に残しました。)元々の校舎に屋根はついておらず、金網で囲まれた屋上がありまして、自分が子供の頃の中学生の皆さんは、そこで日向ぼっこしていたように思います。
全国から寄せられるコメントに返信するのも大変ですね。ありがとうございました。※近くの高盛小もついに壊れました。
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sy-f_ha-ys at 2020-08-10 18:15
> オガタのSさま
グリーンベルトは市街地で通り過ぎるより、木々が生い茂った今の季節、函館山の上から見ると「なるほど」と実感できますよ。函館の町の歴史は耐火建築を推奨したり、道路の道幅を広げたり、消防水利を充実させるなど、様々な工夫がされましたが、防火林という自然の力が耐火の最大の武器となったのはなかなか興味深い話です。 私の通った小中学校は高度成長期に建てられた、いかにもと言った校舎でしたが、年季は入ってますが、様々な配慮がなされた学校に通っておられた尾形さまが羨ましく思えます。それと高盛小も解体されましたか?。あちらも素敵な校舎だったので残念です。 ブログを始めて13年が経ちましたが、色々な方と交流できるのは最大の楽しみです。InstagramやTwitterに押され過去の産物となりつつありますが、まだまだこちらで頑張って行こうと思っております。
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オガタのS
at 2020-08-10 20:00
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コロナで仕事が暇だったこの春、何度か自転車で函館山の方の称名寺まで行き、そこから観音コースを登りました。山頂は人がスカスカなのでゆっくりと説明書きを読んで、グリーンベルトのことを実はその時初めて知りました。そこに研究員さんのブログ!うちの前の公園もグリーンベルトのひとつであること、的中がグリーンベルトが交わるところにあることまで知ることになろうとは!!う~ん、今年は何かとすごいゾ!観音コースはちょっとワイルドなコースで、人生初オオスズメバチと出会ったので、昆虫の活動が少し治まる頃にまた登って見てみますね。自分はネット音痴な上、SNS等あまり興味なく、このようなコメントも殆どしません。でも、他のところでまたちょっとだけ出没するかもしれません。
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オガタのS
at 2020-08-11 18:27
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先程高盛の前を通ったら、壊したのは一部でまだ残っておりました。訂正いたします。研究員様、卒業生の皆様ごめんなさい。
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sy-f_ha-ys at 2020-08-11 18:33
> オガタのSさま、
函館山へは10数年前に、何度か徒歩で登ったことがあります。一度はロープウェイ下の登山道の往復、残りはその登山道から御殿山の要塞跡を見て立待岬方面へ下山したのと、オガタさまのお話しに出た観音山コースです。しかし急な下り坂に下山しあと、帰京するまでの残りの日々は膝が笑った状態になってしまいました。300メートルという海抜に油断していましたが、冷静に見ると函館山は絶壁に近いかなりの傾斜ですよね。 というか自転車で称名寺までも、かなりハードですよ(笑)。スズメバチは刺されたら後が大変ですから、秋になってからですよね。
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sy-f_ha-ys at 2020-08-11 19:40
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オガタのS
at 2020-10-18 18:59
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(・・・つづき)今日の登山は、函館山の上からグリーンベルトを見ることも目的のひとつだったのですが、なんと愛用の野鳥観察用双眼鏡を忘れて行ったので、旧的場中(現巴中)がどの建物なのかよく見えずバカでした。でも、グリーンベルトが交わるところだからアレだろうな~と大体はわかりましたので、目的は達成・・・されたことにします。
ところで高盛小ですが、いよいよ囲いができて「9月から来年3月まで解体工事」と表示が出ています。まだ本体は残っていますが、見慣れた風景が色々変わって行きます。
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sy-f_ha-ys at 2020-10-18 19:40
> オガタのSさま
グリーンベルト観察、お疲れさまでした。かという私も函館山に上ると、真下に見える現存する関根要太郎さんの設計作品をチェックしたり、既に取り壊された関根さんの設計作品があった場所を辿って、若き青年建築家の足跡を辿って感慨にふけっています。それとトラピスチヌ修道院が建つ森を探すのも、ここ数年のブームです。 函館山へは夕方にロープウェイで登り、日暮れまで待合室で町並みを眺めるのが常です。旅行するたびマニアックな解説を聞かされている妻は、NHK教育テレビや放送大学を聞き流しているような感覚なのか、適当な返事しか返ってきません(笑)。多分夜景待ちの時間も、自覚症状はありませんが、マニアックな話をしているのでしょうね。 高盛小、解体用の工事フェンスが作られてしまいましたか?。天気が良ければ最後の姿を撮影しに行きたいと思います。本日はコメント有難うございました。
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