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![]() ・・・・忘れられた存在?、大正15年竣工のかっての地場銀行本店 函館有数の絶景ポイントとして名高い八幡坂。坂上からの風景はよく知られているが、今回はこの長い坂の下に建つ地味なオフィスビルを紹介してみようと思う。 まず冒頭の写真をご覧いただいた殆どの方が、『何の変哲もないビルじゃない?』と思われたかも知れない。案内する私も、地味な建物と思うのが正直なところだ。一見すれば昭和30~40年代に建てられたとも思われるだろうこの無表情なビル、実を言うと大正15(1926)年12月に函館貯蓄銀行の本店として竣工したもので、今年で築82年を迎える長寿ビルなのである。 そういう事で、今回は地味過ぎて存在を忘れ去れているかっての銀行本店にスポットを当てていきたい。 ![]() ◎設計:不詳(木田保造?) ◎施工:木田組(木田保造) ◎竣工:大正15(1926)年12月20日 ◎構造:鉄筋コンクリート2階建て ◎所在地:函館市末広町22‐1 ------------------------------------------------------------------------- ★函館商人の意地で建てられた、百十三銀行の兄弟店舗 函館貯蓄銀行は大正期、函館の地主である相馬家が百十三銀行と共に経営していた銀行。当時の古写真や地図などを見ると、以前から八幡坂下に本店を構えていた。また外観は木造下見板の洋風建築で、写真を見る限りでは大三坂下に現存する旧リューリ商会(川越電化センター)に似た雰囲気の建物だったようである。 現代の我々からしてみると、先代の木造洋館の店舗が残っていて欲しかった・・・などと思ってしまう。しかし当時(大正末)、木造の洋館から鉄筋コンクリート製の本店へ建て替える様々な事情があった。 まず最初の理由は火災。これは以前にも何回か紹介させていただいたが、函館は街の両側を海に挟まれ風が強い日にひとたび火災が起きると瞬く間に類焼し、街全体を焼く大火災になる事が十数年に1回の割合で起きている。そしてこの銀行が建てられる5年前(大正10年)に起きた大火を機に、函館でも本格的に不燃素材である鉄筋コンクリート建築の重要性が認められ、市内各地にコンクリート製のオフィスや商店が相次いで建てられている。しかし、函館の地場銀行である函館貯蓄銀行と百十三銀行は火災の被害もなく、以前の木造店舗を使い続けていた。 だが、大正13年の8月、八幡坂下にあった勝田旅館という、今でいうところの函館屈指のビジネスホテルから火災が発生し、八幡坂下から基坂下の市電通りから海側にあった建物の大部分が延焼してしまう。この時も函館貯蓄銀行の建物は無事だったが、さすがにいつ起きるか分からない火災に堪り兼ねたか、遂に重い腰を上げ鉄筋コンクリート製の新店舗建設に踏み切った。 また時を同じくして、函館貯蓄銀行の系列である百十三銀行も筋向いに鉄筋コンクリートの新店舗を建設する事を決定。大正14年から15年にかけてこの二つの建物が同時に建設されたのである。 ちなみに大正末、函館市内には第一銀行函館支店(現在の函館市文学館)や、不動貯金銀行函館支店(現存せず)、函館無尽、富山に本店を置く十二銀行など、鉄筋コンクリート製の豪華な店舗が建設されており、業績が傾きつつあった函館貯蓄・百十三の両銀行は、新しい店舗建設を経営回復の起爆剤の材料にしたかったのかも知れない。これが私の考える二つ目の理由である。 ちなみに函館貯蓄銀行の施工は、函館ゆかりの建築家・木田保造(1885~1940)率いる木田組が担当。また当時、木田組は函館貯蓄銀行の本店のほか、百十三銀行の函館本店、東京日本橋の百十三銀行東京支店の施工も請け負っている。 また百十三銀行の本店、及び東京支店の設計は、建築家の関根要太郎(1889~1959)がおこなっており、同時期に建設された函館貯蓄銀行本店の設計も、関根が関与したのではないかとも考えられるが、残念ながらそれを裏付けるだけの物証がない。 そして百十三銀行本店は大正15年11月、函館貯蓄銀行本店は大正15年12月に新店舗にて営業をはじめたが、超モダンな百十三銀行に対して、函館貯蓄銀行はオーソドックスな銀行らしいデザインになっている。施主や設計を手掛けた建築家たちはこの対比に何を込めたのか、いろいろと想像してしまう。 大正という時代の終わりに、函館の商人たちは八幡坂下に立派な銀行店舗を建設した。しかし昭和に入り百十三銀行は完全に経営状態が悪化し、小樽に本店を置く旧北海道銀行に吸収合併され、函館商人の意地が作り上げた銀行店舗の栄光の期間は長く続かなかった。また函館貯蓄銀行はその後も終戦間際までよその銀行に吸収される事もなく、地場銀行の本店として営業し続けていたという。 戦後、函館貯蓄銀行の旧本店の建物は、フェリー会社の事務所などとして使われていたそうだが、今から二十年ほど前に地元企業のSECが旧百十三銀行本店とこの建物の二つを取得。今年で築82年を迎える二つの建物を現在も大切に使っておられる。完全に忘れ去られた存在である函館貯蓄銀行本店の建物を、地元の文化遺産として大切に再活用されているSECに関しても、もっと評価されて良いと思うのだが、最近ではこれらの事に関して殆ど紹介されないのが現状である。 また函館にこのような建物があってこそ、この街並みが際立っている筈だし、そして函館の歴史をより深く伝える切っ掛けになるのではないかと私は考える。観光ガイドに紹介されているもの以外にも、この街の魅力は色々なところに転がり生き続けていると思うのだが・・・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() こちらは函館貯蓄銀行と兄弟建築ともいえる百十三銀行のかっての本店。 こちらのモダンデザインと、旧函館貯蓄銀行のオーソドックスなデザインの対比が面白い。 ******************************************************* ★撮影・・・・2009年3月・6月(差し替え)
by sy-f_ha-ys
| 2008-06-19 00:30
| ■木田保造作品〔函館〕
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Comments(4)
旧百十三銀行本店が、そんなに古い建物だと思っていませんでした。
古い景観を壊さないように作られた新しい建物だと思っていたのです。 それぐらい時代を超越した優れたデザインだと思います。
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アイルトンさま、今回紹介した旧函館貯蓄銀行、そして筋向いにある旧百十三銀行は、築80年を過ぎた歴史的建造物なんですが、その存在について殆ど紹介されていないのが現状です。
若き建築家が設計した超最先端のデザインの建物でも、この街の新しい文化として引き受けた当時の函館って凄い街だったと思います・・・・。
gy1117さま、私も今回紹介した建物が、こんな古い建物だと知ったのは、函館へちょくちょく訪れるようになってしばらく経ってからの事でした。
脇役的存在ですが、こういう名優建築?があるこそ、函館って素敵なんだろうな~、と私は思います(^;^)
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