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![]() ◎元設計、リャヒャルト・ゼール〔Richard Seel〕、デ・ラランデ〔Geoge de Lalande〕 ◎施工:佐藤誠 ◎竣工:明治41(1908)年 ◎構造:煉瓦造り2階建て ◎所在地:函館市船見町17‐3 竹内結子・吉沢悠主演の映画〔星に願いを、2003年公開〕のロケにも使われていた、函館市船見町の高台に建つ旧ロシア領事館。この映画では交通事故で命を失った吉沢悠演じる盲目の青年・天見笙吾が、この世に蘇り自宅の旧ロシア領事館がある幸坂を駆け上っていくシーンが印象的だった。この旧ロシア領事館、函館に現存する歴史的建造物のなかでも、独特の存在感がある建物で、この映画のストーリーにぴったり合った設定だったと思う。 しかし、存在こそはガイドブック等で紹介されているが、旧ロシア領事館の建設に纏わる話は殆ど知られていないのが実情である。この旧ロシア領事館は、京都・同志社大学クラーク記念館(明治27年築)の設計で知られる、ドイツ人建築家リヒャルト・ゼール(1854~1922)が明治36年に設計を担当。同年に帰国したゼールに代わり、神戸・風見鶏の館(旧トーマス邸、明治42年築)の設計者として名高いドイツ人建築家G・デ・ラランデ(1872~1914)が仕事を引き継ぎ、明治39年に竣工した。但し、翌40年の函館大火で領事館は焼失、明治41年の暮れ函館の棟梁・佐藤誠の手により焼失する以前のロシア領事館にほぼ近い形で再建されたのが、現在見られるこの建物である。なお竣工当時は、屋根は瓦葺で、正面玄関上には小さなバルコニーがあった。あと写真でご覧いただいている、屋根から〔ツクシ〕のように飛び出した煙筒も後年取り付けられたものである。 この旧ロシア領事館は『ロシア様式の建物・・・・』と紹介される事が多い。しかし、建築ウオッチャー歴?をそれなりに重ねて、私が至った結論は濃厚なドイツ風味の作品という事である。 実を言うと、旧ロシア領事館を取り上げるのは今回で三度目。たびたび私のブログにご訪問していただいている方は、『またか~』と思われるかも知れないが、今回は旧ロシア領事館建設に纏わる研究をされた方の論文を紹介したく、再びこの建物を取りあげる事にした。 その論文とは、清水恵さん(1959~2004)が、平成9年に〔地域史研究はこだて〕で発表された『日露戦争及び明治40年函館大火とロシア領事館・・・・在ロシア資料より』である。この論文を執筆された清水恵さんは、残念ながら3年前に45歳という若さでこの世を去ったが、函館とロシアの交流を丹念に調査されていた方だ。 私も以前、何回か清水さんの論文を目にした記憶があるのだが、本格的に関心を持つようになったのは、清水さんが亡くなった後に発表された論文集を函館在住の方に勧められた事による。論文集はまだ私も未入手なのだが、ホームページでそれらの研究成果が紹介されているので、関心がある方はそちらをご覧いただきたい。旧ロシア領事館建設に関する資料も詳細に紹介されているのだが、この論文は非常に価値の高いものだと思う。 清水さんがこの論文を発表されて10年が過ぎようとしている。しかし、旧ロシア領事館の設計をゼールとデ・ラランデという著名なドイツ人建築家が手掛けたという事への、認知度がまだ低いのが実情である。函館市もこういう史実をもっと地域活性化の材料として使えばいいのだが、高台にあるドイツ風の洋館より、五稜郭の旧奉行所復元など、集客力のある物件への開発に忙しいようである・・・・・。 最後に、私の旧ロシア領事館の建物に関する見解を述べさせていただきたい。この建物は、函館とロシアという枠を越え、横浜や神戸の外国人居留地というコミュニティー、果ては19世紀末から日露戦争終結までロシアにより統治されていた中国・大連(その時つくられた建物の大半が、ドイツ人建築家の設計による)、20世紀初頭ドイツの租借地だった中国・青島や、上海や天津の外国人居留地など壮大なスケールで語らなければ結論づけられないと思う。 そして旧ロシア領事館は、19世紀末から20世紀初頭に西欧諸国が日本や中国へと進出し、その中でもドイツ人建築家が特に活躍していた事を象徴するかのような、ドイツ様式の作風である。また、この建物が20世紀初頭に建てられたこともあり、この当時ドイツで大流行した新しい建築様式〔ユーゲントシュティル〕への変貌の兆しがみられる貴重な作品でもある。 この建物へ対する私の関心は、まだ尽きない・・・・。 ※撮影:2001年9月・11月、2004年2月 ![]() ![]() ![]()
by sy-f_ha-ys
| 2007-10-21 23:52
| ◆明治モダン建築探訪
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Comments(2)
「星に願いを」は今年に入ってから、ようやくDVDを借りて見る事ができました。
実は撮影している時にロケ風景を見かけていました。 竹内結子が宝くじを買うシーンや吉沢悠が公衆電話から電話をするシーンがそうです。当時を思い出しながら映画を楽しみました。
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lennonさま、あの映画に私もエキストラで参加したんですよ。
冒頭の吉沢悠が遺愛学院の道を歩くというシーンに、通行人役で参加しましたが、その日の天候が悪かったそうで、差し替えになっていました・・・。 3~4年前くらいは、函館ロケのラッシュだったようで、函館へ行く度にやまじょうマスターに誘われ、エキストラやっていました(笑)。滅多に体験できない函館訪問の貴重な思い出ですね。
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