![]() by ヨウタロウ研究員 カテゴリ
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◆このブログの写真は当サイト製作者の撮影によるものですが、それだけでは全てを紹介しきれないため、大正から昭和初期に発行された当時の書籍・建築関連の雑誌・新聞等の記事・図版を一部転載しております。またそれらの出典元になる書籍と発行日時、一部のものは所蔵元を明記させていただきました。著作権をお持ちの方には、個人的な学術研究・非営利な発表ということで、ご理解いただければ幸いと存じております。 なお、一部イラスト・写真等は、製作者・遺族の方より承諾を得て、紹介させて頂いております。 ◆当ブログ製作者は、建築業や建築学に携わっていない、素人研究家です。建築用語や構造説明に誤りがある可能性もございます。そのつど御指摘していただければ幸いです。 ◆本ブログ掲載の写真および図版、記事内容の無断転用はご遠慮ください。但し私が撮影した写真に関しては、建築保存活動や学術発表など非営利目的での使用でしたら転載は構いません(大した写真では御座いませんが・・・・)。もし使用したい写真がございましたら、その記事のコメント欄に、目的・公開先等などをご一報ください。なおその際は、当ブログの出展である事を明記お願いいたします。 ◆また本ブログの記事内容と関連のないコメント、トラックバックは削除させていただく場合もございますので、予めご了承ください。 **************** ★excite以外のリンク --------------------- ❖分離派建築博物館 ❖収蔵庫・壱號館 ❖新・我愛西安、観光と生活情報 ❖建築ノスタルジア ❖トロンボーン吹きてっちゃんの独り言 ~函館応援プログ~ ❖虚数の森 Forest of im aginary number ❖MEGU 「めぐ」を究めよう ❖建築日誌 ❖中央区立明石小学校の保存活動 タグ
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![]() この項では建築家・関根要太郎の故郷・埼玉県・秩父での経歴を紹介したい。 関根は明治22(1889)年10月22日に生まれてから、地元の郡立秩父農学校(現・埼玉県立秩父農工高校)を18歳で卒業するまでを、ここ秩父で暮らした。秩父は東京の北西部に位置し四方を山に囲まれた盆地の町で、関根が生まれた明治期は林業と養蚕業で大いに賑わっていたという。 関根が昭和11(1936)年、47歳のとき記した自伝『生い立ちから今日まで』(私家版)や、秩父で暮らす関根の姪にあたる方の話などを踏まえると、関根は秩父盆地を縦に貫く〔秩父往還〕沿いで旅館業を営む母の実家にて幼少期を暮らしたと思われる。 また関根の自伝によると、幼少期の関根は山猿の如く野山を駆け回り遊ぶ悪戯者だったと回顧している。そのような悪戯の傍ら、家業の旅館の仕事も手伝い温和な一面も持ち合わせていたとも関根は自伝に記している。ちなみに以前、関根のご遺族に話を伺ったところ、生前の関根はとても明るい性格で、初対面の人とでもすぐ仲良くなれるという天性の社交家だったそう。もしかしたら、少年期に色々な人が行き来する旅館の家に育ったという事が、こののち人脈を生かし建築家として成功をもたらすのに、大きな影響を及ぼしたのではないかと私は思う。 なお、大正期に関根と共に設計活動をおこなう実弟の山中節治は、明治28(1895)年1月7日に秩父にて生まれ、秩父市内より十数キロ離れた現在の旧大滝村(現在は秩父市と合併)上中尾の山中家で幼少期を過ごしている。 そして関根は6歳のとき、地元の秩父大宮尋常小学校に入学。同小学校の高等科へ進級し、明治37(1904)年に卒業。その後、地元に開設されたばかりの郡立秩父農学校に入学し、明治40(1907)年に卒業している。当時の秩父は鉄道も開通していない時代、唯一西洋らしいものといえば関根の通った秩父大宮小学校が洋風の校舎だったくらいだった(なおこの校舎は、秩父市内の聖地公園に移築され郷土資料館として使われていたが、現存していない)。 ------------------------------------------------------------------------- ★関根要太郎ゆかりの場所 ![]() 秩父鉄道の秩父駅そばにあった秩父で最初の尋常小学校。関根は小学~高等小学課程をここで学んだ。なお上の図版でご覧頂いた校舎は、明治17年にフランス人武官・ボスキューの設計図にもとに建てられたもの。昭和43年に市郊外の聖地公園に移築されたが、現在は解体され新たな場所への移築が計画されているという。 ※図版・・・・「秩父市要覧」 秩父市役所、昭和26年より ![]() 西武鉄道・西武秩父駅前には、関根の母校である郡立農学校(県立秩父農工高校の前身)があった。現在、駅前の一角に農学校跡の記念碑が建てられている。 ![]() ![]() ※図版・・・・「生い立ちより今日まで」 関根要太郎著、昭和11年 ![]() ![]() 西武秩父駅(秩父農学校跡)より。 ★参考・・・・・『生い立ちより今日まで」 関根要太郎著、昭和11年
by sy-f_ha-ys
| 2007-09-08 10:51
| 1‐関根要太郎と秩父
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Comments(2)
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「荒川の清流激端・・・」の文章で長瀞を思い浮かべました。
お恥ずかしいことに、あの急流は長瀞という名称だと思っていましたが 荒川だったんですねえ。赤面です。 長瀞へは池袋から東上線でいきました。 覚えていませんがどこかで乗り換えたんですよね きっと。 関根さんはテニスもなさったんですね。 貴重なお写真も見せていただき ありがとうございました。
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ruriさま、関根さんの故郷・秩父の文章読んでいただき有難うございます。
確かに関根さんの一文、長瀞などを思い浮かべてしまいますね。 関根さんが子供だった明治期は、荒川の下流は隅田川でしたから、 関根少年も大都会・東京の憧れを、この川に託していたのかも知れませんね。 私は西武沿線在住なので、飯能からトンネルを抜けるコースが殆どですが、 荒川の流れを見ながら秩父へたまには行ってみたいものです。 ちなみにテニスウエア姿の関根さん、地元の農学校に通っていた頃に、 撮影したものだそうです。
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