旧東京商船大学天体観測所(建築家・三橋四郎作品再訪2023)

◆旧商船学校天体観測所

　・・・・明治36年築、東京越中島に建つ煉瓦造の美しいルネサンス建築

　東京隅田川に架かる震災復興橋梁巡りに凝っている今年秋の筆者。その間に橋巡りの他にも、周辺に残る幾つかの歴史的建造物巡りもおこなっている訳である。その中で２度に渡り訪れたのが、東京江東区越中島の東京海洋大学(旧東京商船大学)越中島キャンパスだった。　東京海洋大学の前身にあたる三菱商船学校は、明治8(1875)年の創立。逓信省の管轄だった明治32(1899)年には、越中島に校舎を移転させた事もあり、キャンパス内には幾つかの歴史的建造物や遺構が残されている。その一つが正門そばに建つ旧天体観測所、冒頭の写真でご覧いただいた建物がそれである。
　9月に入ってすぐ久しぶりに旧天体観測所を訪れた時は、あまりの暑さのため、JR京葉線の越中島駅よりこの建築作品を訪れた。暑さもかなり和らいだ先日は、東京メトロの茅場町駅より隅田川に架かる永代橋(大正15年竣功)を渡り、隅田川沿いの遊歩道をのんびりと歩き、旧東京商船大学の天体観測所を訪ねた。現在では深川方面と完全に繋がってしまっている越中島だが、隅田川沿いを歩いていると、かつてのこの周辺の風景を想像してしまった。現代と過去が交錯する越中島とその界隈であった。
　鬱蒼と木々が生い茂っている東京海洋大学の越中島キャンパス。正門脇の鬱蒼とした森の中に建つ旧観測台は。明治36(1903)年6月に竣工したものだ。冒頭の写真右手前に写る丸いドーム屋根を持つ2階建ての建物が、赤道儀室と呼ばれる第一観測所。写真左奥に写る八角形の平屋の建物が、子午儀室と呼ばれる第二観測所である。　商船学校では航行用の天体暦の作成のため、この観測台が活用されたという。現在は撤去されているそうだが、当時は望遠鏡をはじめとした、最新の観測機器が建物内に設置されていたという。
　明治後期に建てられた2棟の旧天体観測所。その設計は当時逓信省の技師を務めていた、建築家・三橋四郎(みつはししろう、1867～1915)が手掛けたと推測されている。　三橋四郎は幕末の慶応年間に江戸(東京)に生まれ、明治26(1893)年に帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)卒業後、陸軍技師を経て明治31(1898)年9月から明治36(1903)年12月まで逓信省に在籍していた。そのころ三橋が設計を手掛けた作品と言えば、山口県下関市の旧赤間関郵便局(明治33年築)、京都三条通の旧京都郵便電信局(明治35年築)が現存している。
　逓信省を退職後の明治37(1904)年には、当時の建築仕様書のバイブル的存在となる〔和洋改良大建築学〕を出版。明治39(1906)年4月には東京市に奉職し、土木課技師(最終的には土木局営繕課長に昇格)として、浅草、下谷の両区役所(明治40年、明治41年築)と、日比谷図書館(明治41年築)の設計を担当している。特に現在の千代田区日比谷公園内に建てられた日比谷図書館は、ルネサンス調の外観に細部にアールヌーヴォーの装飾を施した美しい出来栄えで、明治建築の傑作の一つとして誉れ高い作品である。
　明治41(1908)年3月に三橋は東京市を辞職。間もなく東京市京橋区南鍋町一丁目(現在の中央区銀座６丁目)に、自身の建築事務所である〔三橋建築事務所〕を開設。大正4(1915)年11月に出張先のロシア・ウラジオストクで三橋が病死するまで、商店、銀行、会社事務所、邸宅、役所、公立学校、中国東北地方の日本領事館など数多くの建築設計を手掛ける事になった。　この他に三橋は鉄網コンクリート建築という、簡易的な耐火建築の施工方式を開発。耐震性の問題から結果的に恒久的には普及しなかったが、生前は積極的にその利用を提唱している。　　また自身の設計作品では、19世紀末から20世紀初頭、西欧で流行していたウイーン・セセッションなどのモダンムーブメントの作風を積極的に取り入れ、大阪心斎橋の石原時計店(大正4年築)など、大正モダン建築のはしりとも言える作品を数多く制作した。　また明治43(1910)年には、当ブログの主人公である建築家・関根要太郎(1889～1959)が三橋建築事務所に就職し、建築家としてのキャリアを本格的にスタートさせている。関根にとって三橋は師匠とも呼べる建築家だった訳だ。
　三橋四郎の設計とされている旧商船学校の天体観測所。しかしそれを裏付ける決定的な資料はなく、当時三橋が逓信省に在籍し多くの逓信建築の設計を手掛けていた事と、この観測所が竣工した翌年に三橋が刊行した〔和洋改良大建築学　上巻〕には、敷地が埋立地という事もあり軟弱な地盤のため、角材を組み合わせコンクリートを打ち、十分な根積をおこなったという記載がされている。このような状況証拠から三橋設計と推測されている訳だが、その品格溢れるその外観デザインを見ていると、関根要太郎の師である三橋四郎が設計を手掛けたと思えてくるのである。
　そして旧商船学校観測所でもう一つ興味深いのは、基礎として打たれているというコンクリートである。長年に渡り参考にさせていただいている、老舗サイト〔分離派建築博物館：きくち氏作成〕のブログ版〔収蔵庫・壱號館〕によると、コンクリートの基礎の図には5なる数字が刻まれており、5尺(約1メートル50センチ)の厚さがあるのではないかとの記述がされていた。　コンクリート建築の黎明期、基礎にコンクリートを採用した事により、この建物が120年に渡り生き続けているのは、三橋の先見の明があったという紛れもない事実ではないかと思う。
　ここから北に約1キロの江東区佐賀町にあった、関根要太郎の設計作品：村林ビル(昭和3年築、平成29年解体)の取り壊し以来、全く足を運んでいなかった旧商船学校の観測所だったが、久々に見る明治建築の美しさに魅了されてしまった筆者であった。　先日の訪問時は秋晴れの爽やかな一日であった。この観測所が竣工した120年前だったら、このような日に陽が沈むと満点の星空が観測出来たに違いない。鬱蒼と生い茂るキャンパスの森に、当時の商船学校の光景を想像してしまった筆者であった。
◆旧商船学校観測所(第一観測台、第二観測台)

　◎設計：三橋四郎(逓信省)

　◎施工：不詳

　◎竣工：明治36(1903)年6月

　◎構造：煉瓦造2階建て・・・・第一観測台

　　　　：煉瓦造平屋 　 ・・・・第二観測台

　◎所在地：東京都江東区越中島2-1-6

　　❖国登録有形文化財(平成9年指定)

　　❖日本天文学会認定日本天文遺産(令和3年認定)

第一観測台。赤道儀室とかつては呼ばれていたという。第二観測台。こちらはかつて子午儀室と呼ばれていた。

この木造3階建ての観測所の本施設も当時はあったという。
写真右奥に写るのは旧商船大学の一号館。昭和7(1932)年に建てられたものだという。

★和洋改良大建築学　上巻(三橋四郎著、明治37年)

戦前、建築仕様書のバイブル的存在だった三橋四郎の著書。

その巻中には商船学校の観測所についての記述もされている。詳しくは下の図版を参照して頂きたい。

❖図版・・・・「建和洋改良大建築学　上巻」明治37年

◆浅草区役所(設計：三橋四郎+小林鶴吉、東京市浅草区、明治40年築)

ここからは逓信省の退職後、三橋四郎が東京で手掛けた作品を幾つか紹介したい。

まずは現在の台東区浅草1丁目、現在の浅草公会堂が建つ場所にあった区役所。明治後期ならではの表現力豊かなルネサンス調の華やかな作品である。

◆下谷区役所(設計：三橋四郎+小林鶴吉、東京市下谷区、明治41年築)

浅草区役所の翌年、現在の台東区東上野3丁目、上野駅そばに建てられた区役所庁舎。浅草区役所と同様、華やかなルネサンス調の作品。共同設計者の小林鶴吉は東京市の技師で、後に麻布区役所(明治42年築、現在は東京都武蔵野市に移築され、日本獣医生命科学大学一号棟として利用されている)、群馬県高崎市役所(明治44年築)の設計も手掛けている。

❖図版・・・・「台東区史」昭和41年・・・上の2点とも

◆東京市立日比谷図書館(設計：三橋四郎、東京市麹町区、明治41年築)

三橋四郎、東京市在籍中の代表作とも言える作品。現在の日比谷公園内にあった。ルネサンスを基調としながら細部にはアールヌーヴォーの装飾が施されている。

❖図版・・・・「東京市制概要」大正3年、「東京百建築」大正3年

◆東京市泰明小学校(設計：三橋建築事務所、東京市京橋区、明治44年築)

三橋四郎は建築事務所設立後、東京市内の小学校建築の設計を幾つか手掛ける事になった。その代表作が銀座数寄屋橋そばにあった泰明小学校だろう。現在の泰明小学校と同様、台形のような立地を生かし、ユニークな造形となった。建物には鉄網コンクリート構造を採用したという。

❖図版…「東京百建築」大正3年
◆日之出生命保険株式会社(設計：三橋建築事務所、東京市京橋区、大正3年築)

大正期に入ると三橋建築事務所は、セセッションを取り入れたモダン路線へ路線転換をしていくが、大阪石原時計店と並ぶ東京での代表作がこの日之出生命のオフィスではないかと思う。セセッション風の大正モダンな作品だ。

❖図版・・・・「建築写真類聚、第一期第八　銀行会社」洪洋社

関東大震災後に造られたというコンクリート塀。看板の解説にあるように構内の木の根元部分の類焼を防いだという。

キャンパスそばの歩道橋より。左手に三橋四郎設計の観測台が見える。

この界隈、横断歩道は殆どなく、歩行者の移動にはとても厳しいエリアである。どうにかならないのだろうか・・・・。

★明治丸(明治7年建造)

キャンパス内に置かれている明治7(1874)年建造の明治丸。イギリス製で明治天皇の巡航にも使われた。現在は陸上に固定されている。国の重要文化財に指定されている。

旧商船学校の北側にある大横川。これより右手のエリアが越中島にあたる。

★相生橋と月島エリア

相生橋は当時造成がおこなわれていた月島と越中島を結ぶ目的で架けられたもの。

初代の橋は旧商船学校の観測台の竣工より3ヶ月早い、明治36(1903)年3月に竣工。大正8(1919)年には路面電車の走路確保のために、橋の拡幅工事を実施。しかし関東大震災で橋脚と路面電車の線路を残し焼け落ちてしまう。そして大正15(1926)年11月に震災復興橋梁が架設されたものの、傷みが激いために解体。平成10(1998)年に現在の橋へと架け替えられた。

相生橋より永代橋を眺める。

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★参考文献・参考資料

「日本の建築　明治大正昭和　10・日本のモダニズム」堀勇良氏著、三省堂、1981年

「和洋改良大建築学　上巻」三橋四郎氏著、大倉書店、1904年

「学び舎拝見」内田青蔵氏著、河出書房新社、2007年

「日本近代建築人名総覧」堀勇良氏著、中央公論新社、2022年

「東京人　2023年9月号、特集・関東大震災100年」都市出版、2023年

「古地図・現代図で歩く　明治大正東京散歩」人文社、2003年

「ブログ　収蔵庫・壱號館」菊池潤氏作成

「ウィキペディア：相生橋」ほか

★撮影・・・・2023年9月・10月