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◆このブログの写真は当サイト製作者の撮影によるものですが、それだけでは全てを紹介しきれないため、大正から昭和初期に発行された当時の書籍・建築関連の雑誌・新聞等の記事・図版を一部転載しております。またそれらの出典元になる書籍と発行日時、一部のものは所蔵元を明記させていただきました。著作権をお持ちの方には、個人的な学術研究・非営利な発表ということで、ご理解いただければ幸いと存じております。 なお、一部イラスト・写真等は、製作者・遺族の方より承諾を得て、紹介させて頂いております。 ◆当ブログ製作者は、建築業や建築学に携わっていない、素人研究家です。建築用語や構造説明に誤りがある可能性もございます。そのつど御指摘していただければ幸いです。 ◆本ブログ掲載の写真および図版、記事内容の無断転用はご遠慮ください。但し私が撮影した写真に関しては、建築保存活動や学術発表など非営利目的での使用でしたら転載は構いません(大した写真では御座いませんが・・・・)。もし使用したい写真がございましたら、その記事のコメント欄に、目的・公開先等などをご一報ください。なおその際は、当ブログの出展である事を明記お願いいたします。 ◆また本ブログの記事内容と関連のないコメント、トラックバックは削除させていただく場合もございますので、予めご了承ください。 **************** ★excite以外のリンク --------------------- ❖分離派建築博物館 ❖収蔵庫・壱號館 ❖新・我愛西安、観光と生活情報 ❖建築ノスタルジア ❖トロンボーン吹きてっちゃんの独り言 ~函館応援プログ~ ❖虚数の森 Forest of im aginary number ❖MEGU 「めぐ」を究めよう ❖建築日誌 ❖中央区立明石小学校の保存活動 タグ
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![]() ◆不二家伊勢佐木町店 ・・・・昭和12年築、今年8月20日に86年の歴史を閉じるモダニズムビル 例の如く最高気温が摂氏35度を超えた先週の土曜日、約2ヶ月半振りに横浜を訪ねた。近年横浜へ訪れる時は、みなとみらい線への直通電車を利用している事もあり、山手や関内・みなとみらい地区から散策をスタートすることが多いが、この日はJR根岸線の関内駅で下車。地上の猛暑を避けるため、NHK-BS〔街角ピアノ〕でお馴染みのマリナード地下街を通り、イセザキモールへ向かう。 この日、イセザキモールが通る伊勢佐木町へ向かった理由は、横浜発祥の老舗洋菓子店・不二家の伊勢佐木町店が建物の老朽化を理由に、一時閉店するとの事で、その見納めのためにここを訪れた訳であった。不二家の伊勢佐木町店を訪問したのは、コロナウイルス蔓延の問題が深刻化しつつあった、令和2(2020)年3月から約3年ぶりの事である。 7月20日に同社より伊勢佐木町店(横浜センター店)の一時閉店、既存の店舗が老朽化を理由に解体・建て替えの方針が発表された事もあり、この日は併設するレストランには、早い時間から多くの人が訪れていた。 明治43(1910)年、藤井林右衛門(1885~1968)が横浜元町に創業した不二家。大正11(1922)年には、元町の店とは別に伊勢佐木町に店を新設したが、大正12(1923)年9月の関東大震災で元町・伊勢佐木町、また震災の先月にオープンしたばかりの東京銀座店を焼失。震災以降、横浜の店舗は伊勢佐木町の一店に集約し、大正13(1924)年には仮設の店舗を建て、そこで営業をおこなう。そして震災から14年後の昭和12(1927)年2月に、鉄筋コンクリート造5階建て・地下1階の冒頭の写真でご覧いただいた店舗が竣工したのである。 モダンな装いの不二家伊勢佐木町店の設計は、チェコ出身のアメリカ人建築家:アントニン・レーモンド(Antonin Raymond、1888~1976)の建築事務所が担当している。 レーモンドは大正8(1919)年に、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867~1959)の助手として、東京日比谷の帝国ホテル(大正12年築)の建設スタッフとして来日。間もなくライトの下を離れるが、その後も日本に留まり自身の建築事務所を開設。前川國男や吉村順三などの優秀な建築家を育てると共に、戦前・戦後を通じ影響力の強いモダンな作品を数多く制作していく。 また横浜でもレーモンドは数多くの建築設計を手掛けており、不二家の他にも現在山手の元町公園に移築されているエリスマン邸(大正15年築、米国建築合資会社の設計名義で竣工)、山手や根岸地区に建てられた戦後の昭和シェル石油(現RSエナジー)の前身にあたるライジング・サン石油の社宅群(昭和4年築、一部現存)、山下町本町通りのライジング・サン石油横浜本社(昭和4年築、玄関部分のみが復元保存)などがある。 なお少し話は変わるが、筆者が暮らす町の近所の埼玉県新座市には、レーモンド設計による立教学院聖パウロ礼拝堂(昭和38年築)という美しいチャペルが建っている。こちらも機会があれば紹介したい素敵な建築作品だ。 軍事色が強くなり、戦争の影が忍び寄る暗い時代に建てられた不二家の伊勢佐木町店。しかしその装いは、ガラスブロック貼りのとても明るいものとなった。なお現在は店舗右側に3階建ての小規模ビルが建てられたため。側面が塞がれてしまったが、竣工時は2面がガラス張りのカーテンウォールになっていた。更に建物玄関廻りもガラス張りになっており、当時としてはかなり斬新な建築作品だったと想像される。 そして店内は、先に紹介したガラス張りの外観を活かす吹き抜けの空間が広がっており、ここにレストランや売店が設けられていたという。なお同社の社史によると、1階が売り場と喫茶、2階が西洋料理、3階が中華料理、4階が大宴会場、5階がスターサロンに充てられていたという。 ちなみに今から10数年前までは、吹き抜けの形状で店の営業がおこなわれていたが、近年現在のような規模に縮小されている。この店へ訪れると、吹き抜けだった時代の思い出話をされる方が必ずいらっしゃるので、横浜伊勢佐木町店の名物だった事は想像に難しくない。 また現在、厨房内に飾ってある壁画もこの当時からのものとのこと。戦前、戦後進駐軍の占領時代、高度成長期、現代と店の移り変わりを見つめてきた、生き証人とも言える貴重なレリーフである。筆者も今から20数年前の1990年代後半、横浜を特集した雑誌で不二家の伊勢佐木町店を知り、吹き抜け時代のこの店舗を訪れたことがあったが、とても贅沢な時を刻んだ美しい空間であったのを記憶している。2面がカーテンウォールになっていた竣工時は、さぞかし美しい店内だったのだろう。 さて不二家の伊勢佐木町店、開店後は新たなビルの建設が計画されているそうである。なお同社のプレスリリースを見ると、「当店の歴史を大切に継承しながら」なる旨のコメントが書かれていたが、具体的なプランは現段階では示されていなかった。 皆さんもご存じのように、1990年代に入ってからの横浜市は歴史的建造物の解体に際し、外観の復元・建物の一部をイメージ継承するなど、後世に歴史の記憶を繋げるという手法が多く用いられている。 しかし近年はその復元方法も、首を傾げたくなるものが多くなっているのも事実。是非、優れた外観意匠を有した伊勢佐木町店に関しては、横浜生糸検査所(設計:遠藤於菟、大正15年築)を外観デザインほぼ完璧に再現した、横浜第二合同庁舎(平成5年築)のような復元を望みたいものである。そして多くの人たちの思い出に刻まれている、あの吹き抜けの店内を再現したなら、新たな話題を呼ぶのではないかと筆者は考える。 不二家のメインキャラクターであるペコちゃんより古い歴史を持つ、横浜の伊勢佐木町店。店舗再建にあたっては、この会社の先人たちが遺した歴史を、後世の人たちへ上手に伝えていって欲しいのが筆者の切なる願いである。 レーモンド設計による昭和初期竣工のモダンな佇まいの店舗での営業も、残るところ2週間。昭和モダニズムの名作の美しさを、多くの人たちに是非とも体感して欲しいものである。 ◎設計:アントニン・レーモンド(Antonin Raymond) ◎施工:戸田組 ◎竣工:昭和12(1937)年2月 ◎閉店:令和5 (2023)年8月20日 ◎構造:鉄筋コンクリート造5階建て、地下1階 ◎所在地:横浜市中区伊勢佐木町1-6-3 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 建物の側面部は竣工当初は正面と同様のカーテンウォールが設けられていたが、現在は塞がれている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ペコちゃんは昭和25(1950)年の誕生(デビュー)。伊勢佐木町店はそれより13年古い歴史を持つ。 ![]() ![]() そして吹き抜けになっていた当時の店内。実は写真で写る円筒状の階段も柱で塞がれているが、今も残されている。詳しくは2011年に投稿したこちらの記事を参照していただきたい。 ![]() 現在の店舗内スペースは、既存の吹き抜けの空間に中規模な部屋を建てた状態になっている訳である。なお玄関を入ってすぐの場所を見上げると、往年の吹き抜けを少しだけ見ることが出来る。 ![]() レストラン内には伊勢佐木町の店の他にも、往年の不二家の店舗の写真も展示してあった。 ![]() 店内のレリーフは竣工当時からのものだという。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 建物背面もカーテンウォールのモダニズム建築ならではの装い。 ![]() ![]() ![]() ![]() そして夜になると道路に少しだけ空いた小窓から、この近辺に勤めるキャバレーのホステスさん達が窓を覗き、「お兄ちゃんケーキちょうだい」とおねだりしに来たというエピソードを、その方から何度か披露していただいた。恐らくこの場所だったのかなと、想像する筆者であった。 ![]() ![]() ![]() ◆旧ライジングサン石油横浜本社遺構(設計:アントニン・レーモンド、昭和4年築) 本文でも紹介した中華街にほど近い山下町の本町通りにあった、アントニン・レーモンド作品の遺構。建物は平成2(1990)年に解体され、平成13(2001)年に竣工したマンションの1階部分に、当時の回転扉と玄関付近の意匠が再現されている。様々な事情があるのは重々分かっているが、このような復元ではあまりにも悲しすぎる・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() 不二家の向いに建つJRAエクセルビルは、越前屋百貨店として昭和6(1931)年に竣工。戦後は鶴屋、松屋などの店舗として使われ、昭和52(1977)年からは松坂屋の別館として使われていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ******************************************************* ★参考文献・参考資料 「創業80周年記念誌」不二家編、1990年 「都市の記憶 横浜の近代建築Ⅰ」吉田鋼市氏著、横浜市+横浜市歴史的資産調査会、1991年 「日本の美術 №447、外国人建築家の系譜」堀勇良氏著、至文堂、2003年 「ハマ発newsleter 第4号、コラム・光降り注ぐモダンオフィス」青木祐介氏著、横浜都市発展記念館、2005年 ★撮影・・・・・2023年5月・7月・8月
by sy-f_ha-ys
| 2023-08-05 18:05
| ◆昭和モダン建築探訪
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Comments(6)
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> オガタのSさま、
ペコちゃん、ポコちゃんもマイナーチェンジしながら、昔とはかなり違った容姿になっていますね。アメリカでというスヌーピーやミッキーマウスも時代によってだいぶ変わっていますので、そういう事でしょう。 不二家のお店、亀田店は閉店したようですが、美原と千代ヶ岱にあったとは全然知りませんでした。千代ヶ岱は新規開店という事ですよね。しかもグリーンベルトのそばじゃないですか(笑)。高橋病院もそちらに移転ですか?。海員掖済会の宿泊所だった病院の寮は良い立地ですし、誰か良い家主さんが現れる事を期待しましょう。 実は木曜から今日まで3連休でして、一昨日はZ世代(1990年代生まれ)である会社の後輩たちと横浜ベイスターズの試合を見に、横浜スタジアムへ。昨日は妻を連れ横浜山手などを散策しに行きました。詳しくは来週あたりに発表してみようと思います。
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> オガタのSさま、
後輩クンの片割れの方が知人の方よりバックネット裏のシートを譲ってもらい、今回の横浜行きが実現した訳です。コロナの騒動が始まってから2年ほど訪れませんでしたが、気軽に行けるマイフェバリットな町の一つです。日ハムさんの新球場、サイトでよく見ていますが、価格が凄い高いですからね。多摩湖と狭山湖畔の西武ドームも更にガラガラですからご安心ください。 鹿と衝突?、実をいうと東京の山間部やお隣の山梨県で、鹿が電車と衝突という事故が頻繁に起きてまして、JR東日本の駅の運行情報で電車遅延のお知らせをよく目にします。南茅部ひろめ荘と言えば、函館元町ホテルサンがオーナーでしたね。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> オガタのSさま、
纏めてコメントお返しいたします。色々と興味深いコメントありがとうございます。NHKの朝ドラ〔らんまん〕の主人公ではないですが、清貧で研究を続けております。生活のため週五日、某所に仕事は行っておりますが、何か相通じるものを感じてしまいます。 野球観戦もピンキリのお値段です。ちなみに明日の試合はポイント使ってタダです(笑)。
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