東京多摩市の旧多摩聖蹟記念館(建築家・関根要太郎作品再見2023)

◆旧多摩聖蹟記念館

　・・・・昭和5年築、多摩の高台に建つ未完のモダン建築

　梅雨入り直前にあたる今年5月下旬の週末、久しぶりに東京多摩市の旧多摩聖蹟記念館を訪ねた。旧多摩聖蹟記念館は明治初期に、現在の多摩市聖蹟桜ヶ丘地区周辺に明治天皇が訪れた事を記念し、昭和5(1930)年に建てられたものである。

　設計は大正中期から昭和30年代にかけて日本国内で活躍した、在京の建築家・関根要太郎(1889～1959)率いる〔関根建築事務所〕が担当した。19世紀末から20世紀初頭に西欧で流行した、表現主義などのモダンムーブメントの影響を受けた作品である。

　そして多くの方々が解説されているように、多摩聖蹟記念館建設の中心メンバーとなったのが、土佐出身の政治家で明治31(1898)年から11年に渡り宮内大臣を務めた田中光顕(1843～1939)。多摩聖蹟記念館が建設された当時、田中は80代半ばという高齢にも関わらず、記念館建設に大きく貢献した。実は今月初めまで〔生誕180年　田中光顕展〕がおこなわれていた事もあり、聖跡記念館建設のきっかけを作った人物を学んでみようと思った訳である。

　昭和5(1930)年6月に建物が竣工し、同年の秋に会館の運びとなった多摩聖蹟記念館。このような施設となると長年の構想が実り建設に至ったというイメージが強いが、この建設事業のプロジェクトのスタートは、記念館竣工から僅か３年前の昭和2(1927)年の事である。昭和2(1927)年の3月、国民新聞にこの周辺地域の土地売り出し広告が掲載され、「明治天皇三度行幸の地、眺望絶佳」と紹介された事がその切っ掛けであった。

　その広告に興味を示した田中光顕の秘書・高井徳次郎が、土地売り出しの広告を出した児玉四郎にその事実関係を確認するため同地を訪問。土地の所有者である宮川半助(宮川は新選組に所属した近藤勇の大甥にあたる)への聞き取りや、宮内省の資料調査をおこなう。

　更に同年8月には田中光顕本人が現在の多摩市関戸地区へ足を運び、地主・宮川家を訪問し当時の資料や文献を見て、この地で聖蹟保存の記念事業を立ち上げることを決意する。なおこの年の5月には、旧多摩聖蹟記念館が建つ場所より西約10数キロの八王子市高尾地区に、前年に崩御した大正天皇の御陵〔多摩御陵〕の造営が始まった時期でもあった。

　田中光顕と会った宮川半助は田中の熱意に打たれ、土地の無償提供を約束。昭和3(1928)年5月には、聖蹟記念館の建設準備委員会にあたる聖蹟奉頌連光会が結成され、田中光顕が会長に就任。またメンバーには田中の他、地主の宮川半助や児玉四郎、そしてこの沿線を走る京王電鉄の実質的な創業者である井上篤太郎(1859～1948)、同電鉄の幹部・渡辺孝も選ばれている。ちなみに京王電鉄は昭和2(1927)年12月に、大正天皇の御陵へのアクセスとなる京王御陵線の敷設認可を受けて間もなくの時期だった。

　そして昭和3(1928)年8月28日、多摩聖蹟記念館の設計者として、関根要太郎率いる〔関根建築事務所〕が担当することが決定する。設計者選定についての経緯は明らかになっていない。

　しかし関根は完全なる平民で、皇室に何も縁がなかったにも関わらず、大正13(1924)年頃に皇室のために設立されたスキー倶楽部〔六華倶楽部〕入会に成功。山形県米沢の五色温泉に建設されることになった倶楽部専用のロッジを設計を担当することになり、大正13年の暮れに木造平屋のクラブハウスを竣工させている。

　更にクラブハウスの竣工直後には、明治天皇の孫にあたる、秩父宮・高松宮両殿下のスキーのお供をし、大正14(1925)年の5月には秩父宮殿下の秩父三峰山登山に同行(ちなみに秩父は関根の生まれ故郷にあたる)。間もなく秩父三峰山訪問を記念する、秩父宮殿下御登山記念館：秩父宮台臨記念館(昭和6年竣工)を担当することになり、この年より工事が始まったところだった。皇室と縁のある若手建築家という点では関根は申し分ない人選だったのだろう。

　そして多摩聖蹟記念館の設計者として、関根要太郎が選ばれたもう一つの理由が、建設準備委員会にも幹部が名を連ねていた、京王電鉄の存在があったのではないかと筆者は推測する。関根は大正末に京王電鉄の娯楽施設・京王閣の設計を依頼され、昭和2(1927)年に竣工。この京王閣は当時最先端のモダンデザインを取り入れた、とても華やかなものになった。

　電鉄の集客増加を狙った京王電鉄は、京王閣、多摩御陵に次ぐ、新たな沿線名所を欲していたと想像される。京王閣のような大衆にアピールできる華やかな建造物を設計してくれる事を考えれば、建設委員会に加わっていた京王幹部にとっても、関根は最適な人選だったのではないだろうか。

　そして設計者に指定されて間もなく、関根要太郎率いる関根建築事務所は多摩聖蹟記念館の試案を制作。令和元(2019)年の関根要太郎展にも紹介されていたように、現在の都立桜ヶ丘公園、坂下は多摩川の関戸の渡しまでに施設を設けるという、非常にスケールの大きなものになった。幕末は尊王攘夷の志士として活躍し、明治政府樹立後は政府の中心人物として活躍した田中、熱い夢を語ったのだろうか。そのような時代を作った人の夢だったからこそ、皆が心酔してしまったかも知れない。

　建設資金は広く有志の浄財を求めたが、現実的には厳しく京王電鉄が大半の建設資金を建て替え、規模を縮小して竣工。竣工後も支払いに大きな問題が起きたそうで、記念館関係者は三菱財閥の4代目総帥を務めていた岩崎小弥太(1874～1945、岩崎家のルーツも田中光顕と同じ土佐)に泣きつき、岩崎の寄付により支払いが賄えた事が、令和元(2019)年に旧多摩聖蹟記念館の学芸員を務めておられた、林里絵さんの調査により明らかになっている。

　そのように高齢の伯爵の熱い働きかけにより、僅か3年の間に建てられた多摩聖蹟記念館。もしも万が一、当初の構想図に近い壮大な施設が竣工したとしても、メンテナンスが出来ないまま朽ち果てて短命に終わっていたかも知れない。

　竣工当初は周辺の木々も茂っておらず、坂下から黄色い楕円形の記念館がよく見えたという。昭和の初めは、聖蹟の地に建てられた摩訶不思議な造形の記念館を目指し、皆息を切らせて急坂を上っていったのだろう。久しぶりに記念館周辺の大自然を堪能し帰途に就いた筆者であった。

◆旧多摩聖蹟記念館

　◎設計：関根要太郎+蔵田周忠(関根建築事務所)

　◎施工：大倉土木株式会社

　◎起工：昭和4(1929)年10月12日

　◎竣工：昭和5(1930)年6月26日

　◎構造：鉄筋コンクリート造平屋

　◎所在地：東京都多摩市連光寺5-1-1(都立桜ケ丘公園内)

　　❖多摩市有形文化財(昭和61年指定)

　　❖東京都『特に景観上重要な歴史的建造物等』選定(平成14年付)

　　❖DОCОMОМО JAPAN選定

　　　　日本におけるモダン・ムーブメントの建築(令和4年選定)

　

以前はデザインの事しか興味がなかった筆者であったが、近年は記念館建設の提唱者であった田中光顕を中心に、記念館建設に携わった人たちの思惑に関心が沸くようになった。ちなみに土地提供者である宮川半助は、新選組局長の近藤勇(1834～1868)の大甥にあたり、大叔父にあたる近藤が攘夷派の妨害をしていた事を詫びてか、田中へ自身の所有する土地の無償提供を申し出たのである。

記念館そばに掲示してあった田中光顕展の看板。この写真は幕末京都にて撮影されたもので、当時20代半ばだったという。

田中光顕は明治新政府樹立後、宮内大臣、貴族院議員、警視総監、学習院の学長を務めた。この他には岩倉使節団、西南戦争にも参加。明治30(1897)年には英照皇太后(1834～1897、孝明天皇の女御)の大喪にも葬儀の委員として参加している。

◆多摩聖蹟記念館構想図

こちらが令和元(2019)年秋におこなわれた関根要太郎展でも展示されていた、多摩聖蹟記念館の構想図。絵のタッチから察するに、当時事務所のチーフデザイナー的存在だった蔵田周忠(1895～1966)が作成したと推測される。

この構想図を見ると、実際に建てられた記念館の他に尾根筋に列柱の回廊を巡らし、大階段、噴水を設ける神殿のような作りになっている。興味深いのは坂下徒歩30分弱の場所にある、関戸の渡しまでに記念館の施設(明治天皇が鮎釣りを楽しんだと言われる場所)が設けられているのは興味深い。

◆竣工間もなくの多摩聖蹟記念館

竣工の翌年、日本建築士会の機関紙〔日本建築士〕に掲載された竣工写真と設計図。上4枚の壮大な構想図から変わり、ご覧のように規模を縮小して建てられている。両脇のデザインを見ると、将来的に増築される事を想定したような作りにも感じられる。下は設計図。

❖図版・・・・「日本建築士」昭和6年3月号、筆者所蔵

記念館のそばには明治天皇の御製と昭憲皇太后の御歌の碑も掲示してあった。

旧多摩聖蹟記念館周辺からの眺め、宅地開発はされたが緑豊かな記念館周辺である。

旧多摩聖蹟記念館から徒歩10分ほどの場所に建つ〔ゆうひの丘〕より。眼下には関戸の渡しがあった多摩川、武蔵野台地、遠くには所沢の市街地の高層マンション群、狭山丘陵(ベルーナドーム)、遠くには関根の故郷・秩父の山々が確認できる。竣工当初の多摩聖蹟記念館からの眺めを想像できるビュースポットである。

京王線の車内から。かつては関戸橋から新築間もない記念館が見えたという。

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★参考文献・参考資料

「明治100年記念　多摩聖蹟史」財団法人、多摩聖蹟記念館、昭和43年

「田中光顕とゆかりの人たちの遺墨」多摩市教育委員会、平成26年

「生誕130年　没後60周年記念　関根要太郎展」林里絵氏篇、令和元年

「多摩めぐりブログ」sawa氏製作、アメーバブログ、令和2年

★撮影・・・・・2019年11月、2023年5月