東京武蔵野市の日本獣医生命科学大学一号棟(明治モダン建築再訪2023)

◆旧麻布区役所

　・・・・明治42年築、昭和12年に武蔵境に移築された瀟洒な洋風大学校舎

　本日紹介させていただくのは、JR中央線(西武多摩川線)の武蔵境駅南口から徒歩1分ほどの場所にある、明治末に建てられた日本獣医生命科学大学の校舎。個人的には頻繫に訪れているつもりでいたが、帰宅後に調べてみると9年ぶりの訪問で、その時も玄関脇の梅が咲き誇っていた3月の事だったと思い出した。

　その間に大学の校舎として使われているこの洋館は、国の登録有形文化財として指定され、以前より多くの人からの注目を浴びるようになった。

　改めて現在、日本獣医生命科学大学の施設として使われているこの洋館について説明すると、今から114年前の明治42(1909)年6月に東京市の麻布区役所の庁舎として建てられたものである。明治期の古地図を見ると麻布区の市兵衛町2丁目、今の地名で言うところの東京都港区の六本木3丁目、外苑東通り沿いにあったようだ。麻布区役所があったと思われる場所には、現在三井ガーデンホテルが建っている。

　東京市土木局営繕課の設計により、木造2階建で明治42年に建てられた麻布区役所は、大正12(1923)年の関東大震災では倒壊を免れ、その後も区役所の庁舎として使用が続けられた。

　その後、東京市は昭和10(1935)年に、ここより少し南の鳥居坂町(現在の港区六本木5丁目)に、鉄筋コンクリート造3階建ての新庁舎を新築させ区役所を移転。それより間もなく不用となった旧区役所庁舎の建物部材を、日本獣医生命科学大学の前身にあたる日本獣医学校が買い取り、昭和12(1937)年に学校施設として再建したのである。

　移築に際しては玄関バルコニーが半円形から長方形の形状に変更され、玄関正面のペディメントや各階窓上や下にあった装飾などは再現されず、シンプルな外観となっている。それから70数年の間その形状が維持されていたが、建築基準法の関係により平成24(2012)年に玄関上のバルコニーが縮小され、少し不格好になってしまったのは悔やまれる点である。

　かつて麻布区役所として使われていたこの建物は、先に紹介したように東京市土木営繕課により設計。長年設計者については不詳のまま通っていたが、今から9年前にブログ〔あれやこれやの近代建築〕の制作者・グズグズ(cherikaro)さんから、明治42(1909)に発行された日本建築学会の機関紙〔建築雑誌、第269号：1909年5月号〕に、麻布区役所の新築工事に関する記事が掲載されている事をご教示していただき、その設計者の名が明らかになったのである。

　そこには諸工事の監督として、東京市営繕課長の小原益知、工事の設計者として小林鶴吉の名が記されていた。

　小原益知は明治14(1881)年に、工部大学校造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)を第3期生として卒業。その後、内務省、滋賀県、海軍省、台湾総督府の技師を経て、東京市の営繕課長となっていた。ちにみに明治41(1908)年5月に、それまで営繕課長を務めていた建築家・三橋四郎(1887～1915)がその職を辞していたので、その後釜として小原益知が営繕課長のポストに収まったと想像される。

　工事設計者として紹介されている小林鶴吉だが、そのプロフィールについては殆ど明らかになっていない。建築雑誌に掲載された記事を見ると、東京市の浅草区役所(明治40年3月竣工)、下谷区役所(明治41年1月竣工)の各庁舎の設計を手掛けたと記されている。

　先に述べたようにこの頃は三橋四郎が東京市の営繕課のトップを務めていたので、小林鶴吉は三橋の指導のもと実施設計を手掛けたと想像される。また東京市営繕課のトップである三橋の好みも出たのか、両者ともルネサンス調のとてもモダンな装いになっているのは興味深い。

　そして小林鶴吉、当ブログの主人公である関根要太郎(1889～1959)の恩人ともいえる人物で、当時21歳の関根は小林の紹介により、明治43(1910)年に群馬県高崎市の小学校舎(高崎南尋常小学校、現高崎市立南小学校)新築工事の現場監督を務めた。

　またその仕事を終えた関根は東京に戻り、小林の元上司である三橋四郎が開設した〔三橋建築事務所〕に入所し、本格的な建築家のキャリアをスタートさせている。そのようなエピソードもあり、小林設計の旧麻布区役所に思い入れが強くなってしまう筆者である。

　旧麻布区役所の竣工後、小林鶴吉は群馬県高崎市の新市庁舎の設計を依頼され、明治43(1910)年12月に起工。明治44(1911)年9月に洋風木造(外壁モルタル塗り)2階建てで竣工させている。そのような流れで高崎市の建築事情に詳しかった小林は、関根要太郎に高崎市の仕事を紹介したという事になるのだろう。

　なお小林設計による高崎市庁舎、旧麻布区役所を一回り小さくした瓜二つの出来栄えになっている。詳しくは高崎市のホームページをご覧いただきたい。

　現在は大学の施設として使われる旧麻布区役所庁舎、その歴史的価値が認められ、令和2(2020)年には国の登録有形文化財に指定された。それを機にこの大学施設が建つ〔武蔵野市ふるさと歴史館〕では、同年の6月に関する企画展示がおこなわれたが、コロナウイルス蔓延初期の混乱した時期だった事もあり、結局行けずじまいだった。この歴史的建造物に関する展示が、再びおこなわれる事を期待したい。

　9年ぶりの訪問だったが、調べれば調べるほど奥深さを感じてしまう、素敵な歴史的建造物であった。

◆旧麻布区役所(現日本獣医生命科学大学一号棟)

　◎設計監督：小原益知(東京市営繕課長)

　◎実施設計：小林鶴吉(東京市技師)

　◎施工：竹田源次郎

　◎起工：明治42(1909)年1月

　◎竣工：明治42(1909)年6月

　◎移築：昭和12(1937)年

　◎構造：木造モルタル塗り2階建て

　◎旧所在地：東京都港区六本木３丁目(東京市麻布区市兵衛町2丁目)

　◎現所在地：東京都武蔵野市境南町1-7-1

　　❖国登録有形文化財

★移築前、旧麻布区役所時代の写真

現在の東京都港区六本木3丁目の外苑東通り沿いにあった。移築後と比較すると、当初は建物各所には様々な装飾が施されている事が分かる。現在、正面玄関背後に設置されている塔屋がないのも、注目していただきたい点である。

麻布区役所の跡地は、現在の三井ガーデンホテルが建つ少し手前の場所にあったと考えられる。詳しくは下の地図を参照していただきたい。

❖図版・・・・・「麻布区史」昭和16年

★浅草区役所(明治40年築、設計：三橋四郎+小林鶴吉)
★下谷区役所(明治41年築、設計：三橋四郎+小林鶴吉)

東京市営繕課のトップを務めていた三橋四郎(1867～1915)の下、小林鶴吉が設計にあたったと考えられる。三橋の好みも出たのか、麻布区役所と比較すると、両者ともルネサンス調の華やかな作り。

❖図版・・・・「台東区史」昭和41年

上の写真を含む3枚の写真は、平成21(2009)年6月の撮影。昭和12(1937)年の移築以来、建物の外観はほぼ変更されなかったが、建築基準法の指導があったそうで、平成24(2012)年に玄関部分を縮小する工事が実施された。

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★参考文献・参考資料

「建築雑誌　第269号」日本建築学会、明治43年

「麻布区史」麻布区役所、昭和16年

「生い立ちから今日まで」関根要太郎氏著、私家版、昭和11年

「日本の建築　明治大正昭和　10・日本のモダニズム」堀勇良氏著、三省堂、昭和55年

「古地図・現代図で歩く　明治大正東京散歩」人文社、平成15年

「日本獣医生命科学大学付属ワイルドミュージアム　リーフレット」日本獣医生命科学大学、令和2年

「高崎市ホームページ：高崎100年、第14回　初代市庁舎は洋風瓦葺き」群馬県高崎市　ほか

★撮影・・・・・2009年6月、2022年3月