東京渋谷区の小田急電鉄旧本社(昭和モダン建築再訪2023)

◆小田急電鉄旧本社

　・・・・昭和2年築、南新宿駅そばに建つ表現主義調のレトロモダンビル

　東京恵比寿駅のそばに建つ、20世紀を代表する世界的建築家：フランク・ロイド・ライトの最晩年の弟子である、建築家：遠藤楽(1927～2003)の設計作品：エビス加藤ビル(昭和60年築)の撮影を終えた筆者は、今度はJRの埼京線へ乗り新宿駅へ移動。そこから小田急電鉄の各駅停車へ乗り換えた。

　新宿駅南口は筆者が子供の頃は大規模な国鉄(JR)の貨物ヤードがあったが、今から25年ほど前から再開発がおこなわれ、大規模デパートやファッションビルや、バスターミナルが入居する多目的ビルなどが建てられ、すっかり様変わりしている。だが小田急南口の改札口周辺の作りは昔のままの作りだ。

　なおこの先、小田急や京王のステーションがある新宿駅西口周辺は大規模な再開発がおこなわれるそうで、小田急の南口改札口周辺も様相が一変しそうな気配である。

　小田急線は筆者にとっては昭和末から平成初めにかけて通学で利用していた、思い出深い路線である。しかし現在は高架複々線事業が完成し、当時とは別の路線のように変貌を遂げている。当時アイボリーホワイトの車体にブルーのラインが眩しかった鋼鉄製の電車も、ステンレス製のものへと置き換えられ、昭和レトロの雰囲気が漂っていたロマンスカーも最新鋭のものへと代替わりしている。しかし新宿駅から参宮橋駅までの路線の風景は、昭和末の頃と然程変わっていない。

　そういう事で今回紹介させていただくのが、南新宿駅のホーム手前に建つ小田急南新宿ビル。昭和2(1927)年4月に開業した小田原急行電鉄の本社屋として、同年の12月に竣工したものである。

　実は今回の記事で使用していている写真撮影の一か月前ほど前に、解体中が始まったばかりの小田急百貨店旧館(昭和37年開店、令和4年閉店)の姿を見て、小田急旧本社の所存が急になってしまい、約10年ぶりにこのビルへ訪れた訳である。こちらは今の段階では解体されず、現役のビルとして使われていた。

　小田急電鉄の前身となる小田原急行鉄道は、大分出身の実業家：利光鶴松(1864～1945)らによって大正12(1923)年に設立。昭和2(1927)年に新宿～小田原間の小田原線、昭和4(1929)年には相模大野～片瀬江の島間の江ノ島線を開通させている。また小田原急行は、開業当初から当時の民営鉄道としては珍しかった全線電化および複線化を実現させ、高速化を図るという先見性を持った鉄道会社だった。その小田急が建設したのが、この本社ビルだったのである。

　そして当時新興の鉄道会社だった小田原急行が建設したのが、冒頭の写真でご覧いただいた本社ビルであった。設計は東京帝国大学出身で、鉄道省や逓信省での勤務経験を持つ建築家：渡辺仁(1887～1973)が担当している。

　渡辺仁と言えば東京銀座の旧服部時計店(現銀座和光、昭和7年築)、東京有楽町の日本劇場(昭和8年築)、東京有楽町の第一生命本館(昭和13年築)、東京上野の東京国立博物館本館(実施設計：宮内省内匠寮、昭和12年築)の設計で知られる昭和を代表する建築家の一人である。

　渡辺仁は鉄道省、逓信省の勤務を経て、大正9(1920)年4月に東京の京橋において自身の建築事務所〔渡辺仁工務所〕を開設する。ちなみに当ブログの主人公である建築家：関根要太郎(1889～1959)は、同年の同じ月に自身の建築事務所〔関根建築事務所〕を東京銀座に開設させている。大正半ばからから昭和初めにかけて、かなり事務所が繁盛していた関根に対し渡辺仁は、あまり大きな仕事にはあまり恵まれておらず、小田急本社と同年に竣工した横浜山下町のホテルニューグランド(昭和2年築)以外には、大規模な商業建築の設計は殆ど手掛けていなかった。

　

　そのような時期の渡辺作品・小田原急行鉄道本社であるが、当時国内で大流行していたドイツ表現主義の影響が色濃く出た作品となった。現存する作品で言えば、函館市末広町に現存する旧百十三銀行本店(設計：関根要太郎+蔵田周忠、大正15年築)と比較していただくと、この作品のおおよそのイメージを掴んで頂けるかも知れない。

　また横浜国立大学名誉教授：吉田鋼市氏の著書でも指摘のように、建物各所にはアール・デコ建築の影響が感じられるのもこの作品の特徴である。函館の関根作品も表現主義の間に、アール・デコやキュビズムなど幾何学的要素が入っているので、この時代のスタンダードだったのだろう。

　そしてこの作品の見所の一つと言えば、各階を仕切る水平線が強調されたコーニスに、1階線路際に設けられた表現主義風の半楕円形の窓だろう。以前にも紹介したが、小田急旧本社のこの窓は、昭和の末から平成の初めにかけて新宿駅から小田急線に乗り通学していた筆者にとって、とても印象的なものだった。同系列のデザインの窓は3階(もしくは4階)にも設けられているが、この1階窓は小田急を利用した乗客たちの視覚的効果を狙ったものだと想像してしまう。

　当時は昭和を代表する建築家が設計を手掛けた、60年前に建てられた建物だとは想像もしなかった筆者。それから30年、あの時の感覚を思い出すために、この日は一駅の区間ではあったが(・・・実は電車の待ち時間を考えると、JR新宿駅の新南口からサザンテラスを歩いた方が圧倒的に早い)、小田急線に乗って当時の感覚を追体験したのである。

　車内は割と混んでいたため撮影はできなかったが、渡辺仁作品の表現主義的デザインを久しぶりに堪能できた。

　とんでもないスピードで町に再開発がおこなわれている現在の東京。このような無名の歴史的建造物が、生き続けられるかとても気になるところである。今年で築96年。その存在は殆ど知られていないが、小田急の歴史と共に歩んできた旧本社屋、皆さんにもぜひ注目していただきたい、東京を代表する昭和モダン建築の一つ。近い将来、国の重要文化財に指定されても不思議ではない、素敵な建築作品である。

◆旧小田原急行鉄道本社(現小田急南新宿ビル)

　◎設計：渡辺仁(渡辺仁建築工務所)

　◎施工：清水組

　◎竣工：昭和2(1927)年12月27日

　◎構造：鉄筋コンクリート造3階建て、地下1階

　◎所在地：東京都渋谷区代々木2-28-12

小田急・南新宿駅ホームより。ホームの向こうには小田急旧本社の姿が確認できた。ホームの新宿駅寄りに行けば、もう少し旧本社の姿を撮影できそうだが、ホームがあまりにも狭いためこの辺りで撮影を断念。

南新宿駅の改札から北側の小道を上っていくと、小田急旧本社の裏側に辿り着く。やや楕円になっている半円形の窓など、表現主義のデザインがたっぷりと堪能できる。

玄関や建物の角部分は、表現主義やアール・デコのデザインが混在する。

◆竣工当時の小田急本社

外壁は新たな建材に取り替えられているが、竣工当時のデザインが今に引き継がれている事が分かる。

❖図版・・・・「小田急75年史」平成15年

◆日本劇場(東京、設計：渡辺仁、昭和8年築)

現在の千代田区有楽町、マリオンが建つ場所にあった渡辺仁の代表作の一つ。やはり渡辺仁の設計により、この前年に竣工した服部時計店(現銀座和光、昭和7年築)のルネサンス調から一転、表現主義の流れを汲んだとてもモダンな仕上がりになった。

なお東京・横浜における渡辺仁の代表作は下のリンクを参照していただきたい。

❖図版・・・・「建築の東京」都市美協会、昭和10年

◆渡辺仁建築工務所広告

大正11(1922)年に雑誌「建築世界」の裏表紙に掲載されたもの。場所は東京市京橋区南伝馬町の第一相互館(設計：辰野金吾+葛西萬司、大正10年築)の3階と記されている。

ちなみに現在この建物の跡地には第一生命保険の都心総合支社が置かれており、高層ビルの階上には辰野金吾時代の塔屋を模したモニュメントが設置されている。

❖図版・・・・「建築世界」大正11年7月号、筆者所蔵

********************************************************★参考文献・参考資料「日本の近代建築、下　大正・昭和篇」藤森照信氏著、平成5年、岩波新書「日本のアール・デコ建築家」吉田鋼市氏著、平成28年、王国社「生き続ける建築　渡辺仁」INAX　Report、平成22年「小田75年史」小田急電鉄株式会社、平成15年★撮影・・・・2023年3月