函館ハリストス正教会(函館の建築再見2021)

◆函館ハリストス正教会復活聖堂

　・・・・大正5年竣工、日本を代表する美しいキリスト教会

　このところ国内の各都市で積極的におこなわれているのが、国の重要文化財に指定されている歴史的建造物の大規模改修工事である。長崎は町を代表する洋風建築である旧グラバー邸と旧イギリス領事館、小樽は明治中期竣工の美しい事務所建築・日本郵船小樽支店などが修繕工事の最中である。

　ちなみに函館では旧函館区公会堂が約２年半の工期を経て、今年春に改修工事が終わりリニューアルオープン。この他に函館市杉並町の遺愛女子高等学校・中学校の本館も、約5年に渡る大規模改修工事がおこなわれている。

　そして昨年の暮れから大規模改修工事が始まったのが、元町の高台に建つ函館ハリストス正教会。建物全体の修繕と耐震補強を約2年の工期でおこない、令和4(2022)年12月の再開を目指しているという。そういう事で筆者も昨年秋の函館訪問時、しばしの見納めにハリストス正教会を撮影しようと考えていた。しかし日照時間の短い晩秋という事もあり、他の場所を巡っているうちに日没になってしまい、ライトアップされた正教会の聖堂しか撮影できなかった。そういう事で今回は過去10数年に渡り撮影したハリストス正教会の写真を掲載してみた。

　函館ハリストス正教会の歴史は開港間もない安政6(1859)年に始まる。ロシア領事のゴシケヴィッチが当時設けられたばかりの領事館内に聖堂を建てた。更にその2年後には、この年に来日した修道司祭のニコライ・カサ―トキンにより、3人の日本人が洗礼を受け、日本におけるロシア正教会の歴史が始まる。

　そして間もなく元町の高台、現在ハリストス正教会が建つ場所にロシア領事館および初代聖堂が建てられ、以降函館ハリストス正教会はこの地に鎮座し続けることになった。また先に紹介した司祭のニコライ・カサ―トキン師(1836～1912)は、東京駿河台に建つ聖堂の名称に用いられる事などでもお察しの様に、同教会の布教を積極的におこなった功労者である。

　なお初代の聖堂は、万延元(1861)年の竣工。当時の古写真を見ると、ロシア正教会によく見られる玉葱型のキューポラを持つ、独特な形をした教会だったようだ。更に翌年には南北に聖堂を増築、十字架の形をした教会が出来上がっている。この聖堂は40数年のあいだ使われ続けたが、明治40(1907)年8月の函館大火で焼失。その後仮聖堂の期間を経て、地元の信者やロシアの一老寡婦の寄付により、大正3(1914)年11月に新たな聖堂の建設工事は開始された。

　そして大正5(1916)年の秋、煉瓦造平屋で外壁に白漆喰を塗った美しいこの聖堂は竣工した。幕末期に竣工した先代の聖堂と同様に玉葱型のキューポラを置くロシア風のビザンティンスタイルで、10月15日に成聖式をおこない、祈り場として本格的な使用が始まった。

　塔屋は実質3階建てになっており、ここより国内でも有名になった鐘が鳴らされている。そして元町カトリック教会との鐘の音の共演は、函館の名物である。また国内に同時期建てられた正教会の聖堂に比べ、キューポラが多く置かれているのも、函館ハリストス正教会の見所の一つと言えるだろう。

　聖堂内はヴォールト天井で、建物の外観以上の広がりを感じさせる作りになっている。聖堂奥には数々のイコノスタス(聖障、イコン画)が飾られており、質素ではあるが温かみのある空間が広がっている。2連のアーチとその上の丸窓も堂内から見ると、なかなか美しい。そして堂内の床には丁重に織られた美しい花茣蓙が敷かれており、その昔信者たちはここに座って祈りを捧げていたのだろう。筆者もここに座ってイコン画をいつも鑑賞させていただいている。

　ロシア・ビザンティン様式のとても美しい函館ハリストス正教会。設計は同教団の輔祭を務めていた河村伊蔵(1860～1940)が担当したと言われている。河村伊蔵は愛知県南知多の生まれ。明治16(1883)年に内海正教会で洗礼を受け、その後上京し神田駿河台の正教会の神学校でロシア正教について学ぶ。その後、副輔祭・輔祭として日本国内に建てられる正教会聖堂の設計に携わった。愛知県豊橋市に現存する豊橋ハリストス正教会(大正2年築)は、その頃の作品である。

　なおハリストス正教会竣工より５年後にあたる大正10(1921)年の春、区立函館病院外来診療棟(旧所在地：弥生町、大正10年築)建設のため函館に滞在していた在京の建築家・関根要太郎(1889～1959)は、〔建築評論〕という雑誌の中で函館の見聞記を発表し、函館近郊上磯(北斗市)のトラピスト修道院(明治41年築)とともに、ハリストス正教会の美しさを称賛している。その手記の中で関根は、函館ハリストス正教会について、「宗教的建造物で外人の計画になりました処の」と前置きをしているのだ。

　近年の研究によると京都のハリストス正教会(明治34年築)は、ニコライ・カサ―トキン師がロシアで入手した正教会の建築図譜を参考に、日本人建築家の松室重光(1873～1937)が実施設計にあたったという発表もされている。京都以降に国内に建設されたハリストス正教会もこれに似たスタイルで建てられているので、ニコライ師の建築図譜を参考に河村伊蔵が、実施設計を手掛けたという事になるのだろう。

　しかし青年建築家・関根要太郎にロシア人建築家の作品と思わせてしまった、河村伊蔵の腕前は大したものである。ちなみに函館ハリストス正教会、煉瓦・漆喰の建材などは国産の品で賄われているという。

　令和3(2021)年の春、大規模改修工事のため工事用のフェンスに覆われたという、函館ハリストス正教会。大規模な修繕工事は、国の重要文化財に指定された昭和63(1988)年以来、30数年ぶりの事だという。これから2年後、新たに生まれ変わったハリストス正教会を見る時は、様々な角度からこの聖堂を堪能してみたいものである。そういう事で本日は過去10数年に渡り撮影したハリストス正教会の写真をご覧いただきたい。

◆函館ハリストス正教会復活聖堂

　◎設計原案：ロシア人技師、もしくロシア正教会関係者?

　◎実施設計：河村伊蔵

　◎施工：尾林利吉

　◎竣工：大正5(1916)年10月

　◎構造：煉瓦造外壁白漆喰塗り平屋、塔屋3階

　◎所在地：函館市元町3-13

　　❖国指定重要文化財

★「北海道より」関根要太郎著、大正10年

早稲田大学の教授で建築家の佐藤功一が創刊した〔建築評論〕に発表された、関根要太郎の紀行文。この5年前に竣工した函館ハリストス正教会を優れた建築作品として紹介しているのは注目すべき点である。

❖図版・・・・「建築評論」大正10年

★「旅泊余滴」関根要太郎著、昭和12年

昭和11(1936)年9月、函館を訪れた際の紀行文。昭和9(1934)年に起きた大火の復興途中の函館市街のほか、ハリストス正教会とトラピスト・トラピスチヌ各修道院を紹介している。

❖図版・・・・「日本建築士」昭和12年3月号

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★参考文献・資料

「函館ハリストス正教会ホームページ」

「日本正教会ホームページ」

「京都ハリストス正教会神女福音聖堂の建設経緯について」石川祐一氏論文、京都市文化財保護研究紀要、平成30年

「北海道の建築探訪」函館建築研究会・函館の歴史的風土を守る会編、北海道新聞社、平成9年

★撮影・・・・2009年6月、2010年4月、2016年3月、2018年9月、2020年10月