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![]() ・・・・明治35年築、フランス帰りの建築家が遺した美しきルネサンス作品 本日紹介させていただくのは、神戸市中央区の下山手通に建つ兵庫県公館。フレンチ風ルネサンス調のデザインが美しいこの洋館は、明治35(1902)年兵庫県庁の本庁舎として建てられたものだ。 諏訪山をバックに凛として建つ、旧兵庫県庁舎。その設計はフランス留学の経験を持ち、明治18(1885)年から7年間に渡り、文部省の技師を務めた建築家・山口半六(1858~1900)が担当している。 個人的には昨年の春に金沢を旅した際、金沢城そばの広坂に建つ山口半六の設計作品・石川四高記念文化交流館 がとても気に入った。明治24(1891)年に旧第四高等中学校の本館として建てられた、赤煉瓦のシンプルなデザインの洋館は、明治時代に日本国内に建てられた洋風建築特有の堅苦しさもなく、長時間見学していても見飽きないものだったのである。 そして金沢の旧四高見学を機に、筆者の中では中でちょっとした山口半六ブーム到来したのである。金沢旅行より間もなく東京台東区の上野公園内に移築保存されている、山口の設計作品・旧東京音学校奏楽堂(明治23年築)も見学。こちらは少し装飾が賑やかな、木造2階建て・ルネサンス調の作品であったが、今から130年以上前に建てられた洋風建築の美を堪能することが出来た。 出雲(島根県)出身の山口半六は、大学南校(東京大学の前身にあたる学校の一つ)を卒業後、文部省貸費留学生に選抜され、明治9(1876)年からフランスへ留学。国立パリ中央工芸学校で学び、明治14(1881)年の帰国後は日本郵船の前身会社にあたる、郵便汽船三菱会社に就職。そして明治18(1885)年から文部省に入り、退官する明治25(1892)年まで先の旧四高、東京音楽学校奏楽堂、熊本に現存する旧第五高校、東京の第一高、先代の第二高など、文部省管轄の諸学校設計に携わった。 しかし文部省の在籍中に肺結核を患い、それが原因で退官。神戸の須磨で療養を始める。その傍ら関西に建築事務所を開設。のちに関西を中心に活躍する建築家・設楽貞雄(1864~1943)を支配人兼所長代理に置き、関西を中心に幾つかの作品を設計していく。 その中で手掛けることになったのが兵庫県庁舎だったのだが、起工間もなくの明治33(1900)年に山口は出張先の長崎で体調を崩し、関西に戻るも回復することはなくその年の8月に亡くなってしまった。41歳という若すぎる死であった。そして山口の没後から2年後の明治35(1902)年に、兵庫県庁舎は竣工したのである。 およそ3年の工期を経て竣工した兵庫県庁舎は、山口のフランス留学の経験が凝縮されたような、純度の高いフレンチ風ルネサンスの作品となった。また坂の町・神戸の建物らしく、坂下の正面玄関のほか、山側の生田新道側にもかなり立派な玄関口が設けられている。建物内に中庭が設けられ、それを囲むように正方形の庁舎が建つ、明治期に建てられた地方庁舎の中では、かなり豪華な作品だったと想像される。 ルネサンス調のとても美しい兵庫県庁舎だったが、昭和20(1945)年3月17日の神戸大空襲で、煉瓦の外壁を残し全焼。戦後、4年をかけて再建工事がおこなわれ、昭和27(1952)年に竣工。昭和30年代後半から昭和40年代初頭にかけて、鉄骨鉄筋コンクリート造の新たな庁舎が建てられたのを機に、県庁南館として使われることになった。 そして昭和58(1983)年に、山口半六設計の兵庫県庁舎は、約80年に渡る県庁舎としての役目を終える。この直後から約2年間の大規模修繕工事を経て、昭和60(1985)年に兵庫県公館としてリニューアルオープンした。 なお兵庫県公館への修繕工事に際し、外観は竣工時に近い姿に復原された。また建物内も鉄筋コンクリートで新たに建てられたものではあるが、アーチ型の梁や木製の手摺りなど、往時の雰囲気を連想させてくれる好感の持てる復原がされている。 今から120年前、20世紀を迎える直前に41歳の若さで亡くなってしまった天才建築家・山口半六の遺作にあたる作品。明治期に建てられた洋風建築によく見られる重苦しさもなく、とても明るい仕上がりになっているのもこの作品の魅力である。 もし山口半六が大正・昭和と長生きしていたならば、モダンな建築作品をたくさん制作していたのかなと想像が膨らむ作品。10年前と3年前に撮影したものになるが、ここからはフレンチルネサンス調の素敵な、旧兵庫県庁舎の様子をご覧いただきたい。 ![]() ◎設計:山口半六 ◎施工:同和組 ◎竣工:明治35(1902)年5月 ◎再建:昭和27(1952)年3月 ◎修復:昭和60(1985)年4月 ◎構造:煉瓦造2階建て(竣工時)、 鉄筋コンクリート造3階建て、地下2階(改修後) ◎所在地:神戸市中央区下山手通4-4-1 ❖国登録有形文化財 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ********************************************************** ★参考文献・資料 「日本の近代建築・上―幕末・明治篇―」藤森照信氏著、岩波新書、平成5年 「日本の美術 №448、日本人建築家の軌跡」田中禎彦氏著、至文堂、平成15年 「兵庫県公館ホームページ」 「ウィキペディア、山口半六」 ★撮影・・・・2010年7月、2017年4月
by sy-f_ha-ys
| 2020-07-25 15:25
| ◆明治モダン建築探訪
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Comments(6)
旧兵庫県庁舎のことは知っていました。でも写真すら見たことがありませんでした。
よくある旧県庁舎の類いだろうと思っていたので実際に見るまでは知ろうとも思っていませんでした。 なんだかスゴい異彩を放っていますね。素晴らしい。
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いやぁ素晴らしいですねえ......詳細は不勉強で存じ上げませんでした。「明治期に建てられた洋風建築によく見られる重苦しさもなく」まさしくその様に感じましたよ。なんというか浮き上がる様な軽快感みたいなものがあります。
そして中も良いですね。手抜きの一切ない気配りのきいた上品な面持ちで、落ち着きそうな空間です。ぜひ一度行ってみたいなと思わせてくれます。
> akrk0911さま
横浜の関内地区も素晴らしい歴史的建造物が多く現存していますが、神戸の旧居留地やその周辺にも素敵な歴史的建造物が多く現存しています。この建物は空襲で外壁を残して焼け落ちたそうですが、その外壁を使って建て直したというのも凄い話です。関東大震災で焼けた横浜の開港記念会館や、横浜正金銀行(神奈川県立歴史博物館)などを連想させます。 次の移動を考えて短時間で見学を終えてしまったのが悔やまれます。
> tokyo102さま
元祖建築探偵・藤森照信氏の著書を読むと、この建物の設計者である山口半六さんは、国家を代表する建物というより、文部省の技師だったこともあり堅苦しくない作品を多く制作していたそうです。明治建築の大家である辰野金吾さんや片山東熊さんの作品と比較すると、明るく爽やかで神戸の町並みに溶け込んでいるように思えます。 中は矢継ぎ早に見学したので、かなり見落としがあります。それは次の神戸旅行のお楽しみですね。 ![]()
片山東熊さんの設計なら、なんといっても表慶館が好きなのですが、確かに辰野・片山建築との比較をするとよく分かりますね。街並みに馴染む様にと、そのとおりに仕上げられたのは、今となっても我が国にとって大きな財産ですね。
私は東京の人間なのでなかなか関西に縁がないのですが、ここは本当に行ってみたいです。
> tokyo102さま、
上野国立博物館の表慶館、四谷の迎賓館、国の威信をかけたような気合の入りよう、そして欧州各国に建つ国の重要施設に劣らない完成度ですね。細部意匠に「日本らしい」箇所はありますが、遠目で見たら西欧の建築といっても押し通せそうな高レベルの洋風建築だと思います。 兵庫県庁を設計された山口半六さん、この当時肺結核を患っており、須磨で療養していた時にこの仕事を手掛けることになったそうです。建築家としての創作意欲が湧いてきたのでしょうが、完成を見ることなく40歳を過ぎたばかりの若さで亡くなっています。現在背後に色々と建物は建っていますが、竣工当時は坂の町・神戸にマッチした建物ではなかったと想像します。
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