横浜市中区日本大通りの神奈川県庁本庁舎(昭和モダン建築探訪)

◆神奈川県庁本庁舎
　・・・・昭和3年築、隠し味はアール・デコ、風格溢れるキングの塔


　先日紹介の旧三井物産横浜支店(設計：遠藤於菟＋酒井祐之助、明治44年築)をはじめ、現在は横浜DeNAベイスターズの施設として使われる旧日本綿花横浜支店(設計：渡辺節、昭和3年築)、質素な外観が美しい旧横浜商工奨励館(設計：横浜市建築課、昭和4年築)など、明治末から昭和初めに建てられた素敵な近代建築が建つことで知られる、横浜市中区の日本大通り。その代表的な作品といえば、間違いなく神奈川県庁舎だろう。

　東洋的な塔屋が付いたその風貌から、横浜に寄港した船乗りたちに横浜市開港記念会館(設計：福田重義、大正6年築)の〔ジャック〕、横浜税関(設計：大蔵省営繕管財局、昭和9年築)の〔クイーン〕とともに、〔キング〕の愛称で呼ばれていたという神奈川県庁舎。大正2(1913)年に煉瓦で建てられた、先代の県庁舎(設計：片山東熊＋木子幸三郎)が、大正12(1923)年9月の関東大震災後に発生した火災により、煉瓦壁を残して全焼し使用不可能になったため、昭和3(1928)年に新たに建てられたものである。

　震災直後から神奈川県の新庁舎再建については積極的に議論がされ、震災や火災に強い鉄骨鉄筋コンクリート構造にすることが決定する。そしてそのデザインについては設計懸賞競技により決められることになり、大正15(1926)年3月に募集を開始。この年の6月には、東京市電気局に勤務していた、山梨県出身の技師・小尾嘉郎(1898～1972)の案が当選したことが発表された。
　ちなみに懸賞競技の一等賞金の額は5千円。ちなみに当時の大卒の初任給が約50円だったそうで、当時20代後半だった小尾は、この原案当選により大金を手にしたのである。

　なお小尾嘉郎の当選案は、当時世界的に名を轟かせていたアメリカ人建築家：フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867～1959)の造形感覚を参考にしつつ、アール・デコ調の重厚感ある安定したものとなった。また小尾の案によると、中央に設けられた塔屋はもう少し高く、塔の最上部には観音像が設けられていた。震災で犠牲になった人たちへの鎮魂も込められていたのだろうか、完成した現物の神奈川県庁舎よりもエキゾチック感が強いものとなった。

　小尾嘉郎はキングの塔の原案を携えて、神奈川県県庁舎建築事務所に就職するが、僅か3ヶ月で退職してしまう。起工直前の準備段階での退職、この辺りの経緯は謎である。しかし小尾が神奈川県建築事務所に就職した段階で、県庁の設計プロジェクトは建築界の重鎮・佐野利器(1880～1956)のもと錚々たるメンバーで進行しており、若き無名の技師にとっては馴染めない環境だったのかも知れない。
　そして昭和3(1928)年の晩秋、約1年半の工期を経て神奈川県の新庁舎は竣工するのだが、その落成式には小尾は招かれていない(小尾が招待を拒んだ?)。小尾と神奈川県の間には、建設に関して何か遺恨があったとも想像される。

　このように完成した神奈川県庁舎であるが、小尾嘉郎の原案を崩さないデザインで完成した。3月中旬の横浜訪問時に久々に塔まで上り、そのついでに内部を見学しようと考えていたが、新型コロナウイルスの騒動で立ち入りは出来なかった。
　約20年前に筆者が内部を見学した時の記憶と、他の方が撮影された写真によると、和風をベースに硬質な室内が広がっているようである。キングの塔の内部見学に関しては、この騒動が終息してからの楽しみにしておきたい。

　そして神奈川県庁舎の竣工の翌年、のちにキングの塔と称される県庁舎を絶賛した建築家がいた。それは当ブログの主人公・建築家の関根要太郎(1889～1959)である。関根は昭和4(1929)年10月から12月まで、アメリカとカナダに視察旅行へ赴くのだが、自身の手記の中で出港間際に見た神奈川県庁舎について、その建築が見せる力強さを次のように感心しているのだ。
「横浜を離れた時、県庁舎の建物と塔屋が薄靄を通してかなり力強く見えた。写真や図面や或は地上で見た時とはあまりに相違して居る。近くにある開港記念館の細い塔が或は引立て役を為しておるのかも知れない。要するに量の問題であろう。塔屋の感じが日本の港を思わせるに充分であった。」
　❖「米国遊記」関根要太郎著、建築世界：昭和5年2月号より

　ちなみに神奈川県庁舎の建築設計懸賞競技の応募要項のなかに、港から見て映えるデザインにする事という項目があったとのこと。当時国内建築界の第一線で活躍していた関根要太郎も褒めた、キングの塔のボリュームあるデザインは、長年に渡り多くの人に親しまれることになったのである。
　この騒動が終息して次回横浜を訪ねたときは、湾内クルーズで関根が90年前に見たキングの塔の姿を、確認してみたいと思った筆者である。これ以降は20年に渡り筆者が撮りためた、キングの塔の写真の数々をご覧いただきたい。

◆神奈川県庁本庁舎
　◎意匠原案：小尾嘉郎
　◎建築顧問：佐野利器
　◎実施設計：神奈川県庁舎建築事務所(渡辺利雄、池辺宗薫ほか)
　◎施工：大林組
　◎起工：昭和2(1927)年1月15日
　◎竣工：昭和3(1928)年10月31日
　◎構造：鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て、地下1階
　◎所在地：横浜市中区日本大通り1

　　❖国指定重要文化財

横浜と山下公園を結ぶシーバスより。ジャック、キング、クイーンを望む。
★「米国遊記」関根要太郎著(昭和5年)

昭和4(1929)年10月から12月にかけて関根は不動貯金銀行の頭取・牧野元次郎の援助により、アメリカとカナダを巡る視察旅行へ赴く。その旅行については翌年に雑誌「建築世界」に連載された。その初回、横浜から旅立った関根が注目したのが、キングの塔こと神奈川県庁舎だったのである。

❖図版・・・・「建築世界」昭和5年2月号

上の8枚は平成21(2009)年撮影。和風をベースにアール・デコ的な幾何学的、結晶化なデザイン。
上の7枚は平成14(2002)年に神奈川県庁舎と、県庁の屋上から撮影したもの。象の鼻はまだ整備されておらず、東西上屋も現存していた時代の写真。

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★参考文献・資料

「都市の記憶　横浜の近代建築⑴」吉田鋼市氏著、横浜市＋横浜市歴史的資産調査会、平成3年

「日本のアール・デコ建築入門」吉田鋼市氏著、王国社、平成26年

「開港150周年記念　横浜建築家列伝」青木祐介氏著、横浜都市発展記念館、平成21年

「神奈川県庁本庁舎のデザインに関する一考察」佐藤嘉郎氏論文、日本建築学会計画系論文集、平成27年

「ブログ・美珍麗・探訪」モス氏制作、平成26年

「大林組ホームページ、OBAYASHI　thinking、建物探訪・神奈川県庁舎」平成22年

★撮影・・・・・2002年5月・6月、2009年2月・4月・8月、2014年10月、2015年9月、2017年7月、2019年10月・11月、2020年3月