横浜市中区山下公園の日本郵船氷川丸(昭和モダン建築探訪番外編)

◆日本郵船氷川丸

　・・・・昭和5年竣工、アール・デコの室内装飾が美しいレトロな貨客船


　長年の念願だったホテルニューグランドの宿泊のほかは、新型コロナウイルスの騒動もあり簡単な市内散策で終わってしまった、今年3月中旬におこなった横浜への小旅行。今の騒動が本格化していなかった、今年2月初旬の旅行予約段階では、山下公園を出発する昼の湾内クルーズを楽しもうと考えていたが、それも叶わなかった。

　そしてこの時の旅行でもう一つ旅のプランに入れていたのが、ホテルニューグランドのすぐそばの山下公園に係留されている氷川丸を、時間をかけてゆっくりと見学する事だった。ホテルニューグランドやマリンタワーと共に、山下公園界隈の象徴的な存在である。いかにもレトロな佇まいの氷川丸は、日本郵船の貨客船として横浜船渠(現三菱重工業横浜製作所)で昭和3(1928)年11月に製造を開始。昭和5(1930)年の4月に竣工し、その翌月から神戸・横浜～シアトル路線に就航している。

　なお〔氷川丸〕という船名は、埼玉県大宮にある武蔵一之宮・氷川神社から名前を貰ったのだという。ちなみに氷川丸と同時期に製造された日本郵船の貨客船2船も、東京日枝神社から〔日枝丸〕、京都平安神宮から〔平安丸〕という船名が付けられている。
　戦前、氷川丸は主にシアトル航路の船舶として活躍し、チャールズ・チャップリンや、秩父宮雍仁親王(1902～1953)・勢津子妃殿下(1909～1953)夫妻、嘉納治五郎(1860～1938)などの著名人が乗船した。特に嘉納治五郎は昭和15(1940)年に開催予定だった東京オリンピック誘致成功後氷川丸に乗り、その航行中に肺炎のためその生涯を閉じている。

　そして昭和16(1941)年からは、氷川丸は軍に徴用され病院船として使われ、終戦直後は復員船や一般邦人の引き揚げ船として使用された後、昭和22(1947)年から貨客船に復帰。大阪・横浜～函館・室蘭を結ぶ国内線に就航し、その数年後に日本郵船に帰属し再びシアトル定期航路に復活する。そして昭和35(1960)年に同社のシアトル航路が廃止になり、氷川丸は引退の運びとなった。

　氷川丸は引退後山下公園に係留されて、ユースホステルに使用。その後は横浜マリンタワーの管轄となり、観光施設として新たな活路を歩むことになった。また今から十数年前には当時の氷川丸を所有していた会社の経営が悪化し、一般公開をクローズする事態に陥った。
　しかしこの船の生みの親である日本郵船が氷川丸を買い取り、同社の施設として平成20(2008)年に再び一般公開が始まった。以前のごった煮状態だった展示内容とは違い、シンプルでとても分かりやすい展示になったのも好感が持てる。

　そのようなリニューアルオープンした氷川丸で筆者が印象に残ったのが、船内意匠の数々である。特に一等食堂、一等社交室、一等喫煙室、主階段室などは、1920年代から全盛を極めていたアール・デコのデザインで纏められているのだ。

　横浜国立大学名誉教授で、アール・デコ建築に関する著書を数多く発表されている吉田鋼市氏によると、東京目黒の旧朝香宮鳩彦邸(昭和8年築)、東京日本橋の三越本店(昭和2年築)と共に、日本におけるアール・デコの傑作と評価をされている。吉田氏のご指摘の通り、どれもアール・デコ発祥の地であるフランスから直輸入された、純度の高い芸術性の秀でたものである。

　氷川丸のアール・デコな室内デザインを手掛けたのは、フランス人工芸家のマルク・シモン(Mark Simon、1883～1964)である。日本郵船は同船の建造に対し指名コンペを実施、英・仏・日本国内のデザイナーから選ばれたのが、シモンのデザインだったという。
　なおシモンはこの時、氷川丸のほか日枝丸、平安丸の室内装飾にも関与したというが、両船とも戦時中に軍に徴用され、米軍の攻撃を受け沈没してしまっている。この他にシモンの代表作にフランスのノルマンディー号があったというが、戦渦に巻き込まれこちらも現存していない。

　この時の小旅行で、ホテルニューグランドのジャポニズムな室内装飾を見て、その後フランス風の繊細で切れ味十分な、氷川丸のアール・デコ室内装飾を堪能しようと思っていたが、残念ながらそのプランは叶わなかった。そういう事で今回は3年前の真夏に横浜へ訪れたさい、撮影した写真を中心に氷川丸の写真をご堪能いただきたい。
　この時は横浜駅からシーバスで山下公園へ向かったのだが、普段とは違う風景から見る横浜はとても新鮮なものだった。氷川丸のアール・デコ、見学できる日が再び訪れることを信じている筆者である。

◆日本郵船氷川丸

　◎設計：横浜船渠株式会社、日本郵船株式会社(推定)
　◎製造：横浜船渠株式会社
　◎室内意匠：マルク・シモン(Mark Simon)・・・・一等客室などを担当
　◎起工：昭和3(1928)年11月8日
　◎竣功：昭和5(1930)年5月13日
　◎構造：鋼鉄製
　◎所在地：横浜市中区山下町山下公園先
　　❖国指定重要文化財

　　❖経済産業省認定近代化産業遺産(平成19年)

★主階段室

照明器具、手摺りなど純度の高いアールデコ。下の紋章は船名の由来になった、埼玉大宮の氷川神社の神紋〔八雲〕を象ったもの。

★一等食堂

照明器具、絨毯、インテリアの細部までアールデコで纏められた、この船最大の見せ場の一つ。

★一等社交室

どちらかと言うと女性が使用することを想定して作られたそうで、他の部屋に比べると歴史様式とアール・デコの折衷と言った感じの部屋。この船のシンボル的存在のガラス戸は、冷房使用のため開けっ放しの状態になっており撮影できず。

★一等喫煙室

光が降り注ぐアールデコのトップライトが印象的な喫煙室。この船の見所の一つ。

★一等児童室

こちらは往時の資料を参考に再現されたものだという。1920年～30年代ならではの味のあるデザイン。

★一等客室、一等特別室

こちらはマーク・シモンではなく、日本郵船や横浜船渠など日本人関係者により、デザインされたと思われる箇所。ロココ調とジャポニズムを足して2で割った感じ。

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★参考文献・資料

「アール・デコの建築」吉田鋼市氏著、中公新書、平成17年

「図説　アール・デコ建築　グローバル・モダンの力と誇り」吉田鋼市氏著、河出書房新書、平成22年

「日本のアール・デコ建築入門」吉田鋼市氏著、王国社、平成26年

「日本郵船氷川丸ホームページ」

「武蔵一之宮　氷川神社ホームページ」

★撮影・・・・・2017年5月・7月、2019年10月・11月、2020年3月