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![]() ・・・・明治37年竣工、ダイナミックな作りの明治建築の最高傑作 久々に良く晴れた10月上旬の週末、約1年振りに横浜を訪ねた。西武鉄道・東武鉄道・東京メトロ・東急電鉄・横浜高速鉄道(みなとみらい線)の相互乗り入れ開始以来、横浜を訪れる際は最速のFライナーを利用している。 そのような事もあり下車するのは、Fライナー停車駅のみなとみらい駅か終点の元町・中華街駅ばかり。気が付けば訪問する場所も偏りつつあるので、いつもと趣向を変えて今回は途中で普通電車に乗り換え、馬車道駅で横浜散策をスタートすることにした。 赤煉瓦をメインとした駅構内のデザインが美しい馬車道駅。改札そばに展示されている、中村順平(1887~1977)作による壮大な旧横浜銀行本店の巨大レリーフを鑑賞したあと、エレベーターに乗り地上へと向かう。旧生糸検査所倉庫~帝蚕倉庫(設計:遠藤於菟、大正15年築)跡地に建てられているタワーマンションの高さに驚きつつ、馬車道へと歩を進める。 横浜が海外へ向けて開港した当時からある馬車道。この道も徐々に町並みは変わりつつあるが、横浜の他の場所と比較すれば昔ながらの風情を醸し出している。 その馬車道で最古参の建物と言えば、本町通りから馬車道に入ってすぐの場所に建つ神奈川県立歴史博物館である。ドイツ・バロック調の重厚な石張りの外観が印象的なこの建物、明治37(1904)年に外国為替をおこなう、横浜正金銀行の本店として建てられたものである。5年の工期を経て建てられたという横浜正金銀行本店、東京日本橋の日本銀行本店(設計:辰野金吾、明治29年築)と並ぶ、明治期に建てられた銀行建築の最高傑作だ。 巨大なドームと石張りの外観の対比が美しい旧横浜正金銀行本店、その設計を手掛けたのは建築家の妻木頼黄(つまきよりなか、1859~1916)。妻木は辰野金吾(1854~1919)、片山東熊(1854~1917)と並ぶ明治建築界の巨頭の一人で、内務省や大蔵省関連の設計を多く手掛けた建築家である。 ちなみに近年では横浜を代表する観光スポットとなった、新港埠頭の赤レンガ倉庫(明治44年~大正2年築)も妻木の設計作品である。明治期から大正初期にかけて活動した妻木だが、そのキャリアの代表する作品は間違いなく横浜正金銀行本店だろう。 妻木と言えば同世代の建築家とは一味違った、キャリアを歩んできたことで知られ人物である。幕末に旗本の子として生まれた妻木は、父の逝去に伴い幼くして家督を相続。17歳の時には屋敷と土地を売却しアメリカへ留学を始めるが、ニューヨークで知り合った日本人たちに諭され帰国する。帰国後は工部大学校造家学科(現在の東京大学工学部建築学科)で学ぶが、卒業1年前に同校を中退し再び渡米。コーネル大学へ編入しここで学士号を取得し、その後はニューヨークの建築事務所での勤務を経験した。 そして帰国後は国会議事堂の建設計画にも携わり、議院建設の研究のため明治19(1886)年から2年間のドイツ留学も経験している。 ドイツ帰国後より約10年後に建設が開始された横浜正金銀行本店も、その時の留学が影響したのかドイツ・ネオバロック調のデザインで作品は完成した。現場監督はこののち横浜を拠点に活躍する建築家・遠藤於菟(1866~1943)が担当した。 なおこの建物のシンボルの一つである巨大なドームは、大正12(1923)年の関東大震災で焼失。その後の改修工事で撤去されたが、昭和42(1967)年にこの建物が神奈川県立博物館として再生利用される際に復原されている。 なお旧横浜正金銀行本店、外観は竣工時の姿をよく留めているものの、関東大震災で内部が焼けたことや銀行から博物館から用途変更された事もあってか、一般公開エリアで竣工時の面影を残している箇所は少ない。しかしシャープに纏められた館内デザインは、昭和30年代から40年代当時の銀行建築らしさを感じさせてくれる。また非公開エリアになるが、地下には創建当時に作られた金庫室が残っているという。 明治建築ならではの重厚さというか寸胴さも感じさせるこの作品だが、堅牢で城郭のように金庫や本館を守っているという作りではなく、すぐそばある海へめがけて建物が張り出しているような印象をも受けてしまう。このような作りになったのは、為替をおこなう横浜正金銀行という会社の性格なのか、妻木頼黄の好みなのか分からない。 しかしこれだけ重厚な建物なのに親しみが湧いてきてしまうのは、この作品の魅力なのだろう。エースのドームとバロック調のデザインが美しいこの作品、今も昔も横浜を代表する建築作品である。 ![]() ◎基本設計:妻木頼黄 ◎現場監督:遠藤於菟 ◎施工:直営 ◎起工:明治32(1899)年3月 ◎竣工:明治37(1904)年7月 ◎構造:石造、および煉瓦造3階建て、地下1階 ◎所在地:横浜市中区南仲通5-60 ❖国指定重要文化財 ❖国史跡 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ************************************************************ ★参考文献・資料 「日本の近代建築 上―幕末・明治篇ー」藤森照信氏著、平成5年、岩波新書 「都市の記憶 美しいまちへ」鈴木博之氏著・増田彰久氏写真、平成14年、白揚社 「神奈川県立歴史博物館 ホームページ」 ★撮影・・・・・2019年10月
by sy-f_ha-ys
| 2019-10-26 10:26
| ◆明治モダン建築探訪
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Comments(2)
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いつもながら、角の使い方が素敵ですねえ
確かにこの建物は親しみが湧きますね 作り手の内面がにじみ出ているというのか、やはり造形物は設計者の 何かが反映されるように思います それにしても、我が国はやはり何かしらの景観整備は必要なのではと 写真を観ていて感じました。看板であるとか、歩道含めた道路の美観であるとか。
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tokyo102さま、この建物の設計者である妻木頼黄さん、辰野金吾さんや片山東熊さんと並び明治建築界の巨頭と呼ばれいますが、他の明治の建築家にはない街角との調和という点では他を圧倒していた建築だと思います。
正面玄関は町を飛び出して、横浜の港を通過し海を越え、遠く海外にも行きそうな感じです。素敵な作品です。 横浜の関内とその周辺地域ですが。いち早く電線を地下に埋没させた地域として知られています。このような景観への配慮は横浜が誇る点ですよね。
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