埼玉県深谷市の誠之堂(大正モダン建築再訪)

◆誠之堂
　・・・・大正5年築、渋沢栄一ゆかりの地に移築された美しき大正モダン建築


　猛暑が続く8月の下旬、約10年振りに埼玉県の深谷市を訪ねた。埼玉県の北部に位置する深谷は、江戸期は中山道の宿場町として、明治以降は長葱をはじめとした農業と煉瓦製造で栄えた町である。
　そして深谷といえば、近代日本の経済発展を支えた大実業家・渋沢栄一(1840～1931)の生誕地でもある。また令和5(2024)年に発行される新一万円札の肖像に、渋沢が用いられることが今年春に発表された事もあってか、深谷の町には渋沢に関するイベントが色々とおこなわれていた。

　そして今回訪ねた誠之堂(せいしどう)は、渋沢栄一の喜寿を記念し、大正5(1916)年に東京都世田谷区の瀬田にあった第一銀行の保養施設〔清和園〕内に建てられたものである。またその建設資金は、渋沢栄一が設立した第一銀行の行員の寄付により賄われたという。
　詳しくは後ほど改めて紹介させていただくが、今から20年前にこの建物は解体寸前の状態に追い込まれていた。しかしとある女性建築史家の熱意により、深谷市に移築されたものである。丹精に作り込まれた、赤レンガのとても美しい建築作品である。

　設計と施工は渋沢栄一の縁の深い、清水組(現清水建設)が担当。設計主任として清水組の技師長だった建築家・田辺淳吉(1879～1926)が担当することになった。誠之堂は東京飛鳥山の晩香蘆(大正6年築)、青淵文庫(大正14年築)と共に、清水組が渋沢栄一の喜寿・傘寿を記念し建てたものである。この3つの作品とも田辺淳吉が設計を担当している。

　誠之堂は煉瓦造平屋、室内に30坪ほどの集会所を持つ施設となった。誠之堂という名は、渋沢の好きな儒教の経典〔中庸〕の一節から取られたものだという。
　
　誠之堂の建つ清和園は、昭和46(1971)年よりセント・メリーズ・インターナショナルスクールに貸し出され、誠之堂は同校の外国人教師宅などとして使われていたという。しかしバブル経済が崩壊した第一勧業銀行末期にあたる平成9(1997)年には、土地は売却の対象となる。そして誠之堂とその隣に建つ清風亭(大正15年築、設計：西村好時)は、解体されることになり、解体用のフェンスが覆われ、間もなく解体される状態になっていたという。

　その絶望的な状況を救ったのは、当時清水建設の上等研究員をされていた建築史家の松波秀子さん。松波さんは解体寸前の誠之堂と清風亭の移築を、渋沢の生誕地である深谷市に打診。市長をはじめとする市関係者はその熱意に打たれ、同市への移築を英断する。
　そして平成10(1998)年から移築へ向けた解体工事が始まる。特に誠之堂は建物を幾つかのパーツに分解し、現地で再び接合する〔大ばらし〕という手法がとられたという。今から10年前に松波さんから伺った話によると、大きな部材を運べるルートの選定など、移築はとても骨が折れるプロジェクトだったという。そして平成11(1999)年の夏に移築工事は完成、深谷の地に美しい誠之堂の姿が蘇ったのである。

　誠之堂はイギリスの田園的な風情を漂わせつつも、中国や朝鮮の東洋的な要素を織り交ぜている。また誠之堂が建てられる数年前、田辺はイギリス、ドイツ、オーストリア、イタリアなどの建築視察旅行へ赴いている。
　そしてウイーンにおいて、ウイーンセセッションの名作である、オットー・ワーグナー(Otto Wagner、1841～1918)設計の郵便貯金局(1906年築)に深く感銘を受けたという。そのようなヨーロッパで1900年前後に起きたモダンムーヴメントの影響を、誠之堂にもどことなく感じられる。様々なエッセンスを上手く融合させているのが、田辺作品の妙であると思う。

　また色合いを考えて美しく積まれた外壁の煉瓦、実際の室内以上に広がりを感じさせるヴォールト天井、様々な調度品など建物細部のどの箇所を見ても、非の打ち所がない。そして宇野ステインド硝子工房制作による、中国漢時代の画像石をモチーフとしたというステンドグラスは、この建物の美しさを更に増長させている。

　深谷に移築された誠之堂、大正モダン建築の最高傑作と言っても過言ではない作品だ。深谷駅からの公共交通機関のアクセスが悪いのが少し難点だが、ぜひ一度訪れていただきたい田辺淳吉の美しい建築作品である。次回は世田谷区の清和園から移築されたもう一軒の作品、清風亭を紹介する予定だ。

◆誠之堂
　◎設計：田辺淳吉
　◎施工：清水組
　◎竣工：大正5(1916)年
　◎移築：平成11(1999)年8月
　◎構造：補強式煉瓦造平屋

　◎現所在地：埼玉県深谷市起会110-1

　◎旧所在地：東京都世田谷区瀬田1-6

　　❖国指定重要文化財

ステンドグラスは宇野澤硝子工房の製作による。中国漢代の画像石がモチーフになっているという。

建物内には設計者・田辺淳吉の展示もされていた。
建物の煉瓦は深谷の日本煉瓦製造で作られたもの。製造から80年ちかい時を経て、煉瓦は里帰りしたという事になる訳だ。

大正モダン建築の名手・田辺淳吉の設計作品は、当ブログでは誠之堂の他に3作品を取り上げています。併せてこちらもご覧ください。

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★参考文献・資料

「生き続ける建築・田辺淳吉」松波秀子氏著、INAX　REPORT・№170、平成19年

「図面でみる都市建築の大正」鈴木博之氏、初田亨氏編、柏書房、平成4年

「日本のステンドグラス　宇野澤辰雄の世界」田辺千代氏著、白揚社、平成22年

「誠之堂・清風亭物語」深谷市教育委員会、深谷市、平成11年

「日本の建築　明治大正昭和　8・様式美の挽歌」伊藤三千雄氏著、三省堂、昭和57年

★撮影・・・・・2019年8月