埼玉県秩父市の旧秩父セメント第二工場(昭和モダン建築探訪)

◆旧秩父セメント第二工場
　・・・・昭和31年竣工、建築家・谷口吉郎が設計した日本一美しい工場建築


　平成から令和に年号が変わり、例の大型連休が終わって間もなくの5月上旬、久しぶりに埼玉県の秩父市を訪ねた。近年秩父の春の風物詩としてお馴染みとなった、羊山公園の芝桜の見頃も終わり、観光としては今一つ物足りない時期になってしまったが、今年3月にデビューした西武鉄道の新型特急車両Laview(基本設計：妹島和世)乗りたさに、秩父へ訪れた筆者であった。

　そして新型特急の乗車前に長瀞のほか、秩父鉄道の大野原駅そばのとある寺院に葬られている、建築家・山中節治(1895～1952)の墓地を訪ねた。山中は当ブログの主人公である建築家・関根要太郎(1889～1959)の実弟で、奥秩父の大滝村で生まれ育っている。
　ちなみに山中節治の墓には、関根要太郎と節治の母親も一緒に葬られている。以前ご遺族から伺った話によると、この墓の石は秩父三峯山神社の現場で関根が偶然掘り起こしたものを、墓石として使用したという。10数年振りの訪問で場所をすっかり忘れてしまい、寺の墓地内を探し回る羽目になってしまったが、関根が母と弟のために建てた美しい墓に手を合わせることが出来た。

　そして今回の旅のもう一つの目的が、大野原の北側に建つ秩父太平洋セメントの工場を見学する事だった。かつては秩父セメントと名乗っていたこの会社は、大正12(1923)年に埼玉出身の実業家である渋沢栄一(1840～1931)、諸井恒平(1862～1941)が中心となり設立されたものである。
　秩父セメント会社は、秩父の霊峰である武甲山で採掘された石灰岩を原料に、セメントの生産を開始。当初は秩父市郊外の大宮に大正14(1925)年に建てられた第一工場で、セメント製造をおこなっていた。しかし戦後になりこの工場では手狭になったため、冒頭の写真でご覧いただいた大規模な工場が建てられる事になったのである。

　そして秩父市北部の大野原に昭和31(1956)年に竣工したのが、秩父セメントの第二工場だった。基本設計は当時東京工業大学の教授を務めていた谷口吉郎(1904～1979)が担当し、実施設計は日建設計が担当している。谷口は前回の金沢建築探訪記でも紹介させていただいたが、昭和3(1928)年に東京帝国大学の建築学科を卒業し、東京工業大学で教鞭をとりながら、数多くの美しい建築作品を世に送り出した。
　谷口の作品というと、博物館や美術館、オフィスビルなどの印象が強い。しかし大学の卒業設計のタイトルが「鉄工所」という事もあり、工場建築の製作にも意欲的だったと想像される。

　長閑な田園風景が広がる秩父大野原に、冒頭の写真でご覧いただいた絵画的な煙突とその背後に建つ巨大プラントの姿は、一見するとかなり威圧的な印象を受ける。しかし細部を観察してみると、工場建築とは思えない美しい造形の煙突をはじめ、背後の工場プラント部分など、無機質で硬質な工場とは違う絵画的な美しさを感じてしまったのである。
　また工場の一部のデザインには、谷口吉郎の建築作品に多く見られる縦長の格子模様や、煉瓦タイルが効果的に貼られるなど、芸術的要素も多く見られる。当時の秩父セメントや設計者である谷口吉郎の理念をも強く感じられる、とても美しい建築作品だ。

　秩父セメント第二工場の竣工から60年。秩父セメントのメインの採掘場であった武甲山は、東京からでも山容の変化が分かる程に削り取られ、往年の美しい山容が想像できない、とても無残な姿になってしまった。

　そしてここ20年ほど秩父のセメント製造業も急速に衰退し、筆者が子供の頃は西武鉄道を頻繁に走っていた、三菱マテリアルによるセメント輸送の貨物列車は廃止。更に秩父鉄道のセメント(石灰)輸送の貨物列車も、以前の賑わいが信じられないほど僅かなものになってしまっている。

　秩父太平洋セメントと社名を変えたこの工場も、30年ほど前からは武甲山から採掘された石灰ではなく、群馬県神流町の叶山工場から採掘した石灰を使用するようになった。更に平成8(1996)年には大正末に開設された第一工場が閉鎖となり、平成22(2010)年には第二工場での普通セメントの製造が中止されている。そのような状況のなか、秩父セメント第二工場の巨大プラントの今後は、とても気になる問題である。

　戦後秩父の主産業だったセメント製造業を象徴するような、雄大で美しい工場建築。駅からは少し距離があるが、秩父鉄道の車内からも美しい工場の姿は鑑賞できるので、秩父に訪れた際には是非注目していただきたいものである。
　観光とは一味違うこの日の秩父訪問だったが、美しい秩父の春を満喫し帰途についた筆者であった。

◆旧秩父セメント第二工場(現秩父太平洋セメント工場)

　◎基本設計：谷口吉郎
　◎実施設計：日建設計工務
　◎構造計算：二見秀雄、加藤六美
　◎機械設計：スミス社(デンマーク)
　◎施工：安藤組、清水建設、大正鉄筋コンクリート、大成建設、戸田組
　◎竣工：昭和31(1956)年、昭和33(1958)年
　◎構造：鉄筋鉄骨コンクリート造、一部鉄骨造
　◎所在地：埼玉県秩父市大野原1800
　　❖日本建築学会賞(昭和31年度)

　　❖DOCOMOMO　JAPAN選定・

　　　日本におけるモダン・ムーヴメント建築(平成11年)

ブログの記事の内容から少し脱線しますが、この時の日帰り旅行で乗った西武鉄道の新型特急電車〔001系、Laview〕の紹介記事です。

基本デザインは日本建築学会賞、米国のプリツカー賞、村野籐吾賞の受賞歴を持つ、建築家の妹島和世(せじまかずよ、1956～)さんが担当しています。宜しければこちらも併せてご覧ください。

遠くに見えるのは武甲山。この山は北面が石灰岩で形成されているため、100年近くおこなわれた採掘の結果、このような姿になってしまった。

東京都内でも高い場所に上ると、Ｌ字型に削られた武甲山の姿が確認できる。

秩父鉄道の貨物駅・武州原谷駅も、以前はセメント輸送の貨車が所狭しと停まっていたが、今は閑散としている。

山中節治と節治と関根要太郎の母の墓がある、大野原のとある寺より武甲山を望む。

大野原から数駅秩父鉄道を寄居方面へ向かえば、埼玉を代表する景勝地・長瀞がある。

ちなみに西武秩父駅がある場所にはその昔、関根要太郎の母校・郡立秩父農学校(現埼玉県立秩父農工科学高校)の校舎が建っていた。駅前にはその記念碑がひっそりと置かれている。

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★参考文献

「光跡　モダニズムを開花させた建築家たち」池原義郎氏著、新建築社、平成7年

「東文研　アーカイブデータベース、谷口吉郎」

「ブログ　収蔵庫　壱號館」菊池潤氏作成、平成20年

「秩父太平洋セメントホームページ」

「ウィキペディア、諸井耕平」

★撮影・・・・2019年5月