by ヨウタロウ研究員
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◆旧芦屋郵便局電話事務室 ・・・・・昭和4年築、シックな佇まいのレトロモダンな旧電話局舎 昨年4月の神戸旅行最終日、山手通の相楽園内に建つ旧ハッサム住宅(明治35年ころ築)と、旧小寺家厩舎(明治43年ころ築)の見学を終えた筆者が、次に向かったのは神戸市の東にある芦屋市だった。芦屋と言えば全国屈指のお屋敷街として知られる、人口約9万5千人の町である。 六甲山と芦屋の町を一望できる、芦屋川上に掛かる阪神電車の橋上駅舎を下車し、向かったのは大桝町という住宅街であった。度重なる六甲山からの豪雨時の大水と、それを防ぐため高い堤防を作ったため天井川になってしまった、芦屋川からの坂道を下る。 そして阪神淡路大震災後に再開発された目新しい住宅街を歩くこと数分、到着したのが冒頭の写真でご覧いただいた、シックな佇まいのレトロビルディングである。これが今回の目的地である、旧芦屋郵便局電話事務室(昭和4年築)。現在は芦屋モノリスという、レストランと結婚式場としてリノベーションされている。 2階の薄褐色と1階の焦げ茶色の、スクラッチタイルのコンビネーションが美しい、かつての電話局。当時、郵便と電信を統括していた、逓信省の営繕課の設計により、昭和4(1929)年に建てられたものである。ちなみにこの頃の逓信省は、新たな連絡手段として国内で流通しはじめていた、電信・電話局の建設に追われていた。その中で建てられたのが、芦屋の電話局だったのである。 シックで美しい旧芦屋郵便局電話の設計を担当したのは、逓信技師の上浪朗(うえなみあきら、1898~1975)である。大阪生まれの上浪は、大正11(1922)年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業。それより間もなく逓信省に就職し、経理局営繕技師に配属される。そして昭和21(1946)年の退官まで、数多くの逓信建築の建設に携わることになった。 また上浪朗は逓信省に入省して間もなくから、設計主任として幾つかの電話局舎の建設に従事。横浜長者町(大正15年築)、大阪堺(昭和2年築)、兵庫尼崎(昭和2年築)、京都祇園(昭和2年築)、熊本逓信局(昭和3年築)、兵庫姫路(昭和5年築)など、20代後半から30代前半の若さにして、逓信建築の設計を手掛けていったのである。 上浪が逓信省に入所当時、同局には岩元禄(1893~1922)、吉田鉄郎(1894~1956)、山田守(1894~1966)、中山広吉(1896~1987)などの先輩技師が在籍し、様々なモダスタイルの逓信建築を制作していた。上浪は先輩技師である吉田鉄郎に相通じる作風や、当時逓信建築の主流を占めていた、表現主義のデザインを取り入れた逓信建築を設計しているが、その作品は試行錯誤の感が多少なり感じられる。 そのような試行錯誤のなか、上浪の作風が完成の域に至ったのが、芦屋の電話局であり翌年竣工した姫路の電話局ではないかと思う。共に装飾的でありながら、とてもシャープな印象を受ける美しい作品となった。 またNTT発足後、業務の合理化のため電話局が閉鎖され、一時期は空き家になっていたこの建物だが、平成17(2005)年より株式会社ノバレーゼが建物をレンタル。レストランと結婚式場の芦屋モノリスとして、リノベーションされ現在に至っている。 筆者がこの作品を見学したのは土曜日の午後だったこともあり、結婚式の来客で混雑していたため,建物の外周回廊や玄関など一部の見学しかできなかった。しかしながら遠めに見える式場や施設などは、この建物の雰囲気を上手く生かした再生がされており、とても好感を持てるものであった。 3日に渡る神戸・姫路旅行ですっかり歩き疲れてしまった筆者であったが、最後の力を振り絞って訪ねた価値はあった芦屋の逓信建築。神戸や兵庫を旅する機会がまたあったら、ゆっくりと鑑賞してみたいと思った絶品の建築作品であった。 ◎設計:上浪朗(逓信省営繕課) ◎施工:森田組 ◎竣工:昭和4(1929)年 ◎構造:鉄筋コンクリート造2階建て ◎所在地:兵庫県芦屋市大桝町5-23 ❖国登録有形文化財 ❖兵庫県景観形成重要建造物 2色のスクラッチタイルの対比が美しい外観。しかし戦時中になると、空襲対策のため外壁にはコールタールが塗られ、黒一色に外観になった。更に戦後にはリシンが塗られ、白い外壁なったという。 そのように往年の輝きが失われた芦屋の電話局だったが、昭和61(1986)年に復元工事を実施。往年の姿へと復されている。 窓の間の装飾上部にあるライオンのレリーフは、水の守り神を意味するものだろうか?。逓信省の先輩技師・岩本禄設計の京都西陣電話局(大正10年築)にも、同様のライオンのレリーフが飾られている。 ---------------------------------------------------------------------------------- ◆京都中央電話局祇園電話分局(設計:上浪朗、昭和2年築) 京都五山の一つとして名高い、東山区祇園(小松町)の建仁寺の南側にあった、上浪朗設計の電話局舎。写真は平成24(2012)年2月撮影したものである。 外壁の一部に装飾が用いられているものの、デザイン性に乏しく建物のシャープさも物足りない、上浪の試行錯誤を感じられる不完全燃焼な感の強い作品。ただ窓の均等な割り振りやL字型の建物構成に、芦屋・姫路の両電話局舎への跳躍の兆しが感じられる。数年前に建物は解体され、跡地にはホテルザセレストン京都祇園が建設された。 ************************************************************ ★参考文献・資料 「建築家上浪朗と逓信局建築作品に関する考察」李明氏、石丸紀與氏作成論文、日本建築学会計画論文集、平成18年 「旧芦屋郵便局電話事務室の国登録有形文化財の指定について」西日本電信電話株式会社兵庫支店PDF、平成29年 「広報あしや、旧芦屋郵便局電話事務室が国登録有形文化財に登録決定」柳樂和哉氏執筆、芦屋市役所、平成29年 「郵政博物館ホームページ、収蔵品のご案内」 ★撮影・・・・・2012年2月、2017年4月
by sy-f_ha-ys
| 2018-02-17 00:17
| ◆昭和モダン建築探訪
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Comments(2)
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by
tokyo102
at 2018-02-17 03:50
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いや〜良い建物ですね〜
廊下の雰囲気が素晴らしいです。昔の建物はデザインもさることながら、どこか暖かみや趣深さがあって、ずっと居たくなる魅力に溢れていますね
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Commented
by
sy-f_ha-ys at 2018-02-17 09:21
tokyo102さま、昔の逓信建築は奥が深く、デザインも優れていますが、
芦屋の電話局は小品ながら、美しさが凝縮された素敵な作品です。 東京は丸の内中央郵便局が、あんなザマになってしまいましたが、 全国には素敵な古い逓信建築が現存しています。
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