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![]() ◆旧小寺家厩舎 ・・・・明治43年築、ドイツ帰りの地元の名士と建築家が建てたドイツ風洋館 神戸市中央区の相楽園。広い園内の北側に移築されている、旧ハッサム住宅(明治35年ころ築) の見学を終えた筆者は、その右隣に建つ煉瓦造の洋館へと足を運んだ。 左隅に置かれた円形の塔屋が印象的なこの建物、これが今回紹介させていただく旧小寺家厩舎。かつて相楽園を所有していた、地元の名士・小寺謙吉(1877~1949)が、自宅の厩舎として明治43(1910)年ころに建てたものである。こちらもハッサム住宅と同様に、文化的価値が早くから評価され、ハッサム住宅から9年後の昭和45(1970)年に国の重要文化財に指定されている。 こちらの厩舎だけでも一軒の屋敷として立派に通用しそうなこの洋館、純度の高いドイツ風デザインである。このドイツ風洋館を建てさせた、相楽園のかつての主・小寺謙吉は明治10(1877)年の生まれ。ちなみに小寺家は、もとは摂津国の三田藩の藩士だった家柄で、明治の文明開化後に謙吉の父・小寺泰次郎が、三田藩士数名と神戸に渡り貿易商を立ち上げた。 小寺たちが立ち上げた事業は成功をおさめ、小寺泰次郎は神戸に屋敷を設けることになった。それが現在の相楽園だった訳だが、約25年かけて庭園の造園をおこなわせるなど、拘りに拘りぬいた邸宅だったようだ。 そして小寺家を継いだ謙吉は、兵庫県立神戸商業学校を卒業後、アメリカ、ドイツ、オーストリア、スイスに留学し、政治学と法律学を専攻する。更に帰国間もない明治41(1908)年には、31歳の若さで衆議院選挙に当選。当時の最年少記録で国会議員になった小寺は、昭和5(1930)年まで6期に渡り衆議院議員を務めている。 国会議員と家業に多忙を極め、地元の名士として名をはせ始めた頃の謙吉が、このような立派な施設を建てたさせたというのも、とても納得のいく行動である。なお時代の変化に伴い、こちらの厩舎は馬小屋や使用人の控室のほか、自動車置き場としても使われていたそうである。 この純度の高いドイツ風の小寺家厩舎を設計したのは、建築家の河合浩蔵(かわいこうぞう、1856~1934)。幕末の安政3年に、江戸・深川の幕臣の家で生まれた河合は、明治10年ころ工部大学校造家学科に入学。ここで日本近代建築の父とも呼ばれる、ジョサイア・コンドル(Josaiah Conder、1852~1920)のもとで、本格的な西洋建築学を学び、明治15(1884)年には同校を卒業する。 その後、河合は工部省に入所。ここで東京・霞が関の官庁集中(建設)計画に携わることになり、その一環で建築家の妻木頼黄(1855~1930) 、渡辺譲(1855~1930)らとともに、ドイツ留学を経験する。その留学で得た知識をもとに、司法省庁舎(設計:エンデ&ベックマン、明治28年築)の実施設計・工事監理を担当し、竣工後の明治30(1897)年に工部省を退官した。 河合と神戸の関わりは、明治37(1904)年に竣工した神戸裁判所(現在はファザードのみの保存)の設計を手掛けたのを機にはじまる。間もなく河合は神戸に移住。そして明治38(1905)年には、神戸に建築事務所を開設。それ以降、関西を中心に建築活動を展開していく。そして河合浩蔵は、関西建築界における重鎮的存在なったのである。 その神戸における初期作の一つが、相楽園に現存する旧小寺家厩舎という訳だが、共にドイツ留学を経験した施主と建築家の好みが、見事に反映された作品となった。 異人館の町・神戸にあって、外国人ではなく日本人が建てたドイツ風洋館。和洋混在の北野の異人館より洋風の度合いが高く、完璧なドイツ風洋館の完成度を誇っているのはとても興味深い。 相楽園の旧小寺家厩舎は、神戸を代表する異人館・風見鶏の館(旧トーマス邸、明治37年築)と共に、ドイツ建築の素晴らしさを多く取り入れたとても美しい作品だと思う。実はそのルーツは、東京・霞が関の旧法務省庁舎に始まったりする。この話は始めると物凄く長くなりそうなので、機会があったときに、改めてゆっくりと紹介させていただきたい・・・・。 ![]() ◆旧小寺家厩舎 ◎設計:河合浩蔵 ◎施工:直営 ◎竣工:明治43(1910)年ころ ◎構造:木骨煉瓦造2階建て ◎所在地:神戸市中央区中山手通5-3-1(相楽園内) ❖国指定重要文化財 ![]() ![]() ![]() ![]() *************************************************************** ★参考文献
「日本の美術 №448、日本人建築家の軌跡」田中禎彦氏著、平成15年、至文堂 「都市の記憶 美しいまちへ」鈴木博之氏著、平成14年、白揚社 「ウィキペディア、小寺謙吉」 「ウィキペディア、河合浩蔵」 ★撮影・・・・2010年7月、2017年4月
by sy-f_ha-ys
| 2017-09-02 10:02
| ◆明治モダン建築探訪
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Comments(2)
この建物、
変わったデザインだ、とボーっと眺めてきてしまいましたが、 掘り下げると、 いろいろなエピソードがあるんですね。
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j-garden-hirasatoさま、この洋館の施主である小寺謙吉さん、
国会議員になられた間もなくに、赤煉瓦の厩舎を建てた訳です。 現在の入場門から当時の来訪者も入っていった訳ですから、 どでかい和風の門の次に、この厩舎に圧倒されたのでしょうね。 和瓦がのった異人館よりも、日本人が建てた洋館の方が、 洋風の純度が高いとのも、少し笑えますね。
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