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![]() ・・・・明治44年建立、原爆ドームの設計者レツルが手掛けた宗教施設 先月は週末に、二週連続の記録的な大雪に見舞われた首都圏地方。交通機関は機能しない、食料品の流通が滞るなど、毎度のように雪に弱い首都圏の現実が露呈してしまったが、それもどうにか一段落。やっと普段通りの日常が戻ってきた。 そういう事で先週末筆者は久々に、地下鉄直通の普通電車に乗り、都心の建築探訪へ出掛けた次第である。今回訪ねたのは、文京区関口にある東京カテドラル聖マリア大聖堂である。 関口のカテドラル聖マリア大聖堂と言えば、昭和建築界の巨匠として知られる丹下健三(1913~2005)が設計を手掛けた、十字架の形を模したという銀色に光り輝く大聖堂(昭和39年竣工)があまりにも有名である。しかし冒頭の写真をご覧になられて、その写真ではないことに疑問を思われた方も多くいらっしゃるかも知れない。実を言うと今回紹介させて頂きたいのは、その教会内にある[ルルドの洞窟]だ。 さて今回突然ルルドの洞窟を取り上げたかと言うと、カテドラル大聖堂敷地内にあるルルドの洞窟の設計者が、 チェコ出身の建築家:ヤン・レツル(Jan Letzel、1880~1925)だという事を知ったからである。レツルと言えば、現在原爆ドームとして知られる旧広島県物産陳列館(大正4年築)をはじめ、明治末から大正期に日本国内において、ユーゲントシュティールというモダンな建築スタイルや、和風を取り入れた独自の作風で活躍した建築家として知られる。 なおこのレツル作品の存在を知る切っ掛けになったのは、二月初旬に江戸東京博物館でおこなわれたセミナー「建築家デ・ラランデとその周辺について」で、講演者の一人・菊楽忍さん(広島平和記念資料館)が紹介されていたことによる。またその後、週末になるたび大雪に見舞われ、ようやく先週レツル作の洞窟を見学しに行った次第である。 菊楽忍さんによると、レツルがルルドの洞窟の設計を手掛ける事に切っ掛けは、レツルがこの教会に当時建っていた聖堂の、改修を手掛ける事になったからだという。同教会の案内によると明治44年5月の建立とのこと。レツルが改修を手掛けた聖堂の方は昭和20年の空襲で焼失してしまったそうだが、ルルドの洞窟は建立から一世紀以上経った現在もこうして残っている。 なおレツルは国内において、東京の聖心女学院、上智大学、雙葉高等女学校などカトリック系の校舎設計も数多く手掛けているのも興味深い。レツルが熱心なカトリック信者だったとも想像できるのではないだろうか。 そしてレツルが設計を手掛けたというルルドの洞窟は、国内にある同様の施設の中でもかなり大規模なもの。またレツルならではのモダンな箇所を探してみたのだが、そのような部分を発見することは出来なかった。敬虔な心でこの施設を作り上げたのだろう。 モダンな作風や日本文化への造詣とは違う、もう一つのレツルの顔が見えてきたような、今回のルルドの洞窟の訪問であった。近未来的な大聖堂を背にして、美しいルルドの洞窟へ見入ってしまったこの日の筆者である・・・・・。 ![]() ◎設計:ヤン・レツル(Jan Letzel) ◎施工:不詳 ◎施工:明治44(1911)年5月 ◎構造:石造り・一部コンクリート造 ◎所在地:東京都文京区関口3-16-15 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 丹下健三の代表作として知られるこの大聖堂。 この日も多くの訪問者が、この聖堂を撮影されていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ★参考講演会 「建築家ヤン・レツルについて-書簡集から建築活動をたどる」菊楽忍氏講演、2014年2月7日・江戸東京たてもの園セミナー ★撮影・・・・2014年2月
by sy-f_ha-ys
| 2014-03-01 18:01
| ◆明治モダン建築探訪
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Comments(4)
不思議なものがあるんですね。
ルルドの洞窟はカトリック教会で 小さな祠を作っていることがあります。 確か明治村の教会でも見ました。 ただこれだけの大きなのは初めてで、 しかもヤン・レツルが設計した・・・! 丹下健三さんの超現代的な教会との 対比が面白いです。
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gipsypapaさま、ルルドの洞窟は日本国内でもかなりの数がありますが、関口教会のルルドは国内ではかさなり大規模なものだと思います。私が見たものだと、函館近郊のトラピスト修道院にあったものに次いで大きなものでしたね。
このような施設なので、ヤン・レツルの作風を嗅ぎ出せなかったのですが、宗教施設だから致し方ないのでしょう。 丹下作品の片隅にぽつりとレツル作のルルドはありましたが、なかなか味のある作品でしたよ。
ヤン・レツルがこのルルドの洞窟を設計していたとは驚きました。
素敵な情報ありがとうございます。
takuan21aさま、先々月に参加したレツル研究者の菊楽忍さんの講演会で、このルルドの洞窟はレツルが設計したものだと紹介されていました。少し不思議な感じもしますが、レツル研究の第一人者の方がそのように結論付けたのですから、ほぼ間違いないでしょう。ですかね(笑)。
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