江戸東京たてもの園、デ・ラランデ邸(明治モダン邸宅探訪)その5

◆旧北尾次郎邸、デ・ラランデ邸
　　・・・・・歴史の捏造がいまだにされ続けている、美しいドイツ風の赤い洋館


　先週末、久々に東京小金井市の江戸東京たてもの園を訪ねた筆者だが、その訪問の主な目的は昨年(2013年)から一般公開が始まった、旧北尾次郎邸を再見するためであった。

　冒頭の文を読んで、「北尾邸なんて、たてもの園に存在しないよ！」と、多くの方が思われたかも知れない。ちなみに同園ではこちらの邸宅を、明治末期から大正初期に国内で活躍していたドイツ人建築家：ゲオログ・デラランデ(George de Llande、1872～1914)の自邸だったと言う紹介をしている。確かにそれも外れてはいないのだが、昨年紹介したようにこの土地と屋敷は、島根出身の気象学者・物理学者で、東大教授も務めていた北尾次郎(1857～1907)と、その長男・富烈(ふれつ)親子が明治24(1891)年から昭和16(1941)年まで所有していたもので、デラランデは明治末から大正初期までこの家を借りていた、借家人に過ぎなかった。

　さてこの日、たてもの園のデ・ラランデ邸(厳密には旧北尾次郎邸)を訪れたのは、2月7日に東京・両国の江戸東京博物館でおこなわれたセミナー、[建築家デ・ラランデとその周辺]を受講するにあたり、この邸宅を改めて撮影してみようと思った次第である。
　ちなみにこの邸宅、平成11(1999)年まで東京都新宿区信濃町に建っていたものを解体。その後長い時を経て、江戸東京たてもの園において移築・復原工事が開始され2013年4月にオープンしている。また同園では、北尾次郎が所有していた木造平屋の邸宅(明治25年竣工、設計は北尾次郎本人による)を、ラランデの手により明治43(1910)年ころ木造3階建てに増築したものだという紹介がされている。

　しかし昨年このブログでも紹介したように、芦屋れんが博物館の館長・広瀬毅彦さんの調査によると、木造3階建てへの増築にラランデが関与したという説と、明治43年ころに増築工事が実施されたという説は、かなり怪しい情報だとのこと。
　なお広瀬氏の調査によると、北尾家は明治39(1906)年冬より明治40(1907)年初頭のあいだ、一時的に信濃町から東京の代々木へ転居していた事実が判明している。広瀬氏によると、この期間に北尾邸の増築工事が、おこなわれていた事を裏付ける証拠という主張をされている。そしてデラランデと、当時ラランデの建築事務所に在籍していた、 チェコ出身の建築家：ヤン・レツル(Jan Letzel、1880～1925)は、明治41(1908)年春に横浜から、信濃町のこの赤い洋館に彼らの事務所を移転するのだが、既にその時には3階建てのこの邸宅は出来上がっていたという可能性があった訳だ。

　更にレツルがこの時期に故郷・チェコの母に送った書簡によると、「彼の借りる家では何も新しい工事等はしていない。」 、 「この美しい洋館に住むのを今から楽しみにしている。」等の、既にこの邸宅が出来あがっていたと取れるニュアンスの記述があるとのこと。またこの邸宅の大家であった北尾次郎はドイツ留学の経験を持ち、絵画や建築に対しても天才的な才能を持っていたそうで、広瀬氏の推測によると、この邸宅の設計を手掛けたのは北尾次郎本人という可能性が高いそうである。

　確かに江戸東京たてもの園が、「デ・ラランデ居住時に大改造された」と解説する、1階部分の浮き彫りの壁画装飾やその他の調度品も、ドイツ風でありながら和のテイストが感じられる出来栄えになっており、広瀬氏が指摘される北尾次郎設計説が頷ける箇所の一つである。また2013年春に、この赤い洋館の公開が始まって間もない頃に、特別公開された壁画装飾は何と墨絵で描かれたものだった。また壁画に多く登場する天使は、三人という構成(一人は常に背を向け胸部を隠している)のものが非常に多い。これは北尾次郎が、本人と妻・ルイーゼ、子息・富烈をモチーフにしたものではないかと思える箇所だ。
　ドイツ人建築家の設計による自邸と言われているこの洋館は、丹念に調べ上げられた広瀬氏の調査報告を読む限り、実際のところは大家である北尾次郎本人が設計を手掛けた可能性が高いと思えてくるのである・・・・・。

★[建築家デ・ラランデとその周辺について]の講演会を聞いての感想


　久々の旧北尾次郎邸(江戸東京たてもの園ではデ・ラランデ邸という名称)訪問から、一週間後の2月7日に参加したのが江戸東京たてもの園のセミナー。当初講演者の一人として予定されていた、建築史家の鈴木博之氏の訃報というショッキングな知らせから始まったこの講演会、建築史家の堀勇良氏と広島平和記念館の菊楽忍氏による二部構成、約二時間の中身の濃いものであった。
　菊楽氏は明治末期デラランデの片腕的な存在で、一時期赤い洋館でも暮らしていたヤン・レツル(1880～1925)についての概要を講演。女性ならではの明るい視点で解説され、建築に関心がない一般の方にもとても分かりやすい好感の持てる内容だった。

　そして前半におこなわれた堀氏の講演なのだが、冒頭で江戸東京たてもの園に移築された赤い洋館について、 広瀬毅彦氏による従来の定説を覆す発表があったことも紹介。この件については、全く触れぬまま講演を進めると予想していた筆者としては、とても意外な内容だった。

　また広瀬氏の調査発表に際し、たてもの園では検討委員会が設置されたことも紹介。実は移築復原工事中の、旧北尾次郎邸(たてもの園ではデ・ラランデ邸という名称)の工事用フェンスに貼られていたこの邸宅に関する説明看板が、旧北尾邸の設計者問題について触れた広瀬氏の著書[既視感の街へ]発表直後に急遽撤去されている。それから暫く経って、広瀬氏の発表に辻褄を合わせるような内容の解説版を、再設置した顛末を実際に目の当たりにしていた筆者としては、妙に納得できる堀氏の発言であった。
　そして堀氏は1980年代前半に、元東京大学史料編纂所長の桃裕行氏から、平屋時代の北尾次郎邸の写真を提供されていたという事も紹介されていた。堀氏はその辺りに関する明確な発言はしなかったが、1999年にこの邸宅が解体された際に、平屋の建物の上に三階建て部分が増築された事実が判明した事についても言及されていた。

　但し講演内容は、この赤い洋館がデラランデの設計と言われ続けてきた過去の発表と、明治期から大正初めのラランデの動向などを中心に話を進められ、作風や全体の雰囲気からこの邸宅がラランデの作風ではないかという、かなり曖昧な結論付けをされていた。
　あと堀氏の講演の中で一つ興味深い発表だったのは、当時のラランデの設計事務所の広告に、この赤い洋館に似たイラストが描かれたものがあったという事。ラランデがただ単にこの赤い洋館を気に入り、広告のイラストに描きこんだという可能性だってあり得るし、それだけではこの洋館の設計者が、ラランデとまで結論付けられないのではないかというのが、筆者の感想である。

　なお菊楽氏の講演でも紹介されていたのだが、ラランデの明治43年ころの作品で、フェルプス邸(京都、昭和40年代前半に解体)という邸宅がある。実を言うとこれが江戸東京たてもの園に移築された赤い洋館に、非常に似た出来栄えなのである。これは北尾次郎が建てた美しい洋館にインスパイアを受けたのか、今回紹介している作品に続くラランデの続編なのかという事は謎である。
　ただ一つ言えるのは、この二作品は当時ラランデが得意としていた、かなり濃厚な感じのユーゲントシュティールとは違う、かなり薄味な出来栄えという事。この作風の違いが、旧北尾次郎邸の本来の設計者を解き明かす、キーポイントではないかとも今回の堀・菊楽両氏の講演を聞きながら、思ってしまったのである。

　しかし今回の講演会、広瀬氏の研究発表をどうにかして誤魔化したいというニュアンスが、所々に感じられてしまったのが正直な感想である。この赤い洋館については、学閥やら過去の研究発表に捉われず、デラランデに重点を置かず、この邸宅の大家だった北尾次郎を中心に調べて欲しいと思ってしまった、今回の講演会参加だった・・・・。

◆旧北尾次郎邸(江戸東京たてもの園ではデ・ラランデ邸という名称)
　◎設計：北尾次郎
　◎施工：不詳
　◎竣工：明治25(1892)年
　◎増築：明治40(1907)年ころ
　◎構造：木造3階建て
　◎所在地：東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
　◎旧所在地：東京都新宿区信濃町

こちらはラランデ・レツル居住時の写真を参考に再現された門。ユーゲントシュティール風な出来栄え。当時のレツルの書簡によると、この二人がデザインを手掛けたようである。
この一階部分が、明治25年竣工からのもの。▼引き続きの写真は下のMoreをクリックして頂くとご覧になれます。



こちらの天使をはじめ、壁画に登場する人物像の多くが三人一組セットのもの。広瀬氏の指摘によると、家主・北尾次郎が、自分と妻・一人息子をモチーフにしたものではないかという事。少し和風の壁画を見ると、その説も頷ける出来栄えである。食堂。こちらも三人が主役。暖炉の不格好な作りは、素人建築家・北尾次郎ならではの出来栄え？。
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★参考文献
「既視感の街へ　ロイヤルアーキテクト　ゲオログ・デラランデ新発見作品集」広瀬毅彦氏著、2012年
「江戸東京たてもの園・捏造疑惑の新規復元建造物『デ・ラランデ邸』東京都によって作られた贋作ではないのか？」広瀬毅彦氏著、司法ジャーナル：2013年4月15日・17日号
★この邸宅はデラランデ設計作品という可能性は皆無に等しくなりましたが、その事実を多くの方に知っていただく、引き続きデ・ラランデのカテゴリーに入れさせて頂きました。何卒ご了承ください。公共の刊行物に紹介された史実が、全て正しくない事を今回の記事を通して多くの人に知って頂きたいものです。
★撮影・・・・・2013年6月、2014年2月