江戸東京たてもの園、デ・ラランデ邸(明治モダン邸宅探訪)その3

◆旧北尾次郎邸、デ・ラランデ邸
　・・・・・明治の天才学者・北尾次郎が作った美しい洋館


　今日はゴールデンウィークの初日。仕事は普段通りの勤務シフトの筆者だが、今日は仕事が休みという事もあり、少し早起きをしてサイクリングがてら、またもや東京小金井市の江戸東京たてもの園を訪ねたのである。
　今回の訪問も、例の如くデ・ラランデ邸(厳密には旧北尾次郎邸、旧所在地は東京都新宿区信濃町)の撮影。先週土曜(4月20日)から一般公開が始まったが、先週はオープン間もなくで相当の混雑が予想されたため、一週間ほど時間をずらし今日の午前中に訪問した次第である。開園まもなくで人の入りもまばら、工事用のフェンスが外された邸宅の外観、そして邸宅内を見学・撮影してきた。

　さてこの赤い洋館、江戸東京たてもの園では、 ドイツ人建築家：ゲオログ・デ・ラランデ(Georg de Llande、1872~1914)の自邸だった建物と紹介され、設計もラランデ本人がおこなったという解説をしている。
　しかし実際のところの家主は、島根県出身の気象学者・物理学者で元東大教授の北尾次郎(1853~1907)と、その長男・富烈(ふれつ)で、ラランデは明治41(1908)年から大正3(1914)年にかけて、この家を借りていた一借家人に過ぎなかった。またデ・ラランデに関する研究を著書に纏めた広瀬毅彦氏によると、この邸宅の竣工は明治25(1892)年とのこと。また現在見られる3階建ての増築は、江戸東京たてもの園では明治43(1910)年ころと発表しているが、広瀬氏の調査によるとそれ以前(明治40年ころ)におこなわれていた可能性が高いそうである。

　更に4月中旬に、広瀬毅彦氏がネットマガジン[司法ジャーナル]に発表したレポートでは、それを裏付ける衝撃的な内容が紹介されている。それは原爆ドーム(旧広島物産陳列館、大正4年築)の設計で名高いチェコ出身の建築家： ヤン・レツル(Jan Letzel、1880~1925)が、故郷の母に宛てた何通かの手紙である。

　レツルは明治40(1907)年から同42(1909)年まで、ラランデの設計事務所に在籍し、共同経営者としてラランデの片腕として活躍していた。実は東京信濃町にあった赤い洋館に最初に住んだのは、ラランデではなくレツルだった。時期としては明治41(1908)年初めごろだったという。そしてレツルの手紙の中では、この赤い洋館について『彼の借りる家では、何も新しい工事等はしていない。私としては、庭を綺麗にして、庭へと入る新しい玄関をつくりたいと思ってきた。』と記されていたという。つまりこの段階で、屋敷自体が3階建てに増築工事が完成していたという事が伺える、ニュアンスの文面だと思えないだろうか。

★デ・ラランデ設計という可能性が、ますます低くなった赤い洋館


　そして広瀬氏のレポートによると、この頃のラランデの設計事務所は、同事務所設計による神戸オリエンタルホテル(明治40年築)建設に際し、多額の負債を抱える羽目になり、かなり困窮していたという。そのような時期に、わざわざ借家を増築するまでの資金繰りは出来なかったのではないかと推測している。
　また先に紹介したレツルが母親に宛てた手紙の中では、今回復元された玄関と庭の二つの門がレツルの作品という可能性が高くなったという(詳細は後日紹介予定)。

　先週から公開が始まった、江戸東京たてもの園が言うところのデ・ラランデ邸だが、邸宅内もラランデ作品と説明するのにはかなり苦しい箇所が数多く見られる。一階のカフェ・武蔵野茶房が入居する旧食堂と居間部分は、イギリス人デザイナー：ウイリアム・モリス(1834~1896)を彷彿とさせる図柄の壁紙が貼られ、20世紀初頭にドイツとその周辺で流行したアールヌーヴォー様式、ユーゲントシュティール風な雰囲気へと導くような演出がされている。しかし時代の経過や移築などの理由もあるのだろうか、感覚的にはそのような匂いを嗅ぎ出せないまま時間が過ぎてしまった筆者であった。
　元祖建築探偵・藤森照信氏の著書[建築探偵の冒険、1986年]では、この赤い洋館について「ドイツ風のアクの強さ」を特徴としてあげていたが、ラランデの代表作・神戸風見鶏の館(旧トーマス邸、明治38年築)ほどのインパクトはない。というか作風が全く異なる事が、この二棟の屋敷内部を比較するとお分かり頂けるのではないだろうか。

　なお一階食堂の壁に飾られたレリーフも、江戸東京たてもの園ではデ・ラランデの作品という鑑定されている。ちなみにゴールデンウィーク終了まで、同園のビジターセンター内にて解体の際に発見されたという下絵が展示されているのだが、何とこの下絵は墨絵で描かれたものなのだ。しかもこちらも風見鶏の館の調度品とは、違った感じの作風なのである。
　ちなみに広瀬氏のレポートでは、この壁画をデザインしたのは家主の北尾次郎と推測している。広瀬氏はそのレポートの中では壁画の中に三人の天使が登場し、それらはこの邸宅の本来の家主である北尾次郎が、自身と、妻・ルイーゼ、長男・富烈をモチーフにしたのではないかという紹介をされている。

　この他にも藤森氏の著書で有名になった、玄関天井に飾られた三人のキューピットの装飾であるが、実を言うと一つのキューピット像は背中を向けて長髪。つまりこのキューピットは、長尾次郎の妻・ルイーゼをモチーフにしたもので、その他の二つは長尾本人と長男・富烈をモチーフにしたものではないかと、実物を撮影しながらふと思ってしまった筆者であった。
　この洋館の主・北尾次郎は、三階建ての増築が完成して間もなくの明治40年に急逝する。しかし長尾の家族に対する愛情は、一世紀以上経った現在も移築された屋敷の中で生き続けているというのも、何とも美しい話ではないだろうか。

　学者のつまらぬプライドのため、この赤い洋館の本来の家主・北尾次郎の存在は抹殺されているのが現状である。しかしこのところ相次いで発表された広瀬毅彦氏のレポートを見ると、これだけの才能に溢れた人物を、何故闇に葬り去ろうとしているのか不思議でならない。
　後世のために江戸東京たてもの園やその関係者は、この美しい赤い洋館について正当な史実を発表して欲しいというのが、筆者の切なる願いである・・・・・。
◆旧北尾次郎邸(江戸東京たてもの園ではデ・ラランデ邸という名称)
　◎設計：北尾次郎
　◎施工：不詳
　◎竣工：明治25(1892)年
　◎増築：明治40(1907)年ころ
　◎構造：木造3階建て
　◎所在地：東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
　◎旧所在地：東京都新宿区信濃町

旧北尾次郎邸(デ・ラランデ邸)の説明看板。結局のところ、以前と同じ説明内容だ。
1階は大改造されたという解説がされているが、現在も明治25年竣工部分ははっきりと残っている。何が何でもラランデ作品にしたいという、苦し紛れの説明書きである。
▼引き続きの写真は下のMoreをクリックしていただくとご覧になれます。



邸内の調度品は、ドイツ留学を持ち妻がドイツ人だった長尾次郎の好みなのかどちらかというとドイツ風。しかし本場ほどのインパクトはなく、和のテイストも感じられたりする。
2階は公開間もなくという事もあってか、空き部屋が多い。この際、長尾次郎を始め、デ・ラランデ、ヤン・レツル、三島海雲など、この邸宅で暮らした著名人を紹介するスペースにするのは如何だろうか？。
そしてこちらが食堂の壁画と下絵。ドイツ風だが和のテイスト。玄関天井の装飾。3人のキューピット、その中の１人が長髪という事を考えると、北尾家の家族をモチーフにしたものではないかとも思えてくる・・・・・。
*************************************************************
★参考文献
「江戸東京たてもの園・捏造疑惑の新規復元展示物『デ・ラランデ邸』は東京都によって作られた贋作ではないのか」広瀬毅彦氏著、司法ジャーナル、2013年4月15日・17日号
★撮影・・・・・2013年4月
★この邸宅は、デ・ラランデ設計作品という可能性は皆無になりましたが、そのことを多くの人に知っていただきたくデ・ラランデのカテゴリーに入れさせて頂いております。何卒ご了承ください。