![]() by ヨウタロウ研究員 カテゴリ
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![]() ・・・・南新宿駅脇に建つ、昭和を代表する建築家・渡辺仁の若き日の設計作品 本日は前回の東武東上線・ときわ台駅(昭和10年築)に引き続き、東京都内に残る戦前築の私鉄施設を紹介してみようと思う。それは渋谷区の代々木(南新宿)に建つ、小田急電鉄の旧本社である。以前から気になっていた施設であったが、先週と今週の二回に渡りこの作品を訪問・撮影してきたので、今回はそれらの写真を中心に記事を進めていきたい。 小田急電鉄と言えば、東京の新宿から神奈川県の小田原や江の島を結ぶ、関東を代表する民営鉄道の一つ。この小田急電鉄は大正11年に大分出身の実業家・利光鶴松が創業したもので、昭和2年には新宿・小田原間を、昭和4年には相模大野・江の島間を開通させている。 また小田急の注目すべき点は、開業間もなくに路線のほぼ全路線において複線化を実施し、列車運行のスピードアップを図ったという事である。但し戦後は周辺地域の人口増加により、長年に渡り近年の高架複々線完成まで深刻な混雑に悩まされ続けたのだが、創業者の利光の先見性の甲斐もあってか、小田急は関東でもブランド力を持つ鉄道会社として今も君臨し続けている。その小田急開業間もない昭和2年12月に、現在の南新宿駅のすぐ近くに小田急電鉄の本社屋は竣工したのである。 恥ずかしながら筆者が、南新宿駅のそばに小田急電鉄の旧本社が現存している事を知ったのは、ほんの数年前のことであった。たまたま青森から東京へ出張していた友人に誘われ、二人訪ねた小田急電鉄が経営するミュージアムショップの職員の方に、ご教示していただいた事による。その方曰く、「結構昔の形状を維持していますよ」との事だった。 そして小田急電鉄の旧本社を語る上で忘れてはいけないのが、その設計を横浜のホテルニューグランド(昭和2年築) 、東京の銀座和光(昭和7年築) 、東京千代田区の第一生命相互館(昭和13年築)などを手掛けた、昭和を代表する建築家・渡辺仁(1887~1973)が担当している事であろう。 この小田急電鉄旧本社、先に紹介した小田急線の車内から見える半円形の窓をはじめ、全体的なデザインはその当時流行していた[ドイツ表現派]の影響が強くみられる。但し敷地の制限などの影響もあったのか、渡辺の後年の作と比較すると、洗練の度合いが少し物足りないというのが正直な感想だ。しかし当時新興の鉄道会社だった小田急と、渡辺がデザインしたモダンな本社屋は、当時の人たちから見れば、新たな時代の幕開けを予感させるような作品だったのではないかとも想像してしまった筆者である。 ちょっとその存在は地味だが、昭和初期のモダン文化の一端を伺い知れる貴重な作品だと言えるのではないだろうか。いかにも21世紀らしい最新デザインのロマンスカーや、新宿の高層ビル群との対比が絵になってしまうのは、建築家・渡辺仁の懐の深さが出ているのかなとも思ってしまった今回の訪問であった・・・・・・。 ![]() ◎設計:渡辺仁 ◎施工:清水組 ◎竣工:昭和2(1927)年12月27日 ◎構造:鉄筋コンクリート造3階建て、地下1階 ◎所在地:東京都渋谷区代々木2-28-12 ![]() ![]() ![]() 外壁の部材は新しいものへ取り換えられているが、竣工当時のデザインが今も引き継がれている事が分かる。 ★図版・・・・「小田急電鉄75年史」 2003年→1枚目の写真 「小田急二十五年史」 1952年→2枚目の写真 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 鉄道会社の社屋という事もあってか、線路際の意匠が凝っているというのも面白い。 ![]() 小田急を利用されている方なら、この窓に見覚えがあると思った方も多くいらっしゃるかも知れない・・・・。 ![]() ![]() ![]() 建物の裏手も表現派的なデザインが施されている。 ![]() ![]() ★参考文献・・・・ブログ・戸板康二ノート、「戸板康二と歩く東京:千駄ヶ谷、代々木山谷から明治神宮へ」 小田急電鉄75年史、小田急電鉄編、2003年 ★撮影・・・・・2012年8月
by sy-f_ha-ys
| 2012-08-25 19:25
| ◆昭和モダン建築探訪
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Comments(2)
渡辺仁さんにこんな作品があるとは知りませんでした。
WikipediaにないのでINAX Reportを見たら確かにありました。 http://inaxreport.info/data/IR183/IR183_p04-16.pdf 目立たない佇まいですが、 コーナー部の曲線や細部はさすがに「らしい」です。 貴重な写真をありがとうございます。
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gipsypapaさま、10年以上前に図書館で当時の建築雑誌を閲覧していたところ、渡辺仁さん設計の小田急本社の竣工記事を発見したのですが、それが現存していたとはちょっと前まで知りませんでした。高校・大学時代と小田急線を利用してましたので、半円形の不思議なビルがあるなとはずうっと思っていたのですが、かの渡辺仁さんの作品だとは全く分かりませんでした。
後の作品に比べると洗練の度合いは物足りませんが、この時代に流行していた表現派の雰囲気を今に伝える作風で、私は気に入りました。新宿のJR新南口から徒歩数分で行ける距離にありますので、東京に来られた際には是非撮影しに行ってみてください(笑)。
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