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![]() ・・・・・遂に完成、昭和を代表するモダニズム歴史的建造物の外壁保存 いちおう梅雨明けが宣言された先週土曜日の午後、久しぶりに一人カメラ片手に東京の建築探訪をしてきた。暑いのが大の苦手な筆者であるが、都内某所における撮影のあと自然と足が向かったのが、東京の表玄関である丸の内の界隈であった。 現在の丸の内と言えば、間もなく完成の東京駅赤煉瓦駅舎(大正3年竣工、設計:辰野葛西建築事務所)復元工事が話題になっているが、その脇でもう一つの歴史的建造物の部分保存が完成している。その歴史的建造物とは東京中央郵便局舎である。 東京中央郵便局は、大正・昭和を代表する建築家で逓信省技師の吉田鉄郎(1894~1956)の設計により、昭和6年に竣工したもの。皆さんもご存じのようにこの中央郵便局は、郵政民営化直後に発表された、地上38階建て高さ200メートルの新庁舎(JPタワー)建設計画に伴い、旧庁舎は外壁の一部を残して取り壊され、今年になって新しい庁舎が完成。そして先日(7月17日)から郵便局やゆうちょ銀行など、一部の施設の営業が始まっている。日本建築学会の度重なる保存要請や、当時の総務大臣・鳩山邦夫氏などの保存に関する進言もむなしく、当初の計画より若干の保存区域の追加がなされただけで、現在の新庁舎竣工へと至った訳である。 昭和6年竣工の東京中央郵便局は、個人的に大好きな建築作品という事もあり、筆者はJPタワーの着工以来、丸の内界隈を訪ねるたびにこの建物の工事の進捗状況をチェックしていた。しかしそのたびに目撃するのは、外壁を残して壊されていく中央郵便局舎の痛々しい姿ばかり。旧庁舎の約3割を残したというのが日本郵政の発表であるが、実際の数字より筆者の視覚的な感覚では、もっと多くが取り壊されたような印象を受けてしまった。 そして昭和6年竣工の中央郵便局舎は、現在復元工事がおこなわれている東京駅赤煉瓦駅舎に対峙するような形、つまり東京駅のロータリーに面した部分の外壁のみが保存されるのみ。そして旧八重洲ビルや三菱一号館が建つ通りや、三菱東京UFJ銀行本店が建つ庁舎南側は、今回建設されたJPタワーの無機質なガラス張りのビルが下層部を占拠している。 あとこの建物を愛していた皆さんも、筆者と共通のご意見を持っておられる方も多いと思うが、東京中央郵便局の見どころの一つだったのが、以前南側にあった郵便関係車両の発着場 。今では当たり前の光景かも知れないが、この建物が建てられた当初はとても斬新で、モダンな施設だったのではないかと想像してしまう素敵な場所だった。初期モダニズム作品という事もあり、古さという点から見ると21世紀初頭の現在では、その価値が認められていない感もあるが、きちんとした形で残していけば後世になり評価されたのではないかというのが筆者の考えである。 ここまで素人建築マニアの感想を色々と書き連ねてきた。ただこれだけは強く言いたいのが、賛否両論はともかくとしてこのような例が、これからの歴史的建造物保存のスタンダードになってしまうのではないかという事である。残念ながら東京中央郵便局の保存問題は新タワー竣工に伴い終焉を迎えたが、この問題は過去の出来事ではなく、これから先も語り続けていかなければいけないと、筆者は完成した新社屋を見ながら思ってしまったのである・・・・・。 ![]() ◎設計:吉田鉄郎(逓信省) ◎施工:銭高組、大倉土木 ◎竣工:昭和6(1931)年 ◎構造:鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て ◎所在地:東京都千代田区丸の内2-7 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▼引き続きの写真は下のMoreをクリックしていただくとご覧になれます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ★撮影・・・・・2012年7月、2015年2月・4月・8月
by sy-f_ha-ys
| 2012-07-22 00:22
| ◆昭和モダン建築探訪
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Comments(10)
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sy-f_ha-ysさん こんにちは。
どのような姿になるのか不安でしたが、これはこれで可とすべきでしょう。 今までの部分保存建物には残念な事例が数多くありましたが、巧みに処理されて然程の違和感を感じません。 言及しておられるように、この手法が今後の建物保存の標準となるのは明らかです。後は如何に原形の特色を保つか、が設計・施工者の課題でしょう。 大阪中央郵便局は現在幕に覆われていて工事過程が見えません。 巧く仕上れば良いのですが、さてどうなることやら。
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sunshine-worksさま、お久しぶりです。
日本郵政会社やJPタワーの設計関係者のは、「東京駅との調和を考慮した」旨の発言を確かしていたと思います。確かに東京駅からこの建物を見たときは、この作品の美しさが維持されているようにも見えますが、全体を見てしまうと以前のこの建物の魅力のほんの一部しか伝えきれていないように思えます。このような部分保存という手法、後世の人たちがきちんとした評価をしてくれるでしょう・・・・。 ![]()
この界隈が地元である者のひとりとしては複雑ですが、おそらくスタンダードなんでしょうね。一号館を復元しつつ隣の八重洲ビルは潰し、工業倶楽部も丸ビルも、そしてこの郵便局も建築好きにとってはあまりにも無惨ではありますが、それでも面影だけ残っているなら良いと捉えなければいけないのでしょうね。
確かこの地区は高さ制限が無いためにいくらでも高くできるんですよね...。 皇居を見下ろすなど...とか、お城の周りは洗練されていないとだとかいことは、昭和までの価値観なのかもしれません。 一方で丸の内仲通りなんかは、無味乾燥なオフィス街の通りを、少しはシャレた仕立てにしたことは、三菱の好き勝手にできるにしろ、それ自体は素敵であるとは感じています。 丸の内から日比谷へかけて、あるいは丸の内から大手町へかけて見てみると、戦前の頃のこの界隈の姿がずっと残っていたならば...とどうしても思わざるを得ないのも正直なところです。 日比谷の三信ビルをアッサリと潰したことで、私はこの界隈の建築保存に関しては諦めましたけどね。
tokyo102さま、三菱地所主体でおこなわれている歴史的建造物復元(保存)プロジェクトですが、一号館や東京駅のように非の打ちどころのない素晴らしいものもありますし、八重洲ビルのように首を傾げたくなるものもあります。個人的にこの界隈を歩いて思うのは、高層の全面ガラス張りのビルと下の保存(復元)建造物とがやたらとアンバランスに見えてしまう事です。
明治生命の建物も、昭和9年竣工の旧館と隣接して建っていた以前の社屋はとても旧館と一体感がありましたが、建て替えられた新ビルはそのようなバランスというのが殆んどりませんからね。そういうのが三菱地所の考え方なのでしょう。しかし三菱という会社、壊して建て替えるスピードが異常に早いと思いませんか?。日本らしいと言えばそれまでですが・・・・・苦笑。 ![]()
大阪ではダイビルが来年2月の完成に向けて工事中です。ダイビルの場合は一旦全部壊して、昔のダイビルに似せて低層部を造り外壁とホールの部分のみ前の建物の部材を使うらしいです。中央郵便局の場合は低層の外装部分は壊さずに昔のままを使ったのでしょうか?些細な違いですが気になる所です。
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度々のコメント恐縮です。
仰るように建て替えのスピードは凄いですよね...。かなり高い家賃を取れるエリアでもありますし、できるだけ時流に合ったオフィスビルを建てたいのかもしれませんけどもねぇ..。風情はありませんよねぇ。まぁ詰まるところは、ご商売ということでしょうか。明治生命の並びは本当に仰るとおりだと感じていますよ。 三菱さんのお考えは分かりませんが、それにしてもどういった基準で、あるいは意図があって保存するか潰すかを決めているのか少々疑問ではあります。おそらくエリア全体の調和という視点が無いのではと感じています。この界隈は東京の顔の部分でもあり、いくら地権者の自由が利くとしても、その辺はちゃんとしてよねと、私にとっては故郷ですから、やはり大事にしていこうよと、些かの情緒的な思いが先に立ちます。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
cherikaro様、大阪のダイビルも学生時代に一度見ただけなのですが、とても素敵なビルでしたよね。
そして東京中央郵便局ですが、この写真オープンの三日前に撮影したものなので、中は見学できませんでしたが、一階客だまりの八角形の柱など一部は残されたとニュースで報じられていました。あと今回保存された外壁は約八割程度が創建当時のものです。
tokyo102さま、三菱の幹部さん連中も「丸の内をコンパクトに纏め、日本経済の中心地としての地位を高める」なんて発言をよくされていますしね。ニョキニョキと皇居前に建ち並んだ、青や黒のガラス張りのビル群を見てしまうと、赤煉瓦や石造りに代わって高度成長期に建てられた、無個性ビルの数々の方が風情があったよな・・・・、なんて思ってしまいます。
再開発の規模こそ少ないですが、三井がおこなっている日本橋再開発プロジェクトの方が品がいいですよね。これも企業の体質や考え方なのでしょうかね。
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