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![]() ・・・・東京の大渓谷・御茶ノ水神田川に架かるモダン橋梁 またも私ごとの話から始めてしまうが、子供の頃から東京都内の鉄道で乗るのが面白いがJR中央線の新宿・東京間。 電車に乗れば僅か十数分ほどの移動時間だが、土手の高台を走っていたかと思えば、その次にはトンネルを潜り、そして皇居の外堀を真横に眺められるなど、車窓からの変化ある風景と自然はいつ乗っても飽きることはない。その中でもいちばん好きな風景が、深い谷のような神田川の脇を走り抜けるお茶の水駅周辺の風景だ。 まるで山間の大渓谷のようお御茶の水駅周辺の神田川(外堀)だが、江戸に幕府が置かれてまもない時期に江戸城方面への洪水を防ぐための放水路として掘削されたものだという。この谷の深さを見る度に、江戸期の都市計画に対する先見性と土木技術の高さに驚かされてしまう筆者である。 そして現代の世にあって、御茶ノ水神田川の重要な風景の一つになっているのはやはりこの聖橋だろう。 この橋梁は、大正12年に発生した関東大震災後の復興事業の一環として架けられたもので、その名称はこの橋の両脇にあるニコライ堂と神田聖堂に因んで命名されたという。また放物線を描いたアーチ型の造形が印象的な聖橋は、このころ東京市内に架けられた橋としては珍しい鉄筋コンクリート製の橋梁でもある。 この聖橋の設計を手掛けたのは建築家の山田守(1894~1966)。 晩年に設計を手掛けた京都タワーや東京の日本武道館が良くも悪くも知られる建築家であるが、震災直前の大正10年に帝国大学の同窓生だった石本喜久治や堀口捨巳、森田慶一らと共に〔分離派建築会〕を結成し、大正末から国内の建築界においてモダンな建築文化を推し進めた人物であった。 山田は大正14年に現在の東京大手町に東京中央電信局を竣工させ、モダン建築家としての地位を不動のものにしていたが、その延長線上の作風で挑んだのがこの聖橋だったのではないかと筆者は考える。 このタイプのデザインの橋梁というのは全国に数多くあるが、山田作の聖橋の面白さは御茶ノ水界隈の地形を見方に付けてしまったことではないかと思う。 冒頭の写真でご覧頂いた写真は神田川上流から撮影したものだが、この聖橋を境に川両脇の高い丘は一気に坂を下り平地になっている。聖橋を見るたび、設計者の山田はこの渓谷の風景のアイストップ的役割を考えに考え抜いて、このデザインを作ったのではないかとも思ってしまう。 地形と見事な融合を見せる東京の名橋、80年前に架けられたにも関わらず未来的である。山田守という建築家の懐の深さを痛感してしまう作品だ・・・・・。 ![]() ◎設計:山田守(復興局橋梁課) ◎施工:不詳 ◎竣工:昭和4(1929)年 ◎構造:鉄筋コンクリート造 ◎所在地:東京都千代田区神田駿河台 ![]() ![]() ![]() またこのトンネル、日の当たり方によってとても幻想的に見えるのは設計者の山田の狙いだろうか・・・?。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 山田守初期の代表作。パラボラ型のアーチなど斬新なデザインは当時注目を集めたという。 ※「明治大正建築写真聚覧」 日本建築学会発行より ********************************************************* ★参考文献・・・・・「分離派建築博物館 ホームページ」 ★撮影・・・・・・2010年3月・5月
by sy-f_ha-ys
| 2010-06-13 21:13
| ◆昭和モダン建築探訪
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Comments(2)
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一枚目の景観は、地下鉄丸ノ内線 淡路町から御茶ノ水の間で
一瞬見ることができますね。雨の日はまるで絵のようです。 地下鉄なのですぐに見えなくなってしまいますが。 聖橋だけでなく、各地の見過ごしていた点に スポットライトがあたっているようでまた新鮮な気分で見直しています。
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ruriさま、丸ノ内線から見える聖橋は本当に存在感がありますね。
本文でも書きましたが、神田川が流れるこの大峡谷、 自然の地形ではなく、江戸時代に掘削され作られたものだそうです。 普段何の疑問も抱かずに暮らしている東京の街には、色々な江戸時代におこなわれた土木事業の遺構が残っているですよ。 あと聖橋で個人的に好きなのが、JRの下り線ホームにある尖頭形の穴です。 聖橋本体と連続したデザインが施されているのが心憎いですよね。 総武線各駅停車から中央線快速電車に乗り換えする人が、皆さん器用にここをくぐる姿は結構絵になりますね。
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