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![]() ・・・・・失くしてはいけない町の生きる文化財 この小学校については昨年既に取り上げさせていただいたが、その存在をもっと多くの方に知っていただきたいという願いを込めて、今回は改めて紹介する事にした。 東京都中央区立明石小学校は、築地の隣町・明石にある大正15年竣工の鉄筋コンクリート校舎。いわゆる関東大震災を機に、東京市内に数多く建てられた〔震災復興小学校〕と呼ばれる鉄筋コンクリート製校舎の一つである。そのデザインは優しく、かつ力強い。 また昨年の6月に機会があって校内を見学させていただく好運に恵まれた。 この明石小は鉄筋コンクリート製の建物ではあるが、木の廊下をはじめ校舎内は温もりに溢れていた。贅の限りを尽くした豪華な空間ではないが、心の奥底を癒してくれるような感覚とでも言ったらいいのだろうか。ちなみに筆者は東京郊外の新興住宅街に昭和40年代に新築されたコンクリート校舎で小学六年間を過ごしたが、監獄のように冷たく人間味がまるでない恐怖だらけの無機質なあの空間とはまったく違う、この温もりある校舎で小学生時代を過ごしてみたかったなともふと思ってしまった。 しかし昨年、中央区はこの明石小をはじめ、昭和初期に建てられた明正、中央(旧鉄砲洲)の各小学校舎の解体・新築計画を発表。また明石小は今年2月に解体に伴うプレハブ仮校舎の建設がおこなわれる事になっている。なお中央区はこれらの小学校舎の解体については、函館の弥生小学校の解体問題と同様スケジュールの大枠が前もって決められ、それを一方的に押し通す形で話は進められているという。 ちなみに区側は耐震強度の不足を解体の理由としてあげているが、東京都選定歴史的建造物などに指定されている銀座の泰明小、日本橋の常盤小は耐震補強の工事を実施し、従来の校舎を解体しない方向で話を進めている。メンテナンス的には、解体予定の小学校と保存される予定の小学校はほぼ同様の状態で、何を根拠にしてこのような線引きをしたのかという点も謎である。 首都・東京の中心地である中央区にある明石小をはじめとする戦前築の小学校舎、次から次へと物が作られ捨てられる現代にあって、新しいものが全ての答えではないと教えてくれる素晴らしい教材ではないかと思う。 80年以上に渡って大切に使われてきたこれらの町の宝を、急いでこの世から葬る前に、もっときちんとした議論が必要だと思うのだが・・・・・。 ![]() ◎設計:東京市 ◎施工:竹田組 ◎竣工:大正15(1926)年8月28日 ◎構造:鉄筋コンクリート造り3階建て ◎所在地:東京都中央区明石1-15 -------------------------------------------------------------------------- なお明石小学校の詳しい事については、明石小学校校舎を守るために、ありがとう明石小学校舎☆幼稚園舎をご参照ください。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ★撮影・・・・2009年6月・10月
by sy-f_ha-ys
| 2010-01-25 19:25
| ◆大正モダン建築探訪
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Comments(6)
本当に美しい校舎ですね。この頃、芸術的な建物は絵画のように永遠の美が備わっているように見えてなりません。
また、他の省庁で削減しなければならなかった公共事業の受け皿になっているのが、文部科学省であると思えて仕方ありません。耐震強度不足という合理的な大儀名分で堂々と公共事業を執行できるのですから。
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jhm-in-hakodateさまの仰るように公共事業の受け皿になっているのが、小学校の建て替えなのでしょうか。明石小は築84年、弥生小は築72年、これだけの年数使われてきたという価値については、その大義名分の下では何も通用しないのでしょうか。壊すのは簡単ですが、これだけの年数生き続けていたこれらの校舎の存在そのものを壊す人たちは考えて欲しいものです・・・・・。
現代の建築と違って丁寧に造られているように思います。
育つ器で人も決まってくるのだから、建築家も頑張らなくては、というような気持ちが伝わってくるようです。
ayrton_7さま、古いものは間違いだという解釈がされる現代の世情ですが、この明石小や弥生小はそれが正解ではないことを教えてくれる恰好の教材ではないかと思います。
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半世紀近く前ですが幼稚園から小学3年までの5年間、明石小に通っていました。
ニュースで解体問題を知ってこのサイトに来ました。 明石小の後に転校して行った先の校舎は殆ど覚えていませんが、明石小の校舎の情景は鮮烈に記憶に残っています。 アーチ状の扉窓のシルエット越しに見た向かい側の校舎の気高い姿など、絵画のように記憶に焼き付いています。 子供心にも美しいなと感動を覚えていたのだと思います。 南面に見える聖路加病院の姿とともに、日本では稀に見る美しい建築環境で幼年時代を過ごせたことはとても幸運だったと思っています。 是非保存をしていただきたいと思います。
明石小の卒業生さま、はじめまして。
昨日コメント頂いたのに返信が翌日になってしまい申し訳ありません。 そして解体なのですが、本日24日の昼頃より開始されるようです。 中央区の区長も一度は明石小の文化的価値を認めるような発言をしたそうですが、結局当初の方針を覆すことはなく、長年地元のか人に愛された素敵な校舎を取り壊すことになってしまいました。 この学校に通っていた方の思い出話を伺うと、本当に残念で仕方がありません。これに代わる新しい校舎が建てられたも、これからここで学ぶお子さんたちはそのような感動を味わえないのでしょうね。 本日の昼12時半から明石小前で、この校舎の保存を訴える会がおこなわれるそうなので、私も仕事を休み行って参ります。
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