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![]() ・・・・都内に現存する最小サイズの復興小学校 今回紹介する旧福井中学校は、JR総武線・浅草橋駅を下車してすぐの場所にあるもの。 この学校は戦後の学制変更に伴い中学校に転用されたが、当初は福井尋常小学校として明治36(1903)年に同地で開校。また大正12年の関東大震災を機に、昭和4(1929)年に鉄筋コンクリートで建設されたのが冒頭の写真でご覧頂いた校舎である。なお写真手前に見える4階部分は後年に増築されたもので、竣工当時は校舎全体が3階建てだった。 また同中学校が閉校になった後この校舎は、学習塾の教室や近隣の私立女子高の施設として使われ現在に至っているが、駅前の商業地域ということもあり台東区は解体を視野に入れて、跡地の活用を模索しているようだ。 今年の春にこの校舎へはじめて訪れたのだが、その佇まいは、これまで見てきた復興小学校とはまた違った雰囲気を醸し出していた。凝縮されたようなデザインと言ったらいいのだろうか、横に広がるというより縦に伸びて建っているような印象をも受けてしまったのである。 実はこの校舎、この当時東京内で建設された復興小学校の中では、かなり小規模な類に入る。福井小学校の北西約200メートルの場所に建つ旧柳北小学校(大正15年築)と比較すると、建物の延坪は約3分の2、また昭和7年当時柳北小は32学級を擁していたのに対し、福井小はその半分の16学級だった。 時代的に考えると、多くの教室が確保できる柳北小の巨大校舎が完成した後ということもあるだろうし、また場所的に考えると福井小の南側は日本橋区、西側は神田区になるため、さほど大規模な校舎を必要としなかったのかも知れない。 但し、校舎自体小規模とはいえども、施設は他の復興小学校と同様のものを備えており、また外観デザインを見ても決して手抜きをしてないことが表れているような気がした。 ![]() ◎設計:東京市 ◎施工:松村組 ◎竣工:昭和4(1929)年12月6日 ◎構造:鉄筋コンクリート造り3階建て (4階部分は後年の増築) ◎所在地:東京都台東区浅草橋1-22-15 ※この建物は学校施設として使われています。見学に際してはマナーを守った行動をくれぐれもお願いいたします。 ![]() 玄関付近の装飾も同様だ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ★参考文献・・・・・「東京市教育施設復興図集」 東京市役所編集、昭和7年 ★撮影・・・・・・・2009年5月
by sy-f_ha-ys
| 2009-08-30 00:30
| ◆昭和モダン建築探訪
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Comments(4)
私は福井中学校を昭和35年(1960)に卒業しました。廃校後、立て替えの計画が出た時には区に保存について相談したりしました。現在は高層ビルの片隅に碑が建っているだけです。貴重な写真をありがとうございました。70歳の今、「校舎」はただ懐かしいというだけでなく、生きて来たあかし、礎となるものです。特に人格形成期の多感な時代の自分を思い出させてくれる大切なものです。遺していただき、ありがとうございました。
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榊正昭さま、はじめまして。この度は拙サイトにコメント頂き有難うございます。
旧福井小学校の校舎が取り壊されてから、結構な年月が経ちましたね。質素なデザインですが、力強さをも感じさせる素敵な校舎でした。榊さまの仰る通り、校舎は生きていたあかし、礎となるものでしょう。卒業した人たちに、そう思わせるような印象深い校舎を建てた技師たちも、かなりな思い入れを持っていたのでしょうね。
返信いただいたのに気づかず失礼いたしました。外観はもちろん、内部の油をひいた廊下、腰板とその上の白い壁、角が丸くなった階段、そのピカピカの手すり、使われたことのないスチームとその配管、半地下で外光の入る技術教室、私がいた頃に増築されたモルタルの図書室には違和感がありました。おっと、きりがありませんね。技師さんがご存命でしたらお話が伺いたいです。
榊正昭さま、お久しぶりです。
こちらこそ、またのコメント有難うございます。 私は福井中の内部を見たことはありませんが、福井中と同時代に、東京市内に建てられた小学校舎と同様、とてもきめ細やかな作りだったことが、榊さまのコメントから、想像できました。 昭和初期の築ですから、設計者の方は存命している可能性は低いですが、当時の技師の方々は学校に通う子供たちの事を最大限に考えて、図面を引き、校舎を建てていったのでしょう。古いものは悪いと思われがちですが、東京都内に残る戦前築の小学校舎は本当に素晴らしい建築作品だと思います。
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