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・・・・・武蔵野の地に建つレトロな大学校舎、その前身は東京市の麻布区役所 JRの中央線に乗るたび、武蔵境駅を過ぎて間もなくに見える赤い屋根の洋館は気になる存在だった。どちらかというと没個性的な街並みが広がる東京郊外にあって、赤屋根の洋館は異彩を放つ不思議な存在に私の目には映った。 それから地図で確認すると、この赤屋根の洋館は獣医大学の校舎とのこと。また明治42(1909)年に竣工した旧麻布区役所を、昭和12(1937)年にこの地に移築したということも間もなく知った。それが約10年前のことである。 その後、武蔵境に建つ赤屋根の洋館の存在を忘れかけていたが、最近になりとても興味深い建物だと思うようになった。 まずこの建物に興味を抱くようになった理由のひとつが、当時の東京市営繕課の設計により建設されたものということである。ちなみに旧麻布区役所が建てられる少し前(明治40年代前後)は、建築家の三橋四郎(1867~1915)が東京市の営繕課長として在籍していた時期だった。ちなみに三橋は、このプログでもたびたび紹介させていただいている、建築家・関根要太郎の師ともいえる人物である。 しかし旧麻布区役所が起工されたのは明治42年の1月。なお三橋は、その前年にあたる明治41年の夏に東京市技師の職を辞しているとのことで、この庁舎の設計に関与した可能性は低いようだ。だが三橋の設計により、明治末から大正はじめに竣工した区役所の写真と比較してみると、ルネサンス風の外観がどことなく似ていたりもする。三橋の作り上げた庁舎建築の雛型に沿って、旧麻布区庁舎は設計されたのではないかとも想像できる。 ちなみに大正12(1923)年の関東大震災を機に東京市内では、鉄筋コンクリート製の区庁舎へと建て替えるプロジェクトがおこなわれ、麻布区でも昭和8(1933)年に前区役所の近くに鉄筋コンクリート製の庁舎が竣工。明治42年竣工の庁舎は、僅か24年でその役目を終えている。 しかし空家になった先代の庁舎は、日本獣医生命科学大学の前身にあたる学校が引き取ることになり、ちょうどこのころ麻布の東洋英和女学院の設計を手掛けていた、アメリカ人建築家・ヴォーリズの指導により、現在地に移築されたという。昭和12(1937)に移築工事が完了したというから、70年以上に渡り武蔵野の土地で余生を過ごしていることになる訳だ。 先日この建物を撮影しながらふと思ったのだが、もし旧麻布区役所が竣工当時の地にのあったとしても、昭和20年の空襲、戦後の再開発で、建物が現在まで残る可能性は皆無に等しかっただろう。 また関東大震災後建てられた鉄筋コンクリート製の東京市内(都内)の区庁舎も、その全てが既に建て替えられ現存しいないことを考えると、明治末に竣工した旧麻布区庁舎の存在は驚愕に値する。明治期の東京の面影を今に伝える貴重な遺構として、その存在をもっと知られて欲しい、武蔵野の地に残る名建築である・・・・。 ◎設計:小林鶴吉 ◎施工:不詳 ◎竣工:明治42(1909)年6月 ◎移築:昭和12(1937)年・・・・・移築指導はヴォーリズ設計事務所 ◎構造:木造2階建て ◎所在地:東京都武蔵野市境南町1-7-1 ❖旧所在地は東京都港区六本木3丁目(東京市麻布区市左衛町) -------------------------------------------------------------------------- 玄関ポーチの形が変更されたり、窓上の装飾が取り除かれるなど若干の変更がされているが、竣工当時の姿がほぼ再現されている。 なお区役所時代は1階に事務所、2階に議場が設けられていたという。 あと興味深いのが、現在建物上に取り付けられている搭がこの当時は取り付けられていないこと。移築に際し取り付けられたものだろうか・・・・・?。 ❖図版・・・・・「麻布区史」 昭和16年、麻布区役所発行 -------------------------------------------------------------------------- ★参考文献・・・・・・❖「麻布区史」 麻布区役所発行、昭和16年 ❖「港区郷土資料館 資料館便り 第59号」 まちかどの洋風建築 ~大事に使われている明治時代の建物~ 、川上悠介氏論文、2007年 ❖「東京市営繕組織の沿革」 藤岡洋保氏論文、1980年 ★撮影・・・・・2009年6月
by sy-f_ha-ys
| 2009-06-17 00:27
| ◆明治モダン建築探訪
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Comments(6)
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gipsymania at 2009-06-17 15:48
アップしましたね。
それにしても移築前の写真は貴重、よくそんなに古いものを見つけましたねぇ。 玄関ポーチが円形だったとは。円形のままの方が面白かったような気がします。 裏手にある『ヴォーリズ館』は今も謎ですか。
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sy-f_ha-ys at 2009-06-17 21:57
gipsymaniaさま、
移築前の写真は、東京の復興小学校を調べている際、偶然見つけましたので、こことぞばかりUPしてしまった訳です。 玄関ポーチは、恐らく立地の関係上から今の形になったのでしょうか。 中もどうなっているか気になるところですが、ヴォーリズ館の詳細については未だにわかりません(-_-;)
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jhm
at 2009-06-18 00:44
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この建物の玄関周り以外の外観が、函館元町の旧英国領事館に雰囲気が似ていますね。窓枠を青く塗り、窓だけの拡大写真を撮って、英国領事館と言われても信じてしまいそうです。
東京には久しく行っておりませんが、文京区を中心にこのような素敵な建物が多くあったようなイメージがあるのですが、現在はどうなのでしょうか?昔の記憶なのであてにはならないため、見当違いでしたら申し訳ありません。
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sy-f_ha-ys at 2009-06-18 22:21
jhmさま、フラットな外観が言われてみれば、函館のイギリス領事館と似ていますね。建物から醸し出す雰囲気も、相通じるものを感じます。
それと文京区ですが、明治に建てられた洋館から東大の校舎、屋敷、商店、民家など歴史ある建物が多く残っています。地元の人はそれらの存在を知っていないのが現状のようですが。
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cherikaro
at 2014-03-13 00:22
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ご無沙汰しております。大変参考になる記事ばかりでよく読ませていただいています。ところで昔の記事で恐縮ですが麻布区役所に関して「建築雑誌NO,269号」に少し記事が載っていましたのでお知らせしたいと思います。それによりますと工事の監督として東京市営繕課長小原益知、工事の設計が技手小林鶴吉の名前がございました。建築雑誌269号の213ページです。ご興味がございましたら読んでみてください。
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sy-f_ha-ys at 2014-03-14 14:51
cherikaroさま、お久しぶりです。
先ほど、建築学会発行の「建築雑誌」のPDFを閲覧してみましたが、cherikaroさまがご教示していただいた、麻布区役所の竣工記事を見つけることが出来ました。確かに小林鶴吉という名前が記されていましたね。 小林鶴吉はこの庁舎が竣工したころ、当時二十歳になったばかりの関根要太郎に、高崎南小学校の新築工事の現場監督を紹介したという人物だったそうで、小林本人も高崎の市庁舎の設計を同時期に担当していたりします。関根は小林鶴吉との出会いを機に、のちに東京市の先代の技師長だった三橋四郎の設計事務所に就職できたのでしょうね。 それと興味深い記述は、三橋四郎の設計作品と言われている下谷・浅草の両区役所(ともに明治40年代初頭の竣工)の設計を手掛けたという点です。となると三橋四郎の下で、二つの区役所の実施設計を手掛けたということも考えられます。 こちらの建築作品については、後日改めて取り上げてみようと思います。このたびはコメント有難うございました。
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