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![]() ・・・・・21世紀の現代に復元された明治竣工の赤煉瓦建築 今回はかなり番外編になってしまうが、東京丸の内に出現した建物のご紹介。 その建物とは旧三菱1号館。日本近代建築の父と言われる、イギリス人建築家:ジョサイア・コンドル(1852~1920)の設計により明治27(1894)年に竣工し、昭和43(1968)年に解体された建物を復元したものだ。約10年前からおこなわれている三菱地所の丸の内再開発プロジェクトの一環として建てられもので、竣工した建物の様子は既にニュースなどで報じられているので、ご存じの方も多くいらっしゃるのではないかと思う。 先日、丸の内を訪れた際に三菱1号館の前を通ったのだが、西日に照らされた赤煉瓦棟の美しさに魅せられ、思わず何枚もシャッターを押してしまったのが、今回ご覧いただいている写真だ。旧建物は私が生まれる前に取り壊されているので、もちろん実物を見たことはないが、明治の時代にタイムスリップしたような感覚に襲われてしまった。 また明治から昭和30年代までは、この界隈には多くの煉瓦建築が軒を連ね『一丁倫敦』と呼ばれていたそう。しかし、戦後の高度成長期に入り時代のニーズには合わなくなってきたようで、最新式のビルへと次々と建て替えられ最後に残ったのが、今回復元された三菱1号館だったという。また解体を惜しむ当時の関係者により実測図が作成され、その一部の部材は保存されたのが、今回の復元に大いに役立ったという。 この建物を惜しむ人たちの愛情が、40年という時を経てこの建物を蘇らさせる切っ掛けになったというのも、とても感動的な話である。 しかしこの界隈の再開発で一つ残念なことがある。それは復元された三菱1号館の隣にあった八重洲ビルディング(昭和3年築)の解体と復元の仕方についてである。この八重洲ビルは搭屋が印象的な昭和初期のモダンビルの傑作で、地下にはかの八重洲グリルが入居していた古き良き昭和の佇まいを伝える建物だった。 この写真を撮影した時に気付いたのだが、三菱1号館復元のきっかけになった、地上34階建ての丸の内パークビルの下層部分に、旧八重洲ビルの一部分が復元されていたのである(.....詳しくは下のMore欄をご参照ください)。しかしそれは三菱1号館の復元に比べると、あまりにも粗末なもので、美しい赤煉瓦棟の品格を下げるようにも感じられた。 この後も、このような歴史的プロジェクトが続くのを期待している。ただ三菱1号館の完璧な復元に対し八重洲ビルの粗末な復元という対比が、悪しきパターンとして残らなければいいと思ってしまったのが正直な感想だ。 ![]() ◎設計:ジョサイア・コンドル(Josiah Conder) ◎施工:不詳 ◎復元設計:三菱地所設計 ◎復元施工:竹中工務店(復元工事) ◎竣工:明治27(1894)年 ◎解体:昭和43(1968)年 ◎復元:平成21(2009)年 ◎構造:煉瓦造り3階建て ◎所在地:東京都千代田区丸の内2-6 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ********************************************************* ★撮影・・・・・2009年4月・5月 ★参考文献・・・・「東京人」2007年4月号・小特集『三菱一号館 復元物語』 「都市の記憶 美しいまちへ」鈴木博之氏著、2002年・白揚社 ▼下のMoreでは、八重洲ビルディングやその界隈の写真を掲載しております。 ★三菱1号館界隈 ![]() 昭和3年竣工の八重洲ビルディングは丸の内パークビル建設に伴い解体、新築の建物に一部分に復元されたのがご覧の姿。なお下の写真は2003年に撮影した解体前の八重洲ビル。 ![]() ![]() 三菱1号館向いの東京UFJ三菱銀行前庭に残る、旧三菱銀行(大正12年)のイオニア式オーダーの一部分。なお丸の内の郵船ビルにも、先代の建物の装飾の一部が保存されている。 ------------------------------------------------------------------------ ![]() ![]()
by sy-f_ha-ys
| 2009-05-15 00:15
| ◎日本近代建築探訪
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Comments(4)
ほんとに対照的な姿ですね。
赤れんがの三菱の建物は清々しいくらいに美しい姿ですが もう一方は一階部分に復元されているのでしょうけど 途轍もなく上部が高く目立っていて きっと全景ではもっと復元部分がお粗末に見えるのでしょうね。
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gy1117さま、赤レンガの美しい姿を見てから、一部が復元されたビルを見てしまうと、その落差にがっかりしてしまいます。
せっかく赤レンガの建物を復元したのなら、こちらにも少し愛情をと思ってしまいます。 ![]()
三菱1号館は、昔の写真でしか観られなかったこともあって、見事な復元といった感じですが、八重洲ビルは惜しいですね...八重洲ビルは控えめでありながらも、シャレたデザインのビルだったように思います。中に入ったことがありますが、廊下に天上から吊されている小さな時計に、葉っぱの装飾が付いていたのが印象的でした。1階のエントランスも広々としていて、オフィスビルらしい感じでした。
tokyo102さま、はじめまして。三菱一号館の解体は昭和43年という事で、それ以降に生まれた私は勿論実物を見た事はありませんが、写真そのままの建物が現れたのには感動すら覚えました。
八重洲ビルはエントランスと右側にあった三菱の歴史を展示するコーナーしか見たことがありませんでしたが、昭和初期竣工のビルらしい風格とモダンさを兼ね備えていたと思います。現在の外壁の一部再現はちょっと頂けないですよね。本文でも書きましたが、あの演出は三菱一号館の品格を落としているような気がしてなりません・・・・。
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