by ヨウタロウ研究員 カテゴリ
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・・・・・函館の電車通り沿いに建つ、昭和9年大火後竣工の復興耐火建築 本日は函館の豊川町に残る古建築を紹介してみようと思う。 豊川町では以前、旧函館信用金庫本店(旧十二銀行函館支店、大正15年築)を紹介させていただいたが、その近くに数軒の哀愁を帯びた古い建物があるのをお気づきの方もいらっしゃるかも知れない。 末広町の市電通り沿いににある、華やかな戦前築の建物に比べると、装飾的要素も少なく無骨といった感じのビルディング群。その存在は確かに地味である。実を言うとこれらの建物は、昭和9(1934)年の函館大火後に建設された鉄筋コンクリート製の耐火建築の生き残りで、函館と火災との戦いを語る上では忘れてはならない貴重な建物である。 これまで何度となく紹介してきたように、函館は大火の多発地帯。またその度に市民有志の発案により、様々な火災対策の案が練られ実行されてきた。特に大正10(1921)年の大火後は、銀座通りの防火建築群の建設など、より具体的な対策がおこなわれている。しかし昭和9年に起きた大火では、当日の火の勢いには勝てず、その大部分の建物内が延焼、一部は建物が倒壊してしまう事例までみられた。 そして昭和9年の大火後に内務省主導によりおこなわれたのが、現在の函館の都市形成の根本となる事業で、市内に防火帯の目的をなすグリーンベルト(防火林)の設置、道路の拡張・再整備、そして緊急避難所としての鉄筋コンクリート製の校舎群が建設がされた訳である。但し肝心の耐火建築の建設は、殆どおこなわれなかったのが現状のようだ。 これについては国内が軍事態勢に突き進み建築資材が高騰していた事や、函館の景気が大正期の最盛期に比べ、かなり停滞していたことなど考えられる。また大正期から昭和初期にかけて建てられた、末広町周辺の商業建築に比べるとデザインに華やかさがないのは、この辺りが理由なのではないかと私は推測している。 あと豊川町の鉄筋コンクリート建築群で興味深いのは、その造りがどれもよく似ていること。 昭和9年の大火直後、函館市民に向けて〔鉄筋コンクリート建築が火に弱いという誤解を解く〕という、パンフレットが日本建築学会より配布されていたことなどを考えると、耐火建築を作る基本パターンなどが設定されて、それに従って建てられたのが豊川町に残るコンクリート建築群なのではないかと思われる。小さめに取られた窓などを見ていると、外観の派手さより、まず火災に勝つという確固たる意志を感じてしまう建物だ。 豊川町のこれらの建物は見た目は地味ではあるが、函館の歴史の一頁が刻まれた貴重な遺産と言えるだろう。その建設の経緯についてもっと知られて欲しい、街の歴史を今に伝える隠れた名建築たちである。 ◎設計:不詳 ◎施工:不詳 ◎竣工:昭和9(1934)年~昭和13(1938)年ころ ◎構造:鉄筋コンクリート3階建て ◎所在地:函館市豊川町6~7 こちらの建物は古くから地元で倉庫業を経営する及能の事務所として使われている。 -------------------------------------------------------------------------- 及能の左隣に建つビル。及能と建物の規模や大きさが似ていることから、同時期に建てられたものと考えられる。 -------------------------------------------------------------------------- 先の2軒の建物より、函館駅方面に進んだグリーンベルト(防火帯)脇に建つビル。 建物左に付けられた丸窓が、モダンな雰囲気を漂わせる。 先の伊藤商事の右隣に建つビル。柱などに装飾が多く用いられているのが特徴。 -------------------------------------------------------------------------- こちらは先の建物より200メートルほど離れた、市電・十字街電停前(末広町)に建つ洋品店。 この建物も外観のデザインから見て、昭和9年大火後に建てられたものと考えられる。 なお大手町の函館自動車(ヤマト車検)も、これらの建物と同時期に竣工したもののようだ。 -------------------------------------------------------------------------- 〔鉄筋コンクリートが火に弱いという誤解を解く 函館市民に告ぐ〕というこのパンフレットは、大火の翌月にあたる昭和9年4月に東京の社団法人・日本建築学会より配布されたもの。 ******************************************************** ★撮影・・・・・2009年3月
by sy-f_ha-ys
| 2009-05-02 00:42
| ☆函館の建物案内
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Comments(4)
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銀ぎつね
at 2009-05-02 12:55
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お~どれもこれも会社のご近所さんたちだ^^;
ちはるや隣の北洋銀行は給料の振込み口だじょ~ てか、違う場所にておろしてますが。なんたって妻に権利が ありますもんで。
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sy-f_ha-ys at 2009-05-02 20:59
銀ぎつね様、そういえばこちらのお近くにお勤めされていたんですよね(^u^)
北洋銀行もすっかりメジャーになりました。 銀座通りより更に地味な存在ですが、こちらも歴史ある建物ということで・・・。 というか、いちばん目立つのは『モーモータクシー』ですかね?
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銀ぎつね
at 2009-05-04 10:20
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sy-f_ha-ys at 2009-05-04 22:15
銀ぎつね様、モーモータクシーですが、この時の函館滞在時に乗りました。
車にクラクションのほか、『モー』と鳴き声がなる機能が付いているのは笑えました。 さて伊藤商事ですが、この丸窓は目にとまりますね。 左に一つだけあるデザインもたまりません。
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