by ヨウタロウ研究員 カテゴリ
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・・・・・・函館の観光名所に建つ、忘れられた存在の真面目な名建築 坂上に明治43年築の旧公会堂や、大正2年築の旧イギリス領事館であることから、函館の名所の一つとしてお馴染みの基坂。今回はよく目にするけど、なかば忘れられたような存在になっている、基坂のとある建物を紹介させていただきたい。それは坂下にある函館市北方民族資料館。この建物は日本銀行の函館支店として、大正15(1926)年11月に竣工したもので、築80年を過ぎた歴史的建造物なのである。 日本銀行の函館出店は明治28(1895)年。初代の店舗は、当時の絵葉書を見ると土蔵風の建物だったが、明治40(1907)年の大火で焼失。そして明治44(1911)年に現在北方資料館がある基坂下に、木造モルタル塗り2階建ての新店舗が落成している。ちなみにこの建物、東京駅の赤レンガ駅舎や日本銀行本店などで知られる、明治建築界の重鎮・辰野金吾(1854~1919)と辰野の弟子筋にあたる長野宇平治(1867~1937)が設計したもので、小樽に現存する旧日本銀行支店に似たデザインの建物だった。 しかし竣工から13年後の大正13(1924)年8月27日、この建物に悲劇が襲う。この日の早朝4時、八幡坂下の勝田旅館で起きた火災は、あっという間に風下に当たる基坂方面へと燃え広がり、辰野金吾・長野宇平治設計の日銀支店にも飛び火。ルネサンス風の当時としてはモダンな銀行店舗は、あえなく倒壊してしまったのてある。 そういう事で新たに新築されたのが、現在の店舗。以前に大正10(1921)年に函館大火後に鉄筋コンクリート製の耐火建築が新築されていたが、八幡坂下から基坂下の市電通り沿いには大正13年の火災を機にようやくコンクリート建築が数多く造られるようになった訳である。 例えば日和坂下にあった旧金森デパート(大正14年築)や、その向いに建つ高田印刷・文具店(旧金森回生堂、大正14年築)は、この火災後に建てられた復興建築。また火災の被害を免れた場所ではあったが、八幡坂下には旧百十三銀行本店(設計:関根要太郎、大正15年築)、旧函館貯蓄銀行本店(大正15年築)なども新築され、大正13年の火災の被害を免れた旧第一銀行函館支店(大正10年築)とともに現在見られる末広町の街並みが形成されたのである。 外観は無口な感じの北方民族資料館だが、是非とも一度入館されて建物内を見学していただきたい。 例えば市電通り側の入り口のガラスタイルや1階展示室周りの会議室は、昭和30年代といったレトロな風情。また2階の展示室は、かって会議室や金庫として使われていたのだろうか、とても重厚な作り。豪華というより無駄なものを削ぎ落とした、生真面目な感じのする空間だ。 そして個人的に好きなのが、2階の回廊。ちょうど1階の展示室を見下ろせるようになっているのだが、銀行時代はここが営業室だったのである。私はここを通り1階を見下ろすたび、いつも銀行時代の賑わいを想像してしまう。 ◎設計:日本銀行営繕課? ◎施工:竹中工務店? ◎竣工:大正15(1926)年11月、・・・・・昭和30年代初頭に増改築 ◎構造:鉄筋コンクリート3階建て ◎所在地:函館市末広町21-7 玄関周りに並ぶ四角い柱は、竣工当初は古典主義風の装飾が付いていたが、昭和30年代の改築のさい現在の姿に変更されている。 こちらは大正13年の火災で焼失した先代の日銀店舗。同時期に建てられた小樽の旧日銀支店に似た雰囲気のデザイン。 ★図版・・・・〔▲A〕、「函館市制実施記念写真帖」、円山貞吉編、大正12年 ★参考資料・・・・・「函館の建築探訪」、北海道新聞社発行、平成9年 ★撮影・・・・2003年11月、2009年6月(差し替え)
by sy-f_ha-ys
| 2009-02-05 00:01
| ☆函館の建物案内
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Comments(2)
歴史の重みと異国情緒の溢れる小樽の旧日本銀行支店 末広町の街並み形成されているといっても過言ではないが日本銀行の函館出店
ひとつの建物が物語る時代を 走馬灯のように駆巡りました。 建築の美しさ 果てしなさ 謂れを伝えてくださってありがとうございます。 旧正月は雪山にこもってスキーをしていました。 今夕、西安に戻ります。 異国から 建築のロマンを楽しみにしています。
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sy-f_ha-ys at 2009-02-05 22:06
白い恋人さま、お久しぶりです。
今年は雪がかなり少ないと聞いておりますが、久しぶりの故郷・北海道はいかがでしたか。 今回紹介した建物は、紆余曲折を経て現在の形になりましたが、アイヌ資料を展示するにはピッタリの場所です。 贅をつくした訳でなく、真面目な建物だからこそ、現在の使用目的に似合っていると言ったら良いのでしょうか・・・・。 まだ雪が降らない東京ですが、西安からのお便り楽しみにしております。
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