by ヨウタロウ研究員
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◆旧住友家俣野別邸 ・・・・・昭和14年築、住宅設計の名手が手掛けた和洋折衷のモダン邸宅 爽やかな秋晴れとなった9月下旬のある日、電車を乗り継ぎ訪れたのは横浜市戸塚区の東俣野だった。横浜の観光名所である、関内・みなとみらい・中華街・山手地区には時おり出掛ける筆者であるが、戸塚の東俣野に立ち寄るのは今回が初めてであった。 戸塚の隣町にあたるJRの藤沢駅から、旧東海道を走る路線バスに乗り換え、今回の目的地へ向かう。遊行寺坂という緩やかな坂を上るにうちに、道は徐々に高台へとさしかかり、最寄りのバス停である鉄砲宿に到着した。ちなみに鉄砲宿という地名は、東海道の宿場があった訳ではなく、この地に出没する大蛇を、猟師が鉄砲で退散させた伝説に由来するものだという。 そのような大蛇伝説が嘘のような、現代的な洒落た住宅街が広がるこの周辺だが、バス停のすぐそばには緑が鬱蒼と広がる庭園がある。これが本日の目的地、俣野別邸庭園である。住友財閥の16代当主である、住友吉左衛門(住友友成、1909~1993)の東京近郊の別邸として造成された土地である。 その庭園内には、とても美しい邸宅が一棟建っている。それがこの日の東俣野を訪れた最大の目的である、旧住友家の俣野別邸だ。戦時色の強くなった昭和14(1939)年に、住友総本店の営繕課にも在籍した経験を持つ、建築家の佐藤秀三(1897~1978)の設計・施工により建てられたものである。 この邸宅は戦後も住友家の邸宅として長らく使われていたそうだが、平成12(2000年に相続税の対象として国に物納。そして横浜市の管轄となった平成16(2004)年には、和洋折衷のモダンな邸宅の美しさが評価され、国の重要文化財にも指定された。実はこれまで幻の洋館だった旧住友家俣野別邸だったが、国指定重文指定とともにその存在が公になったのである。 そしてその4年後には公開に向けた修繕工事が始まる。しかし工事が開始された矢先の平成21(2009)年3月15日には、不審火により邸宅が全焼してしまう。それに伴い、国の重要文化財の指定も解除されてしまったのである。 またこの頃、神奈川県内では横浜ゆかりのアメリカ人建築家:J・H・モーガンの自邸(藤沢市) 、戦後の名首相・吉田茂の自邸(大磯町)などが、不審火により全焼してしまっている。いまだ犯人は明らかになっていないが、何ともやりきれない気分にさせられた数年前の歴史的建造物に怒った連続放火事件だった。 このまま過去の記憶の遺産として、消えてしまうと思われた旧住友家俣野別邸だったが、所有者である横浜市は残された部材を活用し建物の再建を決定。当時の設計図に基づいた3年がかりの再建工事がおこなわれ、今年(2017)年4月から待望の一般公開が始まった。また火事で焼けてしまう前のオリジナルの邸宅を尊重し、ほぼ忠実な再建工事がおこなわれたそうである。 なお再建された邸内は有料公開エリアのほか、カフェエリア、貸スペースとしても使われている。 そして邸内は和風をベースとしながら、モダンな要素がふんだんに使われたとても美しいものになっている。この邸宅の設計者である佐藤秀三作品は、秋田県由利の生まれ。大正3(1914)年に山形県米沢工業学校を卒業後、住友本店の営繕課に入社し住友関連の建築設計を手掛ける。住友退社後は白鳳社の勤務を経て、昭和4(1929)年に設計・施工を一手に手掛ける自身の建築事務所を開設したところだった。 佐藤秀三作品は、3年前に東京小金井市の旧中村研一邸(昭和34年築)を紹介させていただいたが、この俣野別邸も周辺の地形や自然環境と共存させた作りになっている。訪問前筆者は、かなり高台に建つこの邸宅の立地に疑問を持っていたが、サンルームから眺められる丹沢山系や富士山の山容や、湘南からの爽やかな海風を感じると、住友友成がこの場所を気に入り、住宅設計の名手に美しい邸宅を建てさせたかが分かったような気がした。 一度は焼けて無くなった美しい邸宅を、復元させた関係者の方々の熱い思いを感じるこの作品。是非とも多くの人に周辺の環境と調和した、この美しい邸宅を見学して頂きたいものである・・・・。 ◆旧住友家俣野別邸 ◎設計:佐藤秀三 ◎施工:直営 ◎竣工:昭和14(1939)年 ◎焼失:平成21(2009)年3月15日 ◎再建:平成28(2016)年3月 ◎構造:木造2階建て ◎所在地:横浜市戸塚区東俣野町80-1 ❖横浜市認定歴史的建造物 こちらが東海道から1分ほど歩いた場所にある正門。地元の鎌倉石が門に使われている。 建物西側にあたる庭側の部分。玄関側と同様2階には、梁を露出させたハーフティンバーが用いられている。 なお建物先端の先は崖になっており、その先には丹沢山系や奥多摩や秩父の山々、富士山が望めることができる。 モダニズムの影響を感じるサンルーム。こちらからの眺めは後ほど紹介させて頂きたい。 玄関脇にあるレリーフは火災を免れたもの。この先は室内の様子をご覧いただきたい。 2階サンルームからの眺め。写真では分かりづらいが、右奥に丹沢山系、更に遠くに奥多摩の見事な山容を望むことができる。富士山の眺めも良かったが、ここからの最大の見どころは丹沢の山々だろう。サンルームも丹沢の山の方向に合わせて作られている訳である。 邸内に展示してある当時の設計図。この図面に基づき、火災後の再建工事がおこなわれた訳である。 ************************************************************ ★参考文献・資料 「歴史遺産 日本の洋館 第六巻昭和篇Ⅱ」藤森照信氏著、講談社、平成15年
「佐藤秀ホームページ」 「俣野別邸リーフレット」横浜緑の協会編 「ウィキペディア、住友友成」 ★撮影・・・・・2017年9月
by sy-f_ha-ys
| 2017-10-14 07:14
| ◆昭和モダン建築探訪
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Comments(6)
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tokyo102
at 2017-10-14 12:24
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いい家ですねえ...
そしてまったく古くない。和洋折衷はバランス取りが難しいものだと感じていますが、絶妙なバランスですね。 古い建築物を放火するっていうのは一体何故なんですかね...全く理解できない。しかし再建されて良かったですねえ。
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sy-f_ha-ys at 2017-10-14 22:37
tokyo102さま、この邸宅は久々に感動ものの作品ありました。
火災という事情で、新たに建て直されましたが、恐らく古い部材のままこの屋敷が建っていたとしても、そのモダンさは際立っていたでしょう。 それと今から十年前に神奈川県で起きた歴史的建造物の連続放火事件ですが、この旧住友家の俣野別邸と吉田茂邸は再建されましたが、このずぐそばにあったモーガン邸はそのプロジェクトがまだ始まっていません。そちらも邸宅も再建され、犯人もお縄になって欲しいものです。
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j-garden-hirasato at 2017-10-22 08:18
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sy-f_ha-ys at 2017-10-22 20:13
j-garden-hirasatoさま、公開へ向けて整備中だったこの建物が、
不審火で焼けてしまったニュースを聞いた時はとても落胆しましたが、 それから7年の歳月をかけ、見事な復元がおこなわれました。 本当に関係者の方々の熱意と執念があっての復活ですよね。 重文の指定は外されましたが、それでも見る価値はある建物ですね。
初めまして。8月12日に俣野別邸で演奏会を行うこととなり、様々に調べているうちにこちらのブログにたどり着きました。
私は別邸の近隣に住んでいるのですが、この静けさと緑の豊かさに、よく散歩に行きます。留学先のオランダを思い出す環境の良さですっかりお気に入りの場所です。 ブログ記事から、設計した佐藤秀三が私と同じ秋田県出身であることも知り得ることができました。とても勉強になりました。ありがとうございます。
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sy-f_ha-ys at 2019-08-03 10:23
浅原ルミ子さま、はじめまして。
緑豊かなこの場所で演奏会とは、とても素敵ですね。 不審火で以前の建物は焼けてしまいましたが、 再建された現在の建物も、本当に素敵ですよね。 私の母も佐藤秀三さんと同じ、秋田出身です。 半分秋田の血が流れている私も秋田という地名を聞くと、 親近感がわいてきます。本日はコメントありがとうございました。
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