by ヨウタロウ研究員
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◆風見鶏の館 ・・・・・明治37年築、若きドイツ人建築家が建てたロマンチックな洋館 神戸北野の異人館街、いや神戸の顔とも言うべき建造物の一つと言えば、風見鶏の館の愛称で親しまれている旧トーマス邸だろう。塔屋の風見鶏が印象的なこの洋館は、明治37(1904)年に、神戸で貿易業を営んでいたドイツ人:ゴットフリート・トーマス(Gottfried Thomas、1871~1950)の自邸として建てられたものである。 この邸宅は、昭和52(1977)年にNHKで放映された、朝の連続テレビ小説〔風見鶏〕のロケに使われたのを機に、その存在が全国的に知られるようになった。そして放映終了後に神戸市は、当時中華学校の寮として使われていたこの異人館を、文化事業の一環として取得。整備ののち一般公開が始まり、現在へと至っている。 そして旧トーマス邸は、昭和53(1978)年に国の重要文化財に指定される。また北野の異人館街も、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、その歴史的・文化的価値が広く認知されるようになった。更にその後も風見鶏の館のブームを追うように、周辺に現存していた歴史的建造物も、民間によりリフォームがおこなわれ、観光施設として続々とオープン。こうして現在の神戸異人館観光が定着したのである。 さて風見鶏の館ことトーマス邸は、長らく明治42(1909)年の竣工と記載されていた。しかし芦屋に在住される広瀬毅彦さんの研究調査により、明治37(1904)年に竣工したことが判明したのは7年前にも紹介した通りだ。 現在この建物の家主である神戸市は、30数年前に風見鶏の館に関する史実を検証するため、トーマス家に残る設計図をはじめとした資料を調査したという。そこで明治37年に設計図は完成し、同年暮れ頃に竣工したことを裏付ける資料があったのにも関わらず、神戸市に残る家屋台帳に基づき、明治42年竣工と断定してしまった。 その後、広瀬さんの決定的な資料掲示もあり、神戸市の一部のサイトや刊行物では明治37年竣工に書き換えられているが、神戸市文化財課は明治42年に「頃」という一文字を加えただけで、正式な訂正をおこなっていない。何ともやりきれない話である。 ちなみに筆者が風見鶏の館に訪問したとき、邸内では施主のゴットフリート・トーマスの長女:エルゼさん(1899~1998)の、幼少のころの写真が展示されていた。日本の年号で明治32年生まれのエルゼさんが、5~6歳の頃に撮影した写真の背後には、新築間もないこの異人館が写っている。つまり神戸市発表の明治42年竣工説は、この写真展示だけでも完全に崩れてしまっている訳である。 その後トーマス家はエルゼさんの進学に伴い、大正3(1914)年にドイツへ一時帰国する。しかし、この年に第一次世界大戦が勃発。日本とドイツは敵国となったため、トーマス邸は敵性資産として没収されてしまい、以降日本に戻れなくなってしまったのである。 またこの時邸内には、エルゼさんの少女期の写真のほか、約半世紀ぶりに神戸を訪れた際に撮影された写真も展示されていた。今や神戸観光の定番となったロマンチックな洋館は、激動の時代に翻弄された一人の女性の物語が、詰まっていたのである。 このような悲しい物語を生んでしまった、美しいドイツスタイルの異人館。この邸宅の設計を手掛けたのは、ドイツ人建築家のゲオログ・デ・ラランデ(Georg de Lalande、1872~1914)である。明治36(1903)年に来日したデラランデは、同郷のドイツ人建築家:リヒャルト・ゼール(Richard Sell、1854~1922)の建築事務所に就職。ゼールの帰国後には横浜で自身の事務所を開設し、積極的な建築活動を展開していく。そこでトーマスと出会い、神戸に建てられる新居の設計を依頼するのであった。 なおトーマス邸の建設中、当時32歳だったデラランデは神戸において、自身より遥か年下の17歳のドイツ人少女と恋に落ちていた。それがのちにデラランデの妻となる、エディータ(Edith Pitzscke:のちの東郷エヂ、1887~1967)である。後世、風見鶏の館と呼ばれるトーマス邸が、ドイツの伝統的なスタイルをベースとしながら、とてもロマンチックな作りになっているのは、ラランデの恋心によってもたらされたに違いない。 デラランデが得意とした、〔ユーゲントシュティール:青春様式〕という表現がピタリと当てはまるこの洋館。ビルの間から辛うじて見える港を眺めながら、若き建築家の恋と、若き貿易商のこの邸宅に向けた希望を想像した筆者であった・・・・。 ◆風見鶏の館(旧トーマス邸) ◎設計:ゲオログ・デラランデ(Georg de Lalande) ◎施工:不詳 ◎竣工:明治37(1904)年 ◎構造:木造・一部煉瓦造2階建て、一部半地下1階 ◎所在地:神戸市中央区北野町3-13-3 ❖国指定重要文化財 ❖神戸市指定伝統的建造物 ちょっと見つけづらい場所にあるのが、建物裏手に刻まれた家屋銘文。広瀬毅彦さんの著書によると、「ここは私がたいそう丹精込めて建てた家、文字通り私の城です。もし気に入って頂けるのであれば、誰でも大歓迎します。」という内容だそうである。 なお竣工当時は屋敷裏手もトーマス家所有の土地で、芝生のある庭や山林が広がっていたという。 筆者が訪問時、1階サンルームに展示してあった、トーマス家の長女・エルゼさんがこの邸宅で暮らしていた当時の写真。1899年生まれのエルゼさん5~6歳の頃の写真のバックには、新築間もないこの邸宅がしっかり写っている。 つまり神戸市が長年主張してきた1909年竣工というのは、完全な誤りという訳になる。訂正が難しいお役所仕事なので、正式な築年数に訂正される可能性も低い感じだ。しかし先輩職員や研究者がおこなった杜撰な調査のお陰で、現在の職員の皆さんも苦労されている事でしょう・・・・。 ********************************************************** ★参考文献・資料
「風見鶏 謎解きの旅」広瀬毅彦氏著、神戸新聞総合出版センター、2009年 「既視感の街へ ロイヤルアーキテクト ゲオログ・デラランデ新発見作品集」広瀬毅彦氏著、edition winterwork、2012年 「日本の美術 №447、外国人建築家の系譜」堀勇良氏著、至文堂、2003年 ★撮影・・・・・2017年4月
by sy-f_ha-ys
| 2017-05-13 13:13
| ◆明治モダン建築探訪
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Comments(4)
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j-garden-hirasato at 2017-05-14 06:54
神戸の北野町、
洋館の宝庫で実に魅力的です。 でも、 拝観料が高くて、 いつも数をこなせず…。
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sy-f_ha-ys at 2017-05-14 18:27
j-garden-hirasatoさま、
神戸の異人館街は、とても魅力的ですよね。 風見鶏の館をはじめ市で運営している異人館は、 リーズナブルな入館料ですが、民間が運営しているのものは、 驚くほど高い価格でした。 今回、うろこの家を見学しようと思いましたが、 表だけ見て帰ってまいりました(笑)。
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kame-fukusima at 2017-05-17 22:58
40年以上前でしょうか、テレビドラマで風見鶏が放映さていました。それが頭にあり二十代半ばに館を尋ね感激をした記憶があります。
館に置かれていた寝椅子に憧れ、いつかは使って見たいと思っていたのですが、未だに適いません。 今では、洋館よりも伊勢神宮のような掘っ立て小屋に住みたいと願っている今日この頃です。 kame
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sy-f_ha-ys at 2017-05-18 19:26
kame-fukusimaさま、はじめまして。
この度は、私のブログにコメント頂き誠にありがとうございます。 この建物を有名にした朝ドラが放映されたときは、私は幼稚園に通っていましたが、風見鶏をバックにしたオープニングの映像は何となく覚えています。この洋館にあるような長椅子など憧れますが、実際に使うとなると難しいですよね。私も洋館の絨毯と椅子の生活より、畳の生活の方が日本人にとっては良いのかなと思います。
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