by ヨウタロウ研究員
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・・・・・大正5年竣工、若き北洋漁業家が建てた事務所建築 函館の弁天町は、古くは北洋漁業の拠点として賑わった場所である。筆者が函館に訪れるようになった20年くらい前には、 北海製罐の函館工場(昭和10年築)をはじめ、幾つかの北洋漁業に関連した施設が残っていたが、その殆どのものが時代の経過とともに朽ち果て、解体され当時を偲べるものは殆ど残っていない。 その中で北洋漁業の時代を偲べる数少ない遺構の一つが、今回紹介する旧堤商会だ。この堤商会、函館発祥の水産会社・日魯漁業(現マルハニチロ)の前身会社にあたる。 堤商会は新潟県三条出身の堤清六(1880~1931)が、明治39(1906)年に出張したロシアの沿海州(プリモルスキー)で、函館出身の1歳年下の青年・平塚常次郎(1881~1974)と出会ったのがその始まり。日露戦争で御用商人(酒保)として満州や沿海州へ渡った堤と、北洋漁業の調査のためカムチャッカへ渡っていた平塚、一攫千金という若い二人の思惑は一致するのである。 そして二人は帰国後、堤の郷里である新潟に堤商会を開業。翌40(1907)年、フリガンディン式帆船を購入し、新潟からカムチャッカを目的地としたサケマス漁へと出発する。このギャンブルのような漁は成功を収め、堤商会は事業を拡大する。 その中でも堤商会の大躍進を後押ししたのが、鮭缶詰の販売と製造であった。明治43(1910)年にロシア・カムチャッカ半島で缶詰製造を開始。そして大正2(1913)年には、皆さんもご存じの〔あけぼの〕ブランドの缶詰が登場する。アメリカで開発された衛生缶を採用したこの商品は、現在まで続く国民的ロングセラー商品となった。 そして堤商会は会社の国内拠点を、平塚常次郎の生まれ故郷である函館に移転。その頃に建てられたのが、冒頭の写真でご覧いただいた堤商会の事務所だったのである。なお漁業会社の大合併で新生の日魯漁業が誕生し、義理の兄弟になっていた堤と平塚が会長と常務に就任するのは、それから5年後の大正10(1921)年のことであった。 さて函館の大水産会社の誕生直前、2人の若き北洋漁業家が建てた事務所建築は、当時の函館では一般的だった木造下見板張りの洋風建築となった。なお建物が木造3階建てになっているのは、見逃せない点である。これは当時、弁天町(西浜)は函館屈指の商業地域であり、取得できた土地の間口が狭かったことで、敷地の狭さというハンデを取り返すため3階建ての事務所を建設したのではないと筆者は推測する。 ちなみに明治末から大正期にかけて撮影された、函館の古写真や絵葉書などを見ると、木造3階建てと思われる建物がちらほらと写っている。さほど珍しい事ではなかったようだ。しかし木造3階建ての事務所を建設するというのは、それなりの予算もかかる訳で、堤商会の経営が順調だったことが伺える。 なお函館で現存する木造3階建ての建物は、末広町の函館海産商同業組合事務所(大正9年築、設計:関根要太郎・山中節治)と堤商会だけである。現存する2棟の木造3階建ての建物、そのような北洋漁業が急成長していった、大正期の勢いを感じられる建築作品と言えるのではないだろうか。 そのような旧堤商会の事務所だったが、時が過ぎ建物の持ち主も変わり、十数年前ほどは往年からは想像がつかないほどに、無残な姿になっていた。しかし10年ほど前に大規模な改修工事がおこなわれ、現在のような華麗な姿へと蘇っている。 そして数年前からは、今では地元で大人気のカフェ〔ロマンティコロマンティカ〕が入居し、弁天町に多くの人が訪れるようになった。そのような古くて新しい函館の新しいスポットが、旧堤商会の事務所なのである。是非とも訪問して頂きたい、函館らしい名建築の一つである・・・・。 ◎設計:不詳 ◎施工:不詳 ◎竣工:大正5(1916)年 ◎構造:木造3階建て ◎所在地:函館市弁天町15-12 ❖函館市景観形成指定建造物 当時はこの朽ちた建物が、大正期にニチロの前身会社の事務所として、使われていた史実を知る人は殆どいなかった。 ★参考資料 「マルハニチロ株式会社ホームページ、会社情報・沿革」 「ウィキベディア・堤清六」 「ウィキペディア・平塚常次郎」 「はこだて人物誌・平塚常次郎」ステップアップ、函館市文化スポーツ財団編、1995年 ★撮影・・・・1998年8月、2001年9月、2014年6月、2016年3月
by sy-f_ha-ys
| 2016-08-27 08:27
| ☆函館の建物案内
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Comments(5)
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by
吉ちゃん
at 2016-09-12 21:44
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ここは、ロマロマが入る前、骨董屋だったころの間に、ちょっとアクシデントがあったと思いますが、なんにせよ、この建物を目的にお客さんが来るようになったのはよかったですね。
2階、3階はテナントがときどき変わっていますので、ここを訪れたときは、かならず上まで登るようにしています。 ところで、ここから巣立った方が、旧市街の違う場所で、やはり古い建造物を活用して店舗をやっていたりするのを拝見するのは、また楽しいものです。
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sy-f_ha-ys at 2016-09-13 19:26
吉ちゃん様、この建物と言えばニチロビルぞばの大手町ハウスと共に、
函館市指導によるリノベーションが行われた物件でしたよね。 骨董屋時代は入りずらかったですが、ロマロマが営業を開始し、 この建物の印象は、かなり変わったような気がしますし、 太刀川家のカフェ・レストランの営業開始とともに、 観光客がこちらの地域に、かなり訪れるようになったと思います。 なかなかの物件だと思います。
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吉ちゃん
at 2016-09-17 21:38
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旧太刀川家や、この堤商会に客が来るようになったとはいえ、問題は、この旧馬車鉄道通りに人通りがないまま、違う言い方をすると、「目的のスポットしか人が集まらず、回遊しない」ことだと痛感しています。最近になってライブハウスやワインショップ(和田さんが本町から戻っていらっしゃいました)ができたものの、まだまだ飲食店しかないような状況なので、この通り一帯で半日過ごす、という楽しみ方ができないのが難しいところです。もっとも、この10年ほどで、魅力ある建物が取り壊されて歯抜けになってしまった、という本質的問題はあるのですが。
大手町ハウスは、新しいテナントが入ったので、ひとまずよかったですね。
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sy-f_ha-ys at 2016-09-18 18:58
吉ちゃん様、ロマロマや太刀川家の繁盛だけ見て、賑わっていると書いてしまいましたが、確かにそれ以外の場所へ訪れていないのが現状のようですね。今年はじめに開業した和田さんのワインショップをはじめ、距離は近いと言えどもロマロマや太刀川家を訪ねたお客さんが、そこまで訪ねてくれるかと言えば厳しいのでしょうか。
吉ちゃん様や私のように函館へ何回も訪れて地理感がある者ならともかく、初めて訪れる人たちにとってはちょっと難しい地域かもしれませんね。しかし私が函館へ訪れ始めた20年前は、この界隈には年季の入った建物がたくさんありました。
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at 2023-11-21 14:49
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