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・・・・・昭和9年築、お堀端に建つ古典主義スタイルの正統派オフィスビル 武蔵野台地中央に位置する東京北多摩の町から、武蔵野台地東端の町へと転居して早や二年。出掛ける場所と言えばそれまでと大した変化がないが、最寄りの駅から東京メトロの副都心線と有楽町線の直通電車へ乗れることもあり、休日はその沿線の町を訪れることがかなり多くなった。 またその時の散策コースの終点を、 東京駅や有楽町駅を選択することが多かったため、丸の内界隈を歩く機会も増えた筆者である。 皆さんもご存じのように、丸の内は十数年前から、この土地のオーナーである三菱地所の主導により再開発がおこなわれ、町の様相は一変。高度成長期に建てられた、無機質で画一的なオフィスビル街から、ガラス張りの高層ビル街へと変貌を遂げている。 正直なところ再開発前もその後も、町並みがワンパターンという印象は拭えないが、休みの日になると、不気味なほどに静まり返っていた以前の丸の内とは違い、とても賑やかな場所になったのは紛れもない事実である。そのような変貌著しい丸の内で、竣工から80年に渡り生き続けている、風格溢れる美しいオフィスビルディングがある。それが今回取り上げる明治生命館だ。 明治生命館(明治安田生命館)は、昭和9(1934)年の竣工。明治生命は日本初の近代的保険会社として、明治14(1881)年に創業。また三菱の系列会社である同社は、三菱合資会社が赤煉瓦造の一号館に次いで仲通りに建設した、三菱二号館へ明治28(1895)年に入居。大正期に入ると明治生命はこのビルディングを正式に買収し、同社の本社ビルとして引き続き使っている。 しかし時代の経過と共にその事務所も手狭になってきたため、昭和3(1928)年に同社は新社屋の建設を決定。以前の明治生命館(三菱二号館)を設計した、建築家・曾禰達蔵(1853~1937)が建築顧問を務める形で、8人の建築家による指名コンペを実施。そこで当選したのが、東京美術学校(現東京芸術大学)教授で、東京帝国大学卒業の建築家・岡田信一郎(1883~1932)による案だった。 岡田は東京新橋の生まれ。高等師範付属中学、第一高校を経て、東京帝国大学工科大学へ入学。なお明治39(1906)年に大学を卒業するのだが、このとき成績優秀につき天皇から銀時計を賜る。更に卒業後は研究の道を志し、東京美術学校や早稲田大学の講師を務める。 また大正9(!920)年ころより、本格的な建築の設計活動を開始。鳩山一郎邸(東京、大正13年築)を始めとした洋風建築から、純和風建築の歌舞伎座(東京、大正14年築)まで、卓越したデザイン力で幅広い建築を手掛けることになった。その代表作の一つが、東京丸の内の明治生命館だったのである。 そして岡田の案による明治生命の新社屋は、昭和5(1930)年5月に起工。また岡田の建築事務所のメンバーで、実弟の岡田捷五郎(おかだしょうごろう、1894~1976)は、起工間もなくに近代的オフィスビル研究のため、アメリカへの視察旅行をおこなっている。 スタートは順調だった明治生命館の新築工事だったが、建設途中には設計者である岡田信一郎が病に侵され、昭和7年4月に急逝するというアクシデントに見舞われる。しかし弟の捷五郎がその仕事を引き継ぎ、建設工事は続行。お堀端の巨大オフィスビルは、こうして竣工に至った。 そして明治生命館の外観は、外周に15本のコリント式オーダーを取り付け、軒にはギリシャ建築によく見られるアンテフィクス(鎧瓦)、半円アーチ窓が並ぶルスチカ式による1階部分のベースメントなど、西洋の古典主義建築の要素が満載のデザインとなった。 なおこのころ丸の内に竣工したオフィスビルディングと言うと、 東京中央郵便局(設計:吉田鉄郎、昭和6年築) 、 第一生命館(設計:渡辺仁、昭和13年築)など、モダニズム全盛だった時代に、この古典主義のデザインはとても珍しいものとなった。これは20世紀初頭に、アメリカの建築界で流行していた、クラシックリバイバルの影響を受けたもので、そのデザインとは反面、オフィスビル内は先の2つのオフィスと同様に、最先端の施設を備えているのが最大の特徴である。 昭和戦前のオフィスビルディングの最高傑作として、誉れ高い明治生命館。時代の流行に翻弄されない力強さと美しさを兼ね備えた作品だ。丸の内の宝とも言えるこのオフィスビルディング、これからも多くの人たちを魅了し続けていく事だろう・・・・・。 ◎意匠設計:岡田信一郎、岡田捷五郎 ◎建築顧問:曾禰達蔵 ◎構造設計:内藤多仲 ◎施工:竹中工務店 ◎竣工:昭和9(1934)年3月31日 ◎構造:鉄骨鉄筋コンクリート造8階建て、地下2階 ◎所在地:東京都千代田区丸の内2-1-1 ❖国指定重要文化財 ★参考文献、資料 「日本の様式建築」村松貞次郎氏・堀勇良氏著、新建築社、1977年 「建築探偵入門」東京建築探偵団編、文春文庫、1986年 「日本の近代建築 (下)」藤森照信氏著、岩波新書、1993年 「都市の記憶 美しいまちへ」鈴木博之氏著、白揚社、2002年 「新・生き続ける建築 岡田信一郎」本橋仁氏・中西礼二氏著、LIXIL eye №6、2014年 「東京文化財研究所ホームページ、物故者記事」 「明治安田生命ホームページ」 「明治生命館リーフレット」 ★撮影・・・・・2002年5月、2015年2月・3月・4月・8月
by sy-f_ha-ys
| 2015-09-12 07:12
| ◆昭和モダン建築探訪
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Comments(4)
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oomimi_usako at 2015-09-12 18:22
見慣れた建物が登場しました!
でも、内部をじっくりみたことはありませんでしたので、 とても興味深く拝見しております。 綺麗な花の装飾が、いいですね。
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sy-f_ha-ys at 2015-09-12 22:05
oomimi_usakoさま、本日は丸の内の名建築を取り上げてみました。
私も久々にこの建物を撮影しましたが、丁寧な一つ一つの仕事に とても感心してしまいました。本当に素晴らしい作品ですよね。 それと見学ですが、年末年始をのぞく土日におこなわれています。 機会があれば、是非一度建物内もご覧になってください。
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tokyo102
at 2015-09-26 13:47
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子供の頃から見続けて早30年ってとこですが名建築は見飽きないですね。
明治生命館の不思議なところは、さほど高い建物ではないのに物凄く大きく感じることと、どっしりとした安定感と存在感があるのに威圧感があまりないことだと感じています。 威厳ある意匠だけど、繊細さや上品さがあるからなのかもしれません。
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sy-f_ha-ys at 2015-09-26 20:53
tokyo102さま、私も明治生命館の存在を知って二十年ちかく経ちましたが、この建物に見るたびに新たな発見をし、感動してしまう作品であります。
このところのお濠端は高層ビルが当たり前になりましたが、ちょっと前までは高さが百尺(約31メートル)に統一されていたのは、tokyo102さまもご存知かと思います。しかし帝国劇場や東京會舘など戦後に建てられた百尺高のビルに比べ、ヴォリュームを感じるのは、設計の妙なのでしょうね。アメリカの建築事務所が設計を手掛けた日本橋の三井本館に比べると威圧感を殆ど感じないのは、岡田信一郎という建築家の懐の深さ故なのでしょう。
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