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・・・・・・2012年、関根要太郎設計の代表作品を深読みする 本日も前回の京王閣(昭和2年築、現存せず)に続き、建築家・関根要太郎(1889~1959)の作品研究をおこないたいと思う。そういう事で今回取り上げるのは、東京多摩市の桜ヶ丘公園内に建つ旧多摩聖蹟記念館である。 多摩丘陵の高台に建つ、旧多摩聖蹟記念館。館内の展示やパンフレットにもあるように、明治天皇が生前この地域で兎狩りや鮎釣りに訪れた事を記念し、この地に建てられたものである。また先にも触れたようにこの記念館建設は、前宮内大臣の田中光顕を中心に結成された記念館の開設準備委員会の運営により、有志の寄付により建設資金が賄われ、建設に至ったという紹介が多くされている。 そしてここからは本題の深読みの話。この多摩聖蹟記念館、建設にはある鉄道会社が大きく関与している。その会社とは聖蹟記念館の沿線を走る京王電気軌道、つまり現在の京王電鉄の前身にあたる会社である。 ちなみに多摩聖蹟記念館の建設計画は昭和2年の夏ころから始まるのだが、京王電気軌道の取締役・社長を務めていた井上篤太郎や、同社の幹部たちが記念館の設立委員に参加。更に昭和はじめに起きた世界大恐慌と時期が重なっていた事もあり、思いのほか集まらなかった記念館の建設資金調達の大半を、京王電鉄が立て替えている。 さてどうして京王電気軌道が、多摩聖蹟記念館の建設にそこまで肩入れをしたのだろうか。その答えはこの頃、京王電鉄が敷設を進めていた多摩御稜線が鍵になっていたのではないかと筆者は考える。この多摩御陵は大正天皇の墓所として東京八王子市の高尾駅のそばに建設されたもので、京王電鉄は御陵参道前を終点とする新路線を昭和6年に開業させている(但し同線は昭和10年代後半に廃止)。 しかし京王線の開通以前に、多摩御陵のそばには日本国有鉄道の中央線が既に開通していた。輸送量やスピードで国鉄に大きく劣ってしまう京王幹部たちは、御陵参拝者を根こそぎ国鉄に持っていかれると危惧したに違いない。 そういう事で御陵参拝者を引き込もうとした京王幹部たちが飛びついたのが、同社沿線に計画されていた明治天皇聖蹟記念館への建設協力だったのではないかと想像する。つまり京王電鉄関係者は御陵参拝者を同電鉄に乗せ、聖蹟記念館見学のために途中下車させようという作戦を、目論んだのではないかと筆者は考えるのてある。 そして設計者として担ぎあげられたのが、これより3年前に京王電鉄経営の娯楽施設・京王閣の設計を手掛けた関根要太郎だった訳である。しかも関根は大正14年に、明治天皇の孫にあたる秩父宮殿下(1902~1953)の、スキーと登山のお供をしたという経験を持っていた。田中光顕などの聖蹟記念館の建設準備委員会のメンバーたちも、そのような輝かしい経歴を持つ建築家の出現に全てを委ねたのだろう。そして出来あがったのが、摩訶不思議な楕円形の造形が重なるこの建物だった訳である。 ◎設計:関根建築事務所(関根要太郎、蔵田周忠) ◎施工:大倉土木 ◎竣工:昭和5(1930)年6月26日 ◎構造:鉄筋コンクリート造1階建て ◎所在地:東京都多摩市連光寺5-1-1 ❖多摩市指定有形文化財 ❖東京都選定景観上重要な歴史的建造物 ※「日本建築士」 昭和6年3月号より、筆者所蔵 ************************************************************* ★参考文献・・・・・「明治百年記念 多摩聖蹟史」 財団法人多摩聖蹟記念室、昭和43年 「京王帝都 ヤマケイ私鉄ハンドブック」 吉川文夫氏著、昭和57年、山と渓谷社刊 ★撮影・・・・・・2012年1月
by sy-f_ha-ys
| 2012-01-21 19:21
| ■関根要太郎研究@東京
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Comments(4)
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ayrton_7 at 2012-01-24 17:45
平面形が円形でなく楕円形なのですね。
世界的に見ても楕円形の建物は、この当時は無かったのではないでしょうか? 尾道で面白い住宅を見つけました。 http://ayrton2005.exblog.jp/15256775/
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sy-f_ha-ys at 2012-01-24 20:10
ayrton_7さま、多摩聖蹟記念館の造形ですが、天皇の墓所である御陵がヒントになったんじゃないかと私は以前から考えております。
でも御陵は円形の造形が三重になっていますが、楕円形ではなかったりします。とういう事で、どの辺りから楕円形の造形を思いついたのかなとも考えてしまいます。 あと尾道の住宅ですが、洒落好きな家主と棟梁が作りあげた町の隠れた芸術品と言ったところでしょうか。少し垢ぬけない感じはしますが、なかなか素敵な出来だと思いました。
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ayrton_7 at 2012-01-31 12:50
確かに大きな前方後円墳は3段で築成されていますね。
両側にある矩形の突出部は、前方後円墳よりも遡る弥生時代の墳丘墓の形態の中に存在します。
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sy-f_ha-ys at 2012-02-03 20:04
ayrton_7さま、前方後円墳がモチーフではないかとの説、なかなか頷けます。
あとツイッターのフォロー有難うございました。ですが、他の方をフォローされていないので、アイルトンさんのプログに私のつぶやきがいっぱい掲載されて、少し恥ずかしいのですが・・・・(笑)。
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