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・・・・・首都高速の下に建つ大正モダンデザインの遺構 本日紹介させていただくのは、東京・京橋の親柱。東京メトロ銀座線が地下を走る、東京のメインストリートの一つ〔中央通り〕の銀座と京橋の町境、首都高速の下にこの親柱は建っている。 また京橋をはじめとするこの界隈は、江戸期より水路が充実していた地域であった。しかしその水路の大半は、昭和30年代初頭から始まった首都高速建設のために埋め立てられ、この京橋も冒頭の写真でご覧頂いた銀座側の親柱と京橋側の江戸期に使われていた親柱が、高度成長期以前のこの町の昔日を僅かに伝えるのみになっている。 京橋の親柱その存在は知っていたが、最近になりそのデザインの面白さに興味を抱くようになった。また親柱の裏手に回ってみると〔大正十一年十一月〕と刻印が記された銅版が貼られている。つまりこの京橋の親柱はこの年に竣工したものと言うことになる。 見方によっては毛糸帽、または花の蕾にも見えるちょっと愛嬌のあるデザイン。またその下のガラス張りのランタン部分も、かなり独特な造形だ。見ようによっては西洋建築の古典様式とも分類できそうだが、どちらかというとアールヌーヴォーやユーゲントシュティルなど、20世紀初頭のモダンデザインの影響をも感じられる。この京橋の親柱、いかにも大正期半ばらしい自由なデザインと言えるのではないだろうか。 また興味深いのは、京橋の大正11年築というその竣工年だ。ちなみに京橋が竣工した翌年にあたる、大正12年9月には関東大震災が発生。関東大震災を前後して、それまでは煉瓦・木骨が中心だった東京の建造物は、それ以降耐震・耐火性に優れた鉄筋コンクリート構造が積極的に採用される事になった。 またそのデザインも鉄筋コンクリートや鉄骨をその構造を取り入れた事により、より直線的もしくは線の太い曲線がメインとなり、その街並みも大きく変貌を遂げた。そのような事を踏まえると、この京橋の親柱は震災前のモダンデザインを知ることができる、貴重な遺構ではないかと筆者は考えるのである。 京橋の下を流れていた水路が首都高速へ姿を変えて約半世紀。再開発が進む京橋や一面ガラス張りのブランドショップだらけになった銀座と比較すると、京橋の親柱は忘れられた存在かも知れない。しかし現代の無機質なモダン文化にはない温もりが、この遺構から感じられるような気がしてならないのである・・・・・・。 ◎設計:不詳 ◎施工:不詳 ◎竣工:大正11(1922)年11月 ◎構造:石造? ◎所在地:東京都中央区銀座1-2-4 ★参考文献・・・・・「ブログ:収蔵庫 壱號館」きくち氏作成 ★撮影・・・・・・2010年9月・12月
by sy-f_ha-ys
| 2010-12-15 17:15
| ◆大正モダン建築探訪
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Comments(2)
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by
gipsypapa at 2010-12-16 09:37
京橋にこのような親柱が残っているのは知りませんでした。
凝ったデザインです。昔の橋は趣がありますね。 東京で橋を見たのは日本橋くらいですが、 共通しているのは、上を見ると無粋な高速道路。 これは大阪も同じです。
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by
sy-f_ha-ys at 2010-12-17 20:15
gipsypapaさま、京橋の親柱は神田の万世橋などとも似ており、これまではあまり興味がなかったのですが、よく見ると大正中期ならではのモダンデザインが施されていることに気が付きました。
それと都心の橋というと、上に高速道路が走っているのが当たり前の光景になっていますね。物資を運んだ舟に代わって、首都高を走る自動車が都市の生活を支えている・・・・・、これも時代の流れなのでしょうね。
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