by ヨウタロウ研究員
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・・・・市東部の五稜郭そばに残る戦前築の文化住宅群 函館の古建築と言うとやはり市の西部地区に注目が集まってしまうが、それ以外の地域にも西部地区に対して数はかなり減るものの、見逃してはならない名建築が点在している。 そういう事で今回紹介させていただく、五稜郭周辺に現存する歴史的な古民家群もその中の一つ。昨年に本町のT病院所有住宅を紹介したが、今回取り上げるのは五稜郭電停からその隣の松陰町電停周辺に残る何軒かの洋風住宅である。 この洋風住宅群への目印は、松陰町電停を下車し遺愛女子高等学校の東側にある三角形の形をした緑地帯。 実はこの三角形の緑地帯から南側に向けて延びる一本道は、大正半ばに金森合名会社の代表を務めていた三代目・渡辺熊四郎が開発にあたった住宅地で、当時は〔文化村〕〔みどり町通り〕と呼ばれていた一帯だったという。それを象徴するかのように、先の緑地帯を入ってすぐ左側には、当初は旧渡辺 (金森)合名会社所有住宅として建てられたハーフティンバーの住宅(現法華宗一乗寺、大正6年ころ築)が建っている。 またこの文化村、土地購入後の住宅建設にあたっては、外観のデザインを和洋折衷にするほか、住宅前に庭を設けるなどの規定が設けられたという。敷地いっぱいに住宅を建て、とても手狭な西部地区の街並みとは違った、開放的な雰囲気が漂うのもこの周辺の住宅の特徴と言えるだろう。 但し冒頭の写真でご覧頂いた函館YWCA(昭和9年ころ築)のように、その庭が駐車場になってしまったのも時代の流れ。また今から10年ほど前には通りから少し奥に入った土地には、その当時の雰囲気を伝える洋風の住宅が数多く点在していたが、それらの殆どはここ数年のあいだに姿を消している。 そしてみどり町通りを直進した、遺愛女子の南側の時任町に建つレストラン〔ラ・メゾン・ドゥ・カンパニュー〕も、戦前築の住宅の一つ。なお昭和戦前の函館要人を紹介した書籍によると、この界隈には銀行の支店長をはじめ函館の主要な人物の住宅が何軒か建っていたようだが、今現在では当時の面影を伝えるのはこのレストランのみになっている。 また遺愛の西側にも以前は幾つかの住宅が点在していたが、残念ながらこの界隈にあった古い住宅もその殆どが取り壊されている。だが市電通りからも見える、門の脇に生える太い松の木が印象的な、本町のM家住宅(昭和9年ころ築)は良好な状態で残っている。 今回は「今は無くなってしまった」という紹介が多くなってしまったが、函館の住文化を知るうえでこの旧文化村界隈はとても貴重な存在ではないかと思う。それを伝える住宅群も本当に数えるほどになってしまったが、どうにかしてそれらが後世へと受け継がれていって欲しいものである。 -------------------------------------------------------------------------- ★函館文化村の住宅群 ここから先が〔みどり町通り〕にあたる。 こちらが開発主である渡辺(金森)合名会社の代表・三代目渡辺熊四郎が建てた住宅。 大正中期に建てられたものだという。 また玄関の和風の庇は、寺院に転用された際に取り付けられたもののようだ。 大正末から昭和初期に住宅として建てられたものだが、現在は幼稚園として使われている。 建物前の駐車場のスペースがその昔は庭だった。 みどり町通りを右手に曲がった人見町にあるレストラン。こちらの建物は戦前に外国人の住宅として建てられたものだという。 またこの近所に建築家・関根要太郎設計の不動貯金銀行函館支店長宅(昭和10年ころ築)があったと考えられるが、それに該当する建物は既にない。 昭和初期に建てられたという邸宅。 和風の屋敷に函館ならではの下見板洋館が隣接して建っている。 こちらも本町にあった洋館付きの和風邸宅。なかなか立派な邸宅であったが解体され、その跡地には画廊が建てられている。 ★参考文献・・・・・・「函館市史 住文化編」1997年、函館市発行 「函館の建築探訪」角幸博監修、1997年、北海道新聞社発行 ★撮影・・・・・2003年11月、2009年6月
by sy-f_ha-ys
| 2010-09-12 20:12
| ☆函館の建物案内
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Comments(2)
Commented
by
gy1117 at 2010-09-12 23:19
強者どもが夢のあと…
野に咲く花も寂しげに見えます。 sy-f_ha-ysさんのお写真も貴重な記録となってしまっているのですね。
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Commented
by
sy-f_ha-ys at 2010-09-14 18:48
gy1117さま、この界隈は遺愛女子とともに優雅な郊外地と雰囲気を醸し出していましたが、当時を語る年代物の素敵な建物次々と失われてしまいました。もっときちんと記録として撮影すべきだったと後悔しております。
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