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・・・・末広町電車通り沿いに鎮座する大正14年竣工の旧金森販売店 今回紹介させていただく高田印刷(高田末広堂)は、函館市電の末広町電停前に建つ、一見すれば何の変哲もない少し古びたビルディング。 末広町電停と言えば、元町の旧函館区公会堂をはじめとして函館西部地区を代表する様々な観光施設があることから、かなりの乗降客数がある停車場だが、この建物に注目している人をまず見かけない。 他の観光施設に比べると存在感の薄いこの建物であるが、もとは金森合名会社の薬品・化粧品を販売店〔金森回生堂〕として大正14年に建てられたもの。金森と言えば今ではベイエリア赤煉瓦倉庫のショッピングモールという印象が強いが、戦前は海運業や小売業など多くの事業を展開する函館を代表する企業であった。その当時の繁栄を語る貴重な生き証人が、この旧金森回生堂という訳である。 金森は明治初期より高田印刷の筋向いに現存する金森洋物店をはじめ、末広町日和坂下周辺に魁文舎をはじめ幾つかの店舗を構えていた。また明治40年8月の大火後に金森合名会社は、時計台を置く魁文舎の店舗を新築。なおこの地域は大正10年4月の大火で被害を免れたこともあり、明治末竣工の金森各店舗がその後も使われ続けていたようである。 しかし大正13年8月27日の午前4時、八幡坂下海沿いにあった勝田旅館の風呂場より起きた火災が、この日の強風に煽られ北西への基坂方面、現在の市電通りより海側へと類焼。金森魁文舎をはじめ、辰野金吾設計の日本銀行支店、この数年前に海漕業で莫大な富を築いた日下部久太郎が建てた万世ビルなど、この周辺にあった町の主要な建物の殆どが焼失してしまっている(・・・・なお旧第一銀行函館支店は、鉄筋コンクリート造や防火シャッターの設置などの万全な防火対策がされていたため無被害だった)。 そしてこの火災直後、金森合名会社は焼失した魁文舎・回生堂の店舗再建に着手。 またこの再建事業はかなり大規模なもので、共に鉄筋コンクリート造3階建ての店舗が建てられることになった。なお回生堂の設計者・施工者については決定的な資料は見つかっていない。だがこの当時函館で活躍していた在京の請負師・木田保造(1885~1940)が、のちに森屋デパートと呼ばれるようになる魁文舎をはじめ、金森の関連施設の設計・施工を手掛けている事などを考えると、この回生堂も木田組により建てられた可能性が高い。また当時の新聞広告から推測すると、大正14年の暮れころに回生堂は竣工したようである。 皆さんもご存じのように、金森回生堂の向かいに建つ旧魁文堂(森屋百貨店)は2001年の秋に解体され、現在では日和坂下のかっての賑わいを伝えるのは旧回生堂だけになってしまっている。確かに派手さはないが、歴史ある建造物が日常の暮らしの中にごく自然に存在している、いかにも函館らしい建築作品。今年で築85年、この先も生き続けて欲しい函館の隠れた名建築の一つである・・・・。 ------------------------------------------------------------------------- ★この記事は2010年3月に投稿したものですが、同建物が間もなく解体される事もあり最新のページに移動させていただきました。次々と美しい歴史的建造物が解体される函館、一体この先どうなるのかとても心配です・・・・・。 ◎設計:木田保造(木田組)? ◎施工:木田保造(木田組)? ◎竣工:大正14(1925)年12月ころ ◎構造:鉄筋コンクリート造3階建て ◎所在地:函館市末広町21-2 この隣にあった旧森屋デパートが解体され、坂上の場所には市営借り上げの高層マンションが建設されるなど、この界隈の雰囲気はこの10年で大きく変わった。 写真左手に写る建物が、現在高田印刷として使われる旧金森回生堂。 森屋デパートの海側7階部分が増築されていないことや、写真奥の八幡坂下に関根要太郎設計の百十三銀行本店(現SEC電算センタービル、大正15年11月竣工)や、函館貯蓄銀行本店 (現SEC末広ビル、大正15年12月竣工)などが写っていることなどを考えると、森屋デパートの増築工事がおこなわれる以前の昭和2年から昭和4年の間に撮影されたと考えられる。 なお画像部分をクリックしていただくと拡大画像でご覧になれます。 旧森屋百貨店だった建物は2001年秋に解体。現在は旧建物のシルエットを再現したウイニングホテルが建てられている。 金森洋物店、森屋デパート、金森回生堂と、日和坂下は金森関連施設が密集していることが分かる。 この時の火災焼失戸数は大火と認定される100棟より2棟少ない98棟だったため、現在の函館大火の歴史ではあまり紹介されないが、数多くの主要建造物を焼く大事件だったことが伺える。 ******************************************************* ★参考資料・・・・「函館毎日新聞」「函館新聞」大正13年~14年 ★撮影・・・・・2009年3月・6月・10月
by sy-f_ha-ys
| 2011-08-11 11:11
| ☆函館の建物案内
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Comments(4)
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jhm-in-hakodate at 2010-03-20 22:48
こんなに詳細に大火のことを調べられたことに感服します。また、恥ずかしながら高田印刷が金森系列の建物とは知りませんでした。函館に住む者として情けないですね。
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sy-f_ha-ys at 2010-03-21 06:10
jhm-in-hakodateさま、大正13年の八幡坂から基坂下で起きた大火災後の復興建築は、今回紹介した高田印刷をはじめ旧日銀の北方民族資料館がそれにあたります。
また八幡坂下の現在SECの事務所として使われる旧百十三・函館貯蓄の両銀行も、火災の焼失区域ではありませんが、この火災を機に鉄筋コンクリート造の店舗へと建て替えたようです。 あと話が少し脱線しますが、東浜桟橋向かいに三階建ての〔函館船具号し会社〕がありますよね。この建物も恐らく高田印刷の旧金森回生堂と同時期に竣工したものではないかと思いますが、決定的証拠を見つけられないままです。
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jhm-in-hakodate at 2010-03-24 23:09
その函館船具合資会社、同級生の家です。よく2階の家に遊びに行きました。
同級生にもし会えたら訊いてみます。(笑)
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sy-f_ha-ys at 2010-03-25 20:32
jhm-in-hakodateさま、函館船具合資会社の建物が店舗と住居兼用とははじめて知りました。
もし機会があれば、この建物の由来について伺ってみてください(笑)。
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