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・・・・・何度でもその素晴らしさを訴えたい、函館の名建築 函館市立弥生小学校(昭和13年築)。 と言っても今年4月に同小学校は、市立西小学校と合併し一時移転しているために、こちらの校舎は厳密に言うとは旧校舎ということなる。 この校舎の保存問題に関しては、『何を今さら?』と思われる方もいらっしゃるかも知れない。何が何でも弥生小校舎を解体したい函館市や市教育委員会は、耐震強度データの改ざんを認めず、〔弥生小学校を考える会〕により集められた解体反対の署名や質問状を受け流す状態のまま、現在に至っている。 この弥生小の旧校舎は、今から20年ほど前に函館市の景観形成指定建造物にも選ばれており、解体推進派はその体裁を守るためか、旧校舎の外観の一部再現を計画しているようだ。しかし近年東京や横浜、また中国の大連や青島などでおこなわれている、旧建物を忠実に再現する手法とは程遠いものに感じたのが正直なところである。 言い方は悪いが、『旧校舎の面影を一つぐらい残せば自分たちのノルマは果たされる・・・・』みたいな思惑すら感じられる、歴史的建造物の保存・伝承とはあまりにもかけ離れたものに私の目には映った。恐らく私と同様の感想を持たれた方も多くいらっしゃるのではないかと思う。 弥生小の旧校舎は、昭和13年築という歴史ある建物というだけではなく、度重なる大火を教訓にして建てられたものでもあり、函館の地形や環境に順応した芸術品のような建築物である。 一見すると古く朽ち果てた校舎だが、専門家の方より旧校舎は耐震性の面から見ても安全だというお墨付きを頂いている。長年に渡り『外装を直す』という行為を怠っていただけであり、その骨格はまだまだ使用に耐えられる訳だ。 函館市自らが『歴史と文化ある町』と謳うなら、弥生小校舎のデザインをそれなりに真似た新築校舎を再建するのではなく、この校舎を直し使い続けるのが最善の策なのではないかと私は考える。 このような前例は、東京港区の区立高輪台小学校(昭和10年築)などがあるが、文化都市・函館が同様の決断を下したなら、観光・産業の面でもこの町の新たなるアピールにもなるのではないかと思う。また、これまでの函館の歴史を伝承し未来へと繋げた行為は、現在のみならず何十年後になっても称賛されるに違いない。 弥生小の校舎を解体したい方々はご存じないかも知れないが、函館は足がけ何年にも渡りこの町を訪れている旅行者(リピーター)が数多くいる場所でもある。人それぞれ函館に魅せられる理由は違うかも知れないが、その根底には『函館の優しい心』という共通の認識があるのではないかと思う。その象徴のような存在が、この弥生小の校舎ではないだろうか。 目先の利益ではなく、函館がこれまで育んできた『町の心』を残すためにも、この建物はこれからも必要な筈だ・・・・。 ◎設計:小南武一(函館市建築課) ◎施工:森川組 ◎竣工:昭和13(1938)年 ◎構造:鉄筋コンクリート造り3階建、地下1階 ◎所在地:函館市弥生町4-16 ❖函館市景観形成指定建造物 ★撮影・・・・・2009年6月
by sy-f_ha-ys
| 2009-09-26 00:26
| ★函館・坂のある町の風景
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Comments(10)
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あおい君と佐藤君と宗男議員
at 2009-09-26 02:36
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木造建築の谷地頭小学校も、反対運動があったにもかかわらず、結局解体されてしましました。
自分が通った学校が無くなると言うのは、大変さびしいものですね。 あたくしは谷地小出身ではありませんが、あたくしの木造出身校も解体されてRC造となりました。 高校も解体されて、新しい建物に生まれ変わっております。 歴史的建造物を残すか再生するか? この問題は様々な角度からの議論が必要であり、大変難しい問題ですね。 解体推進派、保存派、それぞれの意見があり、それぞれの生活・事情、はたまた技術的問題・金銭事情もかかっております。 函館が、どこに向かって進んでいくのか? また、函館の人々がどれだけ真剣に「町の心」を考えているのか? 歴史的建造物の解体話が出るたびに、函館の人たち(当事者ですから)自身の心意気が試されているように感じ、身をつまされる思いです。
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でんか
at 2009-09-26 12:28
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>旧校舎の外観の一部再現を計画しているようだ。
確か京都四条烏丸の北東角にあった旧三井銀行跡をイメージしますが 趣は全く無し。(学生の時旅行で銀行を見た時はその美しさに感動した記憶があります。) 私は弥生小学校OBでして、在校中は屋上があって、鬼ごっこや写生なんかしてましたけど。プールは卒業後にできた。 民主党政権に変わった今、地元選出の逢坂誠二議員経由で文部科学省から圧力を掛けさせるのが最終手段かな?
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sy-f_ha-ys at 2009-09-26 22:08
あおい君と佐藤君と宗男議員さま、私が函館にはじめて訪れた時は谷地頭小は解体されいましたが、地元の方よりその当時の話を幾つか伺った事があります。
宗男議員さまの仰るように、この問題は様々な角度からの議論が必要ですし、出来る事ならその時間を延ばして欲しいのが正直なところです。 例えば以前におこなわれた末広町の市役所分庁舎(旧丸井今井)の再生は、説明不足のまま話が進んでしまったという印象が拭えません。残すにしろ解体するにしろ、すべての人が納得できるとは勿論思いませんが、長年に渡り町の象徴として親しまれていた物だからこそ、きちんとした決着をさせて欲しいものです。 私は古い町並みや歴史的建造物が好きで、いろいろな土地を巡りましたが、旅行者の視点から見ると弥生小の校舎はとても愛おしい存在です。しかし地元の人たちにとっては、また違った考えを持たれるのは当然かと思います。 でもこれだけ素晴らしい建物を壊してしまうのは、やはり惜しいです・・・・
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sy-f_ha-ys at 2009-09-26 22:27
でんか様、私も中学の修学旅行のとき旧三井銀行の復元部分をはじめて見ましたが、凄く不思議な印象を抱いた記憶があります。
この建物が改築されたのは今から30年ちかく前のことだそうで、前建物の保存や歴史的価値を唱えた人たちの心を汲んで、施主の方たちがこのような保存方法を取られたのではないかと思います。ただ、都心の商業地域の保存方法が、函館に合っているのかは分かりません。 いま弥生小の屋上には雪よけカバーが取り付けられていますが、でんか様が在校時には屋上に上れたんですね。眺めは抜群そうですね。またまた貴重なお話有難うございます。
あおい君~さんと同じように、私の入学した小学校は木造から今は鉄筋コンクリートの近代的な校舎になり、中学も、高校も私の通っていた頃とは違う姿になりました。意外と同窓だったりして?ですね。
さて 私が思うに、函館市長の考えは、街を活性化させるにはとにかく近代化を進めたい、だから古いものは邪魔だ、要らない的な考えかも知れません。 旧函館区公会堂がきれいに整備されてるのは金になるから、教会群は宗教への介入になりかねないから手を出さない、他の古いものは放っておけばそのうち朽ち果てるだろう・・・みたいな考えが見えてるように感じます。 市長を非難するつもりは全く無いです。でも、観光都市の看板を上げ続けるつもりなら、もう少し軌道修正した方がいいのでは・・・。
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でんか
at 2009-09-27 04:05
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一般的に地方(田舎)は経済規模が小さいので官需(役所の発注)に依存する割合が高く、とかく民間人は役所へ物申すことがはばかられる傾向があります。また狭いコミュニティなので思わぬ利害関係に悩まされることが多いような気がします。ちなみにこの問題を提起しようとした市内の建築士はこの問題には出てこなくなったように思われます。(同業他社からの圧力があったと推測しますが、止むを得ないと思います。)それ故に知恵が求められるのです。
なんか詰まらない話になってすみません。
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sy-f_ha-ys at 2009-09-27 22:52
てっちゃん様、今回の指摘された『街を活性化させるには近代化を進めたい・・・・・』という指摘ですが、十字街の水道局新庁舎などその代表的な例ですね。それ以前にあった十字街のレトロな商店建築を修繕し、再生活用していたならまた新しい名所になったかも知れませんが、とにかく『ハコモノ』が優先なのでしょうか。
ハコモノはそれで構いませんが、深みのある町の見せ方とかをもう少し真剣に考えられた方がいいのでは・・・、とここ10年の函館を見て常々感じてしまいます。
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sy-f_ha-ys at 2009-09-27 23:23
でんか様、私の知り合いの方で『函館は旅行で来るには天国だけど、住むとなると・・・・』という話をされた方がおりましたが、地元の方は狭いコミュニティーがゆえ、もの凄く神経をすり減らしているように思えます。
少々話は逸れますが、夜の飲み屋で、役所の方が入店した瞬間、急に店の雰囲気が張りつめた雰囲気に変わってしまったという現場に何度か遭遇したことがあります。外の人間から見れば『何やっているんだか・・・・』と思ったのが正直なところですが、この町で暮らしていくには仕方ないことでしょう。 問題を提議しようとした地元建築士さんの無念さが痛いほど分かります。こういう流れは大きく変えられるのでしょうか・・・・・?。
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uribon
at 2009-09-28 16:17
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こんにちは。東京在住の函館リピータですが、函館にはまるきっかけとなった弥生小学校の建て替えが残念でなりません。
狭い街ですし、公共事業に依存している建設業者さんも多いでしょうからよそ者にはわからない事情が沢山あるのでしょうね。 主人の実家が空知郡にあるのですが、かつて炭鉱で栄えた街々のさびれっぷりを見ると、函館はなんと歴史・文化資源に恵まれているのだろうと思います。それをみすみす壊して他の地方都市と同じようにするとどう活性化するのでしょうか(函館市へのメールとかに投稿してみるとよいのでしょうか)。建築資材も高騰していますし、安っぽくなるだけのような悪い予感がします。
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sy-f_ha-ys at 2009-09-28 21:37
uribonさま、はじめまして。
今日おこなわれた市の審議委員会は、残念な結果に終わってしまいました。 私も函館にはまって干支が一回りする年数が経ちましたが、よその都市を訪れるたび、函館の素晴らしさを痛感します。弥生小は将来のための文化への投資という意味でも残して欲しかったのですが、市はそこまでの価値を弥生小に見いだせなかった(・・・・反対の声をあげられなかった)のが、無念で仕方がありません。大都市や地方都市でも、古い公立学校の校舎を修繕保存し使い続けている例が沢山あるのですが、こういう町を見習って欲しかったなと思います。 観光地とその周辺の表面だけは綺麗に体裁を整えてる函館ですが、こういう心が込められて建てられ、長年大事に使われ続けてきたものを残し使い続ける事に、函館の将来への希望が持てるのではないかと思うのですが・・・・。 新校舎に関しては、それなりのイメージ継承を予定しているようですが、あれほど素晴らしい校舎を超えるものは建てられないでしょう。
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