by ヨウタロウ研究員
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◆このブログの写真は当サイト製作者の撮影によるものですが、それだけでは全てを紹介しきれないため、大正から昭和初期に発行された当時の書籍・建築関連の雑誌・新聞等の記事・図版を一部転載しております。またそれらの出典元になる書籍と発行日時、一部のものは所蔵元を明記させていただきました。著作権をお持ちの方には、個人的な学術研究・非営利な発表ということで、ご理解いただければ幸いと存じております。 なお、一部イラスト・写真等は、製作者・遺族の方より承諾を得て、紹介させて頂いております。 ◆当ブログ製作者は、建築業や建築学に携わっていない、素人研究家です。建築用語や構造説明に誤りがある可能性もございます。そのつど御指摘していただければ幸いです。 ◆本ブログ掲載の写真および図版、記事内容の無断転用はご遠慮ください。但し私が撮影した写真に関しては、建築保存活動や学術発表など非営利目的での使用でしたら転載は構いません(大した写真では御座いませんが・・・・)。もし使用したい写真がございましたら、その記事のコメント欄に、目的・公開先等などをご一報ください。なおその際は、当ブログの出展である事を明記お願いいたします。 ◆また本ブログの記事内容と関連のないコメント、トラックバックは削除させていただく場合もございますので、予めご了承ください。 **************** ★excite以外のリンク --------------------- ❖分離派建築博物館 ❖収蔵庫・壱號館 ❖新・我愛西安、観光と生活情報 ❖建築ノスタルジア ❖トロンボーン吹きてっちゃんの独り言 ~函館応援プログ~ ❖虚数の森 Forest of im aginary number ❖MEGU 「めぐ」を究めよう ❖建築日誌 ❖中央区立明石小学校の保存活動 タグ
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・・・・30年前、一通の投書をきっかけに現地保存された函館の歴史的建造物 函館の基坂。江戸時代より役所が置かれいたことや、かって里程元標があったことで、この坂に基の名が付けられたという函館名所の一つといえる場所だ。 そして基坂の上には函館でも最も有名な歴史的建造物、旧函館区公会堂(明治43年築)があり、その下には30年ほど前に旧北海道庁の跡地を再生した元町公園が広がる。 この界隈、函館有数の観光名所ということもあり四季を問わず訪れる人は絶えないが、スカイブルーと黄色の塗装が華やかな公会堂の下(前)に、モスグリーンに塗られた洋館が建っているのをお気づきだろうか・・・・?。 その建物は明治42(1909)年に竣工した旧北海道庁の函館支庁舎、現在は市の写真歴史館と観光案内所として使われているが、注目は上に建つ公会堂の陰に隠れてしまっている感が強い。この前をバスツアーやタクシー観光の方が、ガイドさんや運転手さんに連れられて歩いている姿を見かけるが、だいたいの説明はこの建物の由来ぐらいのようだ。いや、少し待って欲しい。この建物、竣工年を語るのほか、もう一つ忘れてはいけないことがある。この旧道庁の支庁舎、市民の呼びかけによりこの場所に残されたもので、函館の歴史的建造物再生の先駆けともいえる建物なのである。 函館の元町生まれの元町育ち、戦後の元町を語らせたら右に出るものはいないという、大三坂の中程でカフェーを営むO氏によると、昭和30年代の旧道庁の支庁舎は空家になりお化け屋敷のような佇まい。しかもこの裏の石垣には、誰が何の目的で掘ったかは知らないが洞穴があったり、子供たちにとってはスリリングな遊び場所だったという。旧支庁舎は本当に朽ちかけて、かろうじて建っているような感じだったらしい。 また今から約30年前の昭和50年代初頭、旧支庁舎の敷地は公園と整備されることになり、建物は札幌郊外にある北海道開拓記念館に移築されることで話は決まりかけていたという。しかし、函館に在住する主婦Tさん(故人)が新聞社へ送った投書を切っ掛けに、この建物は現地保存の機運が高まり、元町公園内に残されることになった。一通の投書を送ったTさんの熱意が、新聞社をはじめ多くの人たちの心を動かしたのである。 また10数年前には、この建物は火災で内部を焼失したが、この建物を大事に思う人々の熱意により、壊されることなく修繕され現在に至っていることも忘れてはいけない。 今回この建物の前を何度となく通ったが、この建物が保存された経緯を知ると簡単に素通りできなくなってしまう。残念ながら私はTさんとはお会いすることはできなかったが、現代の我々にだって何かしらできるのではないかとも、この建物を見てるうちに勇気が湧いてきた。 ◎設計:家田於菟之助(北海道庁技師) ◎施工:鈴木仙蔵 ◎竣工:明治42(1909)年 ◎構造:木造2階建て ◎所在地:函館市元町12-18 ❖北海道指定有形文化財、函館市指定伝統的建造物 ★参考文献・・・・・・「函館のまちなみ」 函館の歴史的風土を守る会編、1989年 「鐘の音」 村岡武司氏著、じろじろ大学出版発行、2005年 ★撮影・・・・・2009年3月
by sy-f_ha-ys
| 2009-03-28 11:23
| ☆函館の建物案内
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Comments(8)
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gy1117 at 2009-03-28 16:41
そうだったのですか。。。
私はここでパンフレットをもらったり「いか踊り」のCDも買ったりしましたが…(笑) 今や立派に活躍していますよね。 市民の声を聞く耳を持ち、やる気になれば こうして残すことが出来るのに… 弥生小学校も市の姿勢が変われば良いのですけどね…
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sy-f_ha-ys at 2009-03-28 22:24
gy1117さま、最近はこのことについて紹介されることは殆どありませんが、Tさんをはじめ市民の運動により現地での保存が決まったという、とても重要な建物なのですよ。
こういう事って、もっと胸を張って後世の人たちに伝えなきゃいけないことだと思います。
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でんか
at 2009-04-01 01:33
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確かに元町公園周辺は昭和50代くらいまでは雑木林でして、人が近寄るような所じゃなかったとガキの頃の記憶があります。その後函館に帰省
したら、キレイに整備されてたので驚いたもんでした。 ちなみに元町公園の北西側角(坂下)あたりに市立函館病院の看護学校の寮が建っていたと思います。(あやふやですが) 旧英国領事館も同様にこれが観光施設なんだと驚いたもんでした。(笑)
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sy-f_ha-ys at 2009-04-01 21:37
でんか様、函館在住の方から、元町公園になる前の支庁舎周辺はまったく雰囲気が違っていたと何度か話を伺いました。
イギリス領事館も、かっては病院寮だったなんて現在の観光モードの雰囲気からは想像がつきませんが、こうして歴史ある建物が再生されたというのはとても意義ある事だと思います。 基坂もイギリス領事館はいい雰囲気を醸し出していますが、函病跡の空き地と坂上の階段はなんとかならないんですかね・・・・・(苦笑)
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ayrton_7 at 2009-04-05 10:14
何を考えて作ったのか大きな疑問である坂の上の階段も
花火大会の時は、名所であったりします。苦笑
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sy-f_ha-ys at 2009-04-06 00:00
ayrton_7さま、こちらではお久しぶりです<m(__)m>
元町公園の大階段も作った当初に「港祭りの花火観賞用です」とコメントしたら、我々の見る目も変わったかも知れません(笑) あの場所は、夏の祭り1日のために風雪に耐えているのですかね。 ウィンブルドンのテニスコートみたいなものですか・・・・(--〆)
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でんか
at 2009-04-08 01:06
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横レスですみませんが…
>何を考えて作ったのか大きな疑問である・・・ 全く同感です。 10年位前までは元町公園内に藤棚があったのに、撤去されてメチャクチャ腹がたちました。 なお花火大会のみならず、皮肉なことに昨年から始まった「はこだて国際民族芸術祭」にとって最高の場所ですね。今年の開催時は暑い夏でありますように。(祈)(昨年の芸術祭期間中はとんでもない寒さでしたので)
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sy-f_ha-ys at 2009-04-08 23:52
でんか様、あの階段は以前からあった元町公園とは全く融合していませんね。
殿下様のコメントで思い出しましたが、確かに藤棚はありました。 工事中は一時撤去するにしろ、完成後にまた移植することもしていない・・・・、 何となく現在の元町公園の造成計画を担当された方たちの志の低さをも感じてしまったりもします。 函館内外を問わず疑問に思っている人は少なくないと思いますよ。
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