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・・・・・建物の3分の2は21世紀の竣工、丸の内に残る大正モダン建築 本日は東京丸の内に残る大正モダン建築を紹介してみようと思う。 それは日本工業倶楽部の会館として使われている大正9(1920)年竣工の建物で、現在改修工事中の東京駅・赤煉瓦駅舎の北側改札口側を皇居方面に直進したところにある。そう説明するよりも新丸の内ビルの隣といった方が、おおよその場所を把握していただけるかも知れない。なお現在、保存問題で大きく揺れ動いている東京中央郵便局は、東京駅赤煉瓦駅舎の南側に建つ。 東京駅前には今から10数年ほど前までは、戦前築の風格漂う歴史あるオフィスビルディングが数多く現存していたが、このところの丸の内の再開発事業によりその多くの建物は高層のビルディングへと姿を変えている。しかし再開発前・再開発後の丸の内でも、小振りながら私の目を引くのが、この日本工業倶楽部である。 この建物の設計は、戦前を代表する建築設計事務所のひとつ〔横河工務所〕が担当。この事務所の所長・横河民輔(1864~1945)は、建築設計の他にも多方面の事業展開をしたことで知られ、現在の横河電機、横河ブリッジ(横河橋梁)などを創設した人物でもあった。 また横河工務所の設計作品は、東京都内だと日本橋の三越デパート(昭和7年築)、兜町の先代の証券取引所(昭和6年築)、数年前に惜しまれつつ解体された東京日比谷の三信ビル(昭和4年築)と銀座の交詢社ビル(昭和4年築)、また日本工業倶楽部のすぐそばに建つ東京銀行会館(大正5年築:外壁の部分保存)などがある。 また横河工務所は大規模な設計事務所だったため、所長の横河民輔が直接設計にあたることは殆どなかったようで、この日本工業倶楽部は横河工務所のチーフデザイナー・松井貴太郎が手掛けたものだという。また松井の担当作は、このほかに東京の銀行会館、小樽の旧三井物産支店(現松田ビル、昭和12年築)があるが、西欧の古典様式にさらりとその当時のモダンな要素を取り入れるなど、なかなか腕の立つ建築家だったようだ。 なお日本工業倶楽部は、1階玄関部分の古典主義風の柱に外壁は大正に大流行していたセセッションというモダンなスタイルを取り入れた、古典とモダンの折衷的な作風が特徴。建物自体それほどの高さはないのだが、目の前に立ったときの迫力は何とも言い難い作品である。 そしてこの建物、今から数年前に建物の正面左側を残し解体され、その他の部分は竣工当時の姿を忠実に再現したものである。 解体の理由は耐震性の問題からだというが、旧建物の最大限の保存に重点を置き、室内の調度品などは旧建物の部材を数多く移築したという。また解体前には保存に対する審議委員会が結成されて、きちんとした議論によりこの結論がくだされたと聞く。私も勉強不足のため、この審議の経過については知らないが、平成15(2003)年に竣工した現在の建物が、何よりもその全てを物語っている。私は現在の日本工業倶楽部を見るたび、後世にこの建物を伝えようとした人達の情熱や魂を感じてしまうのである。 最後にこのところの函館を考えてみた。函館にも歴史的建造物保存の審議委員会は存在する(した)。しかし審議委員会と言っても名ばかりのものであり、市側の筋書き通りに解体の方向で話が進められ、他の者が意見を言っても聞き入れる素振りすら見せず、粗悪品のレプリカもどきを製造し続けようとしている。今回紹介した日本工業倶楽部の再建と函館がやっていることは、一見して手法論は似てるが、発想そのものが全く違うことは明白である・・・・・。 ◎設計:横河工務所(担当:松井貴太郎) ◎施工:分業請負 ◎竣工:大正9(1920)年11月 ◎構造:鉄筋コンクリート造り5階建て ◎所在地:東京都千代田区丸の内1-4 ❖国指定登録有形文化財 左の男性はハンマー、右の女性は絹の巻物を持っている。石炭と織業、これは戦前日本の二大産業をあらわしているそう。 また会館内にも小川作のステンドグラスが飾られている。 なお解体・再建に際し、旧建物は若干後方にセットバックされた。 また後方に写るガラス張りのビルは、新永楽ビル。このビルに一部がはめ込まれる形状で日本工業倶楽部は建っている。 ★参考文献・・・・・「都市の記憶 美しいまちへ」 鈴木博之氏著、白揚社刊・2002年 ★撮影・・・・2009年2月・3月、2013年1月 ▼また下のMoreをクリックして頂くと、以前の日本工業倶楽部の写真をご覧になれます。 -------------------------------------------------------------------------- ★改築前の日本工業倶楽部 6年前に再建された新建物が、旧建物と寸分も違わない出来ということがよく分かる。
by sy-f_ha-ys
| 2009-03-16 01:25
| ◆大正モダン建築探訪
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Comments(8)
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gy1117 at 2009-03-18 11:23
文化の伝承ってこういう風に行なわれるべきですよね。
古くなって危険なものも 見事にリメイクされて伝えられているんですね。 函館の場合 後世のひと達に継承して行く責任の重さをもっと 感じてもらいたいものです。 壊すのは簡単だけど もう元には戻せないんですもの。
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sy-f_ha-ys at 2009-03-19 21:05
gy1117さま、お久しぶりです。昨晩函館より帰ってまいりましたが、歩き疲れと呑み疲れ?で、返信が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
今回紹介した日本工業倶楽部なのですが、このような再生をした建物もあるということを知っていただきたく紹介してみました。 弥生小問題は、解体について表沙汰にしない手筈でことが進んでいったこちもあり、この建物のようなきちんとした議論がもっとされるべきだったと思います。 gy1117さまが仰る通り、壊すのは簡単ですけど、元には戻せないのですから。
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gipsypapa at 2009-03-26 09:41
まだ見ていないのですが、見たい建物の一つです。
これ有名な有形文化財ですが、建て替えなのは知りませんでした。 前の姿と変わらないですね。 こういう形の再生はもっと採用して欲しいものです。 東京中央郵便局は鳩山総務相の横やり(笑)で、それなりの形で保存されることになり、 地元の大阪中央郵便局も同じような形になるとか。 すこしホッとしました。
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at 2009-03-26 12:41
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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sy-f_ha-ys at 2009-03-27 06:30
gipaypapaさま、今から十年前に旧建物が壊された時はとても残念でしたが、旧建物と寸分狂わぬ現在の建物を見て正直驚いたものです。恐らく後ろの新永楽ビルが高層で建設された分、この建物が外壁再現という方法にならなかったのでしょう。
あと話は少し脱線しますが、丸の内界隈には外壁保存のほか、かってあった建物の装飾の一部分などが人知れず保存されています。 こういうものを見ていると、これまで保存運動に携わってきた人たちの努力が伺うことができます。 しかし、今って丸の内に全てが集まりすぎていますね。
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sy-f_ha-ys at 2009-03-27 06:38
東京新富町の内緒コメントさま、はじめまて。
大した写真ではありませんが、貴店のそばの歴史的建造物を紹介していただけるんでしたら、リンクは大歓迎です。 銀座の本通りとは違い、昔ながらの風情が残っている素敵な場所ですね。機会があれば、またそちらの建物を再紹介しようと思っております。
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ayrton_7 at 2010-02-04 11:44
こちらのお話を引用させていただきました。
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sy-f_ha-ys at 2010-02-04 19:57
ayrton_7さま、了解しました。
日本工業倶楽部のような再生の仕方はかなり特殊ですが、歴史的建造物をきちんと残したいという心が感じられます。
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